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ただ生きているだけでいい



ガラス窓の向こうの保育器の子どもは、ずいぶん具合が悪いように見えた。

赤黒い色をして、あばら骨が浮き、手足を力なくだらんとさせて、

横たわっていた。


子どもは、生後、黄疸が強く、入院が長引き保育器に入っていた。

私が先に退院し、母乳を絞って届けていたのだ。


私は、ガラス窓に張り付くように、見入っていた。

顔が見えない。顔が向こうを向いていて、表情がわからない。

夜勤の看護師さんが、ひとり忙しそうにしている。

私は、呼び止めて「あの、昨日より具合が悪くなっているように見えるんですけど」と言った。

看護師さんは、うるさそうに、「そんなことありませんよ。」と言って、私の返事も待たずに、行ってしまった。

いや、何かおかしい。看護師さんは、なにか私に隠しているのではないか?

あきらかに、昨日よりも悪くなっている。

そうだ、隠しているに違いない、よく言うではないか?産後の母親は精神が不安定だから、落ち着いてから、重大な話をするとか。

だから、看護師さんは、私を避けているのだ。

そうに違いない。


そう思って、なおも食い入るように保育器の中を凝視していると、

さっきの看護師さんが来て、「まだ、居るんですか?」と冷たく言った。

疑問は確信に変わった。看護師さんは、私に知られては困ることを、知っているのだ。

子どもが重篤な状態にあるのだ。それを知られたら母親が騒いで困るのだ。

私は食い下がって、「あの、顔を見たいんです。顔を見せてください。」と頼んだ。

看護師さんは、「明日にしてください。今日は、お帰りください。」と、冷たく言った。


そう言われて、私は病室は出たものの、帰れるはずがない。

病院の夜間受付に詰めていた守衛さんを捉まえて、

「小児科の先生に話を聞きたいので、電話をかけてくださいませんか?」と頼んだ。

「私の子どもの具合がとても悪そうなのに、看護師さんは説明をしてくれないんです。とてもこのままでは、家に帰れません。主治医に連絡を取りたいのです。」

泣かんばかりに訴えた。

守衛さんも困り果てて、「私には、電話をすることができません。申し訳ないけれど。」と言った。

なおも私は言った。「いや、でも、昨日より、今日のほうが、ずっと具合が悪そうなのに、看護師さんは顔も見せてくれないんです。何か、私に隠している様子なんです。説明の出来る人に話を聞きたいんです。」と。

その時、病院で傾聴などのボランティアをしているシスターが通りがかって、声をかけてくれた。

「ご心配なことがあるんですね。」

「そうなんです。きっと私が取り乱すと思って、看護師さんが私に隠し事をしているんです。」と、私は、取り乱して言った。

「お母さん、そんなことはないですよ。赤ちゃんに何かあったら、真っ先にお母さんに連絡が行きますから、安心してください。」

「でも、看護師さんは、顔も見せてくれないんです。」

「きっと、忙しかったのだと思いますよ。何かあれば、あなたがお母さんなんだから、あなたに真っ先に、必ず連絡が行きます。だから、安心して。」

「私に真っ先に?」

「そう、お母さんのあなたに、真っ先に、連絡が、必ず、行きます。」

何度も、何度も、「あなたがお母さんだから」と言われているうちに、私の心の荒波は静まってきた。そうだ、私はお母さんなのだ。私はお母さんなのだ。私はお母さんなのだ。なにかあれば、必ず、お母さんの私に連絡が来る。

そう思うことで、やっと、病院を出ることが出来た。


その夜、私は神や仏に必死に祈った。

「ただ、生きているだけでいいんです」

「ただ、生きていることが望みです」

「どんな状態であっても、生きていてほしいんです」

「生きていてほしい」

「生きていて」

「どんな、状態であっても、生きていてほしい」

「どんなになってもいい、生きてさえいればいい」

「ただ生きていてほしい」


それだけでは、神や仏には、わからないかもしれないから、

「寝たきりでもいいんです。私は30kgまでなら、抱っこ出来ます。」

などと付け加えたりした。


30kgと言い切ったのは、看護助手の経験があり、30kgの患者さんなら、抱えることが出来たからだ。

より具体的に言った方が、神や仏にも本気だと伝わると思った。

もう、おかしくなりそうだった。いや、おかしくなっていたのだと思う。

とにかく、とにかく、生きていてほしいと思った。


でも、人の命は、祈ったところで、どうなるものでもない。

たまたま、私の子どもは、命を取り留めた。

その夜に知らされなかったことがある。実際、私の子どもは具合が悪く、呼吸が止まることもあったのだ。それが、何秒だったのか何分だっだのか、知る由もないが、子どもは奇跡のように生きていてくれた。

