なんか、GPAなんて要らない。

真面目いい子キャラ。
私の中の最大の悩みだ。

親からも、友人からも。周りの大人からも。

「まじめでいい子だよね」

実はこの言葉が自分にとっては一番傷つく。

でもその言葉が
小学校に上がってから今に至るまでの
13年間、ずっとこびりついてきた。

いくら拭き取ろうとしても
逃げようとしても

そのサビが永遠にとれる感覚はない。

そもそも、
本当に人にやさしくて
本当にまじめで
本当に純粋で
本当に誰にでも平等ないい子ちゃんなら

こんなひねくれたnoteなんて書いてない。

どんなに悩んでも
どんなに頭の中で、ずっともやもやしたことを
ひねり出して表現したとしても

「頭がいいからついていけないよ」って
すぐ流される。

なにが「頭がいい」だ。

そんな表現はなくなればいいの。

人の能力を頭で測るのなんて
大学受験でもあるまいし、しょうもないから
さっさとやめてほしい。

だから自分も人のことを能力で測ることはやめた。

確かに、ICUいたら、
世間でいう「頭がいい」人なんて
山ほどいる。

秀逸すぎる例え話ができる人。
突出してエッセイがお上手な人。
一言一言が人生二回目ですかってくらい深い人。

でもそれも、何もせずに出来上がったものじゃなくて
経験があったからこそできること。

ちっちゃいことだってそう。
自分がPCのタイピング早くなったのもそう。

その当時、自分はブラインドタッチができなくて、
父親があまり早くないタイピングを
「ブラインドタッチができると便利だぞ~!」
とか言いながら、一つ一つ教えてくれたことが始まりだった。

YouTubeで「寿司打 高級コース クリア」とか調べて
既に本物の「速いタイピング」を知っていた自分にとっては

「何をたいして速くないくせにえらそうに」

とかたいしてタイピングが速くない自分が思いながら

それでもなんとなく悔しいから、
受験が終わってひたすらe-typingをやり続けた。

お陰様で、レポート作成・授業ノートには
困らないくらいまでは速く打てるようになった。

脱線したけど、個体差があるのは当然だけど、
経験でカバーできる部分って案外多いような気がして

でもこの考えも、数週間後には変わるような気がして。
でもそうなることも問題ないような気がして。

だからもうちょっとだけ肩の力を抜くtipsを身につけられたような気がして

自分を取り巻く誰かから
「しおんは素直で優しいよね」なんて言われてたのも

結局は、力が抜けていない
完璧を演じようとしている一部分だけをさらしてたってことなんだろうな
って思うことができた。

だから、なんか、最近はちょっとだけ、
勿論苦しいことなんて山ほどあるけど

本当にちょっとだけ生きやすいような気がする。

でももちろん義務教育の弊害は勿論あって。

成績を取らなきゃ、GPA稼がなきゃ、Aとらなきゃ。
自分が生きやすくなるために
そこで力を抜こうとすると
奨学金とか留学とか。

残しておきたい選択しを殺してしまうことになるんですよね。

好奇心を追求できる機関が大学であるならば、

なぜ、教授の思想に寄せた、意見、レポートを出さなければいけないんだろうか。

建前をずっとずーと築いてきた自分にとってはもう限界。

GPAなんてくそくらえ。
思ったことくらい書かせろよボケ。



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