見出し画像

お正月なんてなけりゃいいのに!?~正月早々うんちの話し??~


10年日誌を付けている。現在2冊目になるのだけれど、1月1日の日記が、「お正月くらい休みたい。」と10年ほど続けて書いていることに気づいたある年、「もうお正月くらい休みたいなんて思わないことにする」と書いて、次の日には、「お正月くらい休みたいと思わないことにすることを止めることにする」と書いている。お正月はなかなかに悩ましいのだ。

次郎との日常は、お正月が来ようが、矢が降ろうが、はたまた運よく海外に行けたとしても、何もかわらない。

私の1日は、トイレから「ママー、ママー、ママー・・・・・」と私を呼ぶ次郎の声で始まる。私は、ボリュームが大きくなってゆく「ママー」の声を止めるために、布団から答える。「うんちすんだのぉ?」次郎が答える「うん」私は言う「今行くからねーちょっと待ってねー」その声で次郎の呼び声はしばらく止まる。冬などは寒かろうと、出来るだけ早く行ってあげたいと思うのだけれど、私も寒い、眠い、布団から出たくはない。で、ぐずぐずしていると、また「ママー、ママー・・・」が始まる。「あ、ごめんごめん、今行くね~。」と、あたたた・・・と腰をさすりながら、布団を出る。もうこの頃は、さっとは起きられないのだ。そろそろと動かないと、自分の身体が故障する。「ごめんごめん寒かったね。」とトイレに駆け付ける。次郎は寒い暗いトイレで、たいがい素っ裸で私が来るのを待っている。「待っててくれて、ありがとう。お母さん、もうさっと起きられなくてねー。」言い訳をしながら、次郎のお尻を拭いてあげる。

よく、後始末の出来ない人に対して『てめぇのケツも拭けねえぇヤツ』などと罵る言葉があるけれど、『てめぇのケツも拭けねぇヤツ』は案外たくさん居るのだ。物理的にも、発達的にも。だから、この言葉を使う人に言いたい。自分で拭きたくても拭けない人がいることに想像力を働かしてほしい。次郎の場合、見た目がいろいろ出来そうなだけに、お尻も拭けないということが、理解されないことも多い。そして、たぶんこう思われる。『甘えてるんじゃない?』『やれば出来るんじゃない?』『やってあげるから出来るようにならないんじゃない?』

お正月早々、トイレの話で恐縮だけど、皆さんがお尻を自分で拭けるようになったのは、いつだろう?そんなことは覚えていないだろうか?

私は覚えている。私の育った家のトイレはくみ取り式で、小さい人は落ちる可能性のある恐ろしいトイレだった。私が小さい時、自分は落ちなかったものの、スリッパを片方落として、自分が落ちる姿を想像して、怯えたものだった。そんなトイレでも、用を足さないといけない。私の母は戦中派で節約家だったので、トイレに置いているちり紙は、おしっこなら1枚、うんちなら2枚を使うように教わった。こんなやわらかいちり紙が使えるだけでもありがたいのだと言いながら。

私はそのうちおしっこならば、ちり紙1枚で拭けるようになり、トイレから「お母ちゃーーん」と呼ぶのは、うんちだけになった。母は繰り返し、うんちは2枚のちり紙を二つに折って拭いて、さらに二つに折って拭いてと教えてくれた。たぶん4歳の時だった。お尻を拭いてもらっているそのまさにその時、『お母ちゃんに、お尻を拭かせるのは申し訳ない』と思った。4歳が思うのだから、申し訳ないとかいう言葉で思ったわけではないが、『なんかわるい』と思ったのだ。

だから私は、その日以降、お尻を自分で拭くようになった。

もちろんパンツを汚したりしながらだが、私は『てめぇのケツを拭けるヤツ』になったのだ。

発達途上にいる次郎が、いつ『てめぇのケツを拭けるヤツ』になるのかはわからない。しかし、私は待とうと思っている。ちなみに、次郎の知能年齢は3~4歳だ。
それから、私が次郎を育てる中で、次郎から教わったことは、自発的にやりたいと思ったことは簡単に出来るようになるけれど、人からやらされることは、出来るようにならない、ということだ(あくまでも次郎の場合だが)。