シスターも私を落ち着かせるために、ちょっと嘘を言ったのだ。

何かあれば私に真っ先に連絡がくるというのは、嘘だった。私は、子どもの呼吸が一時でも止まったことを、知らないまま夜を過ごした。

ともあれ、次の日には、主治医から、呼吸が止まることがあるから、注意をしていること。赤ちゃんの病気は、実際のところ、赤ちゃん専門の自分にも、わからないことの方が多いこと。など、説明を受けた。

その説明を心静かに聞くことが出来たのは、その主治医は、とても大切に私の子どもを抱っこして、ミルクを飲ませてくれていたからだ。文句は出てこなかった。

いつ呼吸が止まってもおかしくないほど、私の子どもは弱っていた。


だから、私の子どもが生きて息をしていることは、奇跡だった。


「どんな状態になってもいい、ただ生きていてほしい」

そう願った子どもは、その後、半年で首が座り、1歳でお座りが出来、1歳半で寝返りを打った。2歳でハイハイをして、3歳で摑まり立ちをして、4歳で立った。5歳で歩き初めて、7歳でおむつがとれた。

「ただ生きていてほしい。」
ハードルを下げて始まった私の子どもの人生は、喜びに満ちていた。

そして、意図せずして、出会う子どもたちのハードルも下げ続けてきた。

多くの子どもたちは、親の期待や、大人の望みに答えようと、頑張っている。頑張らなければならないと思わされている。

しかし、子どもに「勉強しなさい。」と言う大人が、私の子どもを見たら、なにも言えなくなる。なにしろ、いろいろ出来ないのだから。そして、そのことは、子どもたちを楽にする。

「ただ、生きているだけでいい」

このメッセージを携えた私の子どもは、他の子どもたちも幸せにしてきた。



2019年7月20日(土)参議院議員選挙投開票日 前日

山本太郎さん率いる「れいわ新選組」の選挙活動最後のイベントが新宿で行われた。

その様子をネットで見ていた私は、比例区特定枠から立候補のふなごやすひこさん、木村英子さんの応援に現れた、海老原宏美さんのスピーチに、驚きと、やっぱりという思いを持った。

呼吸器ユーザーの海老原宏美さんは、呼吸器を小脇に抱えて旅をしてきた話をしてくださった。

「日本ほど、呼吸器ユーザーの地域生活ということが定着している国は他にありません。先進国とされている欧米でも、ほとんどの人が、呼吸器をつけるくらいなら、死んだ方がまし、という価値観や、圧力で死に追いやられている状況があります。実は日本ってすごい国なんです。私も、日本に生まれてよかったと思っています。」とおっしゃった。

私は、ちょっとした驚きのあと、尊厳死という選択肢のある欧米なら、そうなるわなーと納得した。

実は、日本でも病気の進行などで、呼吸器をつける段階で、7割の人が呼吸器をつけずに、死を選んでいるという現実があるけれど、欧米はそれ以上ということだろう。

私は、日本でも尊厳死を取り入れようという動きがあることを危惧している。
苦しみを長引かせないように、などと言われれば、説得されそうになるが、苦しみを取り除くことは、医療的な処置で対処してもらおう。死んで楽になるという選択肢を用意しようとしているのが、誰なのか?見定めなければならない。

医学も科学も、人間に関して解明したことなど、僅かだということを思い出してほしい。
また、今後AIの発達が、完全に植物状態とされている人の心の声を聞かせてくれる日が来るかもしれない。


今、「死にたい」という人がいたら、「ああ、そうですか。勝手に死んでください」という社会はいやだ。
ましてや、「人に迷惑かけずに、ひとりで死ね」という社会は辛過ぎる。

「死ぬな」

「生きていてくれ」

そう言える社会でなければならない。

山本太郎さんが、ふなごやすひこさんを特定枠に指名したことの意味はそこにある。

命の線引きがされる社会が、もうそこまで来ていることに気づいているのだ。

尊厳死だとか、医療の行きすぎだとか、その当事者の居ないところで、議論しようとしているのだから。

重度の障害者になっても、死に追いやられることなく、社会の真ん中で、安心して暮らせるとしたら、こんな安心なことはないではないか?

私たちも、年をとって体が動かなくなっても、生活してゆくことが出来ると、ふなごさんが見せてくれるのだから。


私たちは、豊かで、優しくて、多様で、楽しい未来の入り口に立ったのだ。

書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。