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1本目、吉行淳之介『薔薇販売人』

冬を見た。
朝の微睡に。日の短さに。押入れから出したニットの匂いに。灰色の世界に。切れるような喉の痛みに。水色の作業着を着た、落ち葉の清掃員に。駆り立てられるように過ぎる時間に。珈琲を入れたとき、部屋いっぱいに広がる香りに。刺すように響くオルゴールの音に。煙草の匂いが染み込んだ暖房に。水気のない肌に。そして昨日は、枯れた薔薇に。

買ってすぐ、薔薇は枯れた。枯れてしまった。乾燥した室内で、すぐに萎れた。ごめんよと、そのまま吊るした。ひとつふたつと麻縄で結って、さかさまにぶら下げる。ドライフラワーなんて悪趣味なものを発明したのは誰なんだろう。生命を閉じたものを、自分の都合で残そうとするなんて自己満足もいいところだ。とはいえ、気持ちもわかってしまう。それくらい花には存在感があって、あるだけでその空間に緊張感が生まれる。無機物よりも迫力があり、有機物よりも機械的な、そんな花を、ましてや薔薇を、すぐ捨てることなどできるものかと思わざるを得なかった。

薔薇はしばしば芸術家をそそるものとして、あらゆる作品に登場する。こと文学においては、薔薇をどのように作品の中で配置させるかに、作者の技量を見ることができる。ありきたりな素材だからこそ、難しい。愛の象徴なのか、憎しみや嫉妬の隠喩なのか(都合よく棘まで生えてある)、愛ならばそれはどんなものなのか。安定したものか、刹那的なものか。どのような人と人の関係性を示すものなのか、そしてそれがどう変わるのか。

薔薇を扱うこの短編が、僕は好きだ。

薔薇販売人 (角川文庫) 

この中の一編。

本作のあらすじは、主人公が、飲み屋で聞いた話をもとに、薔薇の行商人として一人の人妻に迫っていく。出歯亀の性癖をもつその旦那は、自分の妻と主人公が、うまく懇ろな関係になるよう二人の心を刺激してみたりする。彼に覗かれていることを知りながら、二人は身を重ねるというもの。

この作品の中で、薔薇は単一のメタファーとして用いられておらず、あらゆる愛の形を象徴しうる存在として書かれている。
主人公が人妻に近づく際は、ロマンチックなものとして、人妻の正体を知り、惹かれゆく際は、乱倫な愛の象徴として、薔薇は位相を変え続ける。

「昭和の銀座で一番の色男」と言われ、その死後も、本妻と複数の愛人が、だれが一番の理解者であったか争われるような男。ミソジニストと非難されることも、父親との関係に生涯苦しんだ男とも、体の弱い優しい文学少年とも、第三の新人の筆頭として、文壇を騒がせた天才とも、一言で言えば時代の寵児であった吉行淳之介の処女作である。

ものやひとの状態や、互いの関係性は、常に変わりゆくものだ。あらゆる画角で切り取られた吉行だからこそ、薔薇を一義的な象徴に据えることを避けたように思う。

作品の中で、男と女の関係性を単一に描かず、意図的にゆらぎを作る吉行の手腕に、僕は色気を見続けてきた。
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