だから、自分でお尻を拭けるようになりたいと次郎が思い、その思いが次郎を突き動かすまで、私は、次郎のお尻を拭き続ける覚悟だ(大げさだけど、私は次郎を訓練しようと思っていないということ。訓練という言葉自体が失礼な言葉だと感じているということ)。

次郎は不思議なことに、私が居ないところではうんちが出ない。いや別に不思議でもないかもしれない。心許す人がいないところでは、出るものも出ないということか?

私は、うんこしっこが人間の尊厳と思っているので、その尊厳を守ってくれる人でなければ、身をゆだねることなど出来ないと思う。だから私は、だれかが私にトイレ介助を頼んでくださるとすれば、こんな名誉なことはないと思っている。

だから今年も、私は元旦から、次郎の尊厳のため、名誉な仕事をしたというわけだ。

とはいえ、私も生身の人間だ。頭が考えるほど立派ではなく、正月早々温かい布団を出る身体は、「いっそ正月なんて来なけりゃ、正月くらい休みたいなんて思わなくてすむのに~」と思ったというわけだ。

あとは、正月だろうがなんだろうが、外に行きたい次郎と、家に居たい私のバトルが待っている。
また、ここで、寝正月をしたい私は思う。「こんなことなら、いっそ正月なんかなけりゃいいのに」と。

がしかし、この外に連れ出す人は、私でなくてもいいはずだ。けれど正月早々、次郎を頼むのも気が引けて、また思うのだ。「こんなことなら、いっそ正月なんてなけりゃいいのに」と。

そんなお正月だ。去年も、その前も、その前も、そんなお正月だった。

けれど、年々、次郎がやりたくて、出来るようになっていることは、増えている。

包丁を使うのが上手になっているとか、洗濯物を手伝ってくれるとか。固有名詞が出てこなくなった私が、『あれ取って』『それ取って』と言うのを、勘のいい次郎は、適格にこなしてくれたりしている。

そんな次郎に望むことはないのだけど、どうか、誇り高き次郎が傷つけられずに、生活できることを祈るばかりだ。

最近は、私も年を取ったし、「お母さんを大事にしてね」と言ってくださる方も多い。実際愚痴っぽくなった私を慰めるためにも、次郎にそんな言葉をかけてくださる。しかし、誇り高き次郎は、『それじゃ、まるでボクがママを大事にしてないみたいじゃん』とばかりに、すねることになる。

もしも、私が愚痴を言っていたとしても、それは次郎の所為ではなくて、障がいのある者の家族、特に母親の負担を軽減する気のない社会に対する愚痴だと思って聞いて欲しい。

次郎は次郎なりに、精いっぱい『お母さんを大事にしている』のだから。

誇り高くて、頑固で、お調子者で、おしゃべりで、、、、すぐ拗ねる?むむ?誰かに似ている?!

ちょっと次郎に聞いてみよう「次郎は誰に似たの?」

次郎はすかさず答える

「マーマ!!」

チャンチャン!お後がよろしいようで。


今年も、こんな親子をどうぞよろしくお願いします。


PS.こんな風に次郎との正月を振り返ることが出来るのも、笑えるのも、今、移動支援で、次郎が外出しているからです。お正月から、仕事をしてくださっている支援員さん。ありがとうございます。この時間がなければ、次郎相手に、どれほどの文句を言うことになったかと思うと、ゾッとします。

※写真は、次郎の用意した年賀状。『これは○○さんに』『これは○○さんに』と言いながら書いているので、鉛筆で誰宛てなのかをメモして、鉛筆書きは後で消しています。「入浴ばぁば」と書いているのは、引っ越す前に入浴介助に来てくださっていた大好きな支援員さん。「ばぁば」と懐いていたので「入浴ばぁば」。相手によって書いていることは違っているようだけど、何を書いているのだろう?!謎は深まるばかりだ(笑)

書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。