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詩「コロナ」

コロナだった
一日で高熱を発した息子28歳と
一日遅れでじわじわと熱が上がり始めた59歳の私は
歩いていけるクリニックで検査を受けた
「やはりコロナですね」
医師はそう言って紙を取り出し説明を始める
私は立っているのもやっとで、これがあの有名な倦怠感なのかと思う
医師の説明は簡単で「ここに登録をして、ここに電話して、8日間は家に居てください」とのことだった
この状態で自分で登録をしろと
コロナでなければ、帰りはタクシーを呼ぼうと、勇気を振り絞って考えたのに、それも出来ない
息子の機嫌を取るためにコンビニに寄ることも出来ない
 息子には重度の知的障害があるから、この状況を理解し協力を得るのは難しい
 
いや、しかし、ひとつずつ片づけなければ
まずは、ここ1週間の福祉サービスをキャンセルする
コロナに関しては、罹ったら最後、すべてのサービスは切られる
普段の生活に介助が必要でサービスを受けているから、病気になったらさらに困るに決まっている
でも困っていると言っても、出来ることなどないのだ
コロナだから
 
国会議員に障害当事者がなったことで、コロナで入院した場合に、介助者が付くことが許されるようになった
 
しかし、ケアラーがコロナになった場合は、まだ、なにもない
 
それは、小さな子どもを抱えたお母さんがコロナになっても、介護の必要な高齢者を抱えた家族がコロナになっても、だ
なにもない
ただただ耐え忍べと言うのだ
 
耐え忍べなかった人の中から、死者が出る事態になっているのに、「御気の毒様」の一言で葬られている
 
私は、とにかく登録をして、必要なところに連絡をして、床に付く
気が付けば「ママ」「ママ」と呼ぶ声がする
生活全般に介助の必要な息子がトイレから呼んでいる
布団から這うようにして起きて、トイレ介助をする
 
次に気が付いた時には、私の頭は起き上がりこぶしのようにぐらんぐらんしていた
息子が「ママ」「ママ」と言いながら、私の頭を押しているのだった
私の頭は手を離すと起き上がった
起き上がっては息子が押していた
息子が手を離し、私の頭が起き上がったところで
「どうしてそんなことしてるの」と聞く
が、聞くまでもない、退屈なのだ
 
次に気づいた時には、息子の泣き声が聞こえた
ごんごん泣いている
これだけ大号泣をしているということは、私は遂に死んだのか
それとも死にかけているのか
いや生きている
「お母さん死んでないよ」と目を開ける
息子が何筋も涙を流した顔で『ほんと?』という顔をするから
「本当だよ」と答える
息子が泣き顔のまま笑う
 
「お母さん、死なないように寝ているの。それはわかる?」
「うん」
「寝たら直るから、寝かせてね」
「ぶぶー」(嫌だ)
それはそうだよね
お腹も空いたよね
 
ご飯だけでも息子に食べさせてやらなければ
とにかく困ったらかけるように言われていた窓口に電話をする
問い合せ窓口は仕事が細分化されていて、まずはなんの電話かを振り分けられる
「医療についてはこちら」「宿泊療養の申し込みはこちら」「障害者のケアについてはわかりかねます」
私が窓口の人へ、困りごとを伝えようが、要望を伝えようが、問題は共有されることもない
それは彼女・彼らの仕事ではないから
 
私は宿泊療養を申し込むことにする
宿泊療養をするにあたり、息子と同室でなければならない理由として、知的障害のことを伝える
私と息子が別室で、息子に介助者がついてくれるなんてことは夢のまた夢
それでもかすかな希望を捨てきれず、障害者に対しての配慮などあれば、お願いしたいと申し伝える
この3年間、知的障害者もコロナになったろう
ケアラーもコロナになったろう
みなどうしていただろう
 
何度目かの確認の電話で、息子に関してこんな質問をされる
「息子さんは夜大きな声は出しませんか」「息子さんは28歳ともなれば、お母さまより力が強いと思われますが、お母さまが押さえきれない場面でもスタッフは手伝えませんが、よいですか」「迎えの車で、他の方と同席することもありますが、息子さんは、知らない人と同席しても大丈夫ですか」
 
28歳知的障害者に対する都の職員のイメージはこれだ
大声を出す
母親が押さえられない力で暴れる
知らない人に危害を与える
 
これら、失礼極まりない言葉に、私が怒らなかったのは、相手の声が小さかったからだ
とても小さな丁寧な声で、とても失礼なことを言った
職員はなにかの訓練を受けているのかもしれない
これは行政が一般市民を相手にした時の、慇懃無礼なやり方だ
一見丁寧なのに、中身が失礼だということは、もうずっと私たちはバカにされ続けているのだ
 
この国は、1900年に「精神病者監護法」に基づき『私宅監置(したくかんち)いわゆる座敷牢』を行ったのだ
国が閉じ込めておきなさいと言ったのだ
それは1950年まで続いた
1950年『精神衛生法』後には、精神病院に入院させるという今に続く人権問題を孕んできた
精神病者に知的障害者も『白痴』として含まれた
 
国によって人権を奪われて、閉じ込められて、暴力を振るわれれば、亡くなった方も居ただろう
暴れた人も居ただろう
 
過去を反省することのないこの国で、障害者にしていることは、閉じ込めて、管理するということであって、福祉ではない
当然、今も抗う人は居るだろう
知的障害者は暴れるとか、大きな声を出すというイメージは偏見だ
そもそも行政の間違いによって、引き起こされてきた問題だというのに、その負の側面を負わされて、今も、障害者が偏見と闘うなんて、理不尽過ぎる
 
しかし、窓口の人と争うことに、なんの意味もないことくらいは、学習してきた私は、相手の求める答えを口にする
「夜大きな声は出しません」「暴れることもありません」「同席する人に危害を与えることはありません」
 
そうやって、やっと宿泊療養が決まった
それを聞いた息子の喜んだこと喜んだこと
ホテルに泊まれると知って、バックに絵本を入れている
『2冊は重くなると思って、一冊にしたよ』と無邪気に笑っている
この子にいったい何をしたら、暴力を振るうようになると言うのか
 
 
 


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