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【連載】蜘蛛の手をつかむ-第1話

 立木陵介たちきりょうすけ菜緒なおと交わした最後の言葉は、「蜘蛛くもの巣、何とかしておいてね、陵ちゃん。お願い…助けてよ」だった。お願い?助けて、陵介には確かにそう聞こえていた。

 第三総合病院で爆破テロが起きた。病院内でのテロとあって、マスコミはひっきりなしに遺族からコメントを聞き出そうとする。その一人が陵介だった。陵介は、菜緒が最後に残した言葉の意味がわからなかった。どうして、自分に助けを求めていたのか。

 妊活にすべてを捧げた三十代、あきらめを決意したのが去年、二人が四十歳を迎える年だった。子どもがすべてじゃないよね、菜緒は自分に言い聞かせるように言っていた。

 今日、菜緒は会社を休んでいた。

 第三総合病院になぜ、菜緒がいたのか。何か病気だったのか、陵介は知るすべもなかった。
 立木陵介が立木菜緒の死亡を聞いたのは、五月七日月曜日、午後四時半だった。病院に収容された、爆破テロ被害者のうち重傷者は五名。菜緒もその一人だった。菜緒が最初に亡くなり、その後五分置きに、残りの四人が亡くなった。遺体の損傷は激しく遺族でも判別が不可能なほどだった。

 遺体の安置室前は遺族たちのすすり泣く声、叫ぶ声、怒号、あらゆる感情がひとつになって渦を描いているようだった。飲み込まれると、感情を支配される。普段から死に直面している医師や看護師たちであっても、感情がどこか渦の中心にもっていかれそうになっていた。

亡くなったのは五人。
立木菜緒:出版社勤務・既婚・四十一歳
柏原楓かしわばらかえで:大学生・独身・二十一歳
大戸真由美おおとまゆみ:看護師・既婚・三十三歳
音原音也おとはらおとや:ミュージシャン・独身・五十五歳
不破譲ふわゆずる:無職・身元年齢不詳

 亡くなったのはこの五人だった。亡くなった順にマスコミが報道した。マスコミは最後に亡くなった不破譲が怪しいと報道していたが確証はないのに冤罪えんざいをでっち上げていると、ネットで炎上していた。

 不破譲が亡くなったと同時に緊急ニュースが報道された。先週から行方不明だった奥野麻衣子おくのまいこちゃんが無事保護されたのだ。それも、爆破テロがあった第三総合病院の一階、爆破テロがあったフロアからだった。病院内の入り組んだ位置にある女子トイレで難を逃れた。

 奥野麻衣子は小学校からの下校中に誘拐された。マスコミはこの二つのニュースの報道に躍起やっきになっていた。
 奥野麻衣子はまだ十歳だったが、しっかりした子だと町内や学校でも評判だった。知らない人についていくはずはないと両親は警察に訴えていたことから、事故の可能性が高いとも考えられていた。

 保護されたその日、麻衣子はどうしても記者会見を行いたいと言い出した。しかも自分でコメントをしたいと言い出して話題になっていた。
 病院にかけつけ憔悴しょうすいしきっていた陵介は、正直誘拐事件の記者会見に興味はなかった。ただ同じ病院でということが気にはなっていた。同じ場所で二つの事件、それぞれが絡み合うことなどこの時の陵介には想像もできなかった。
 ただ、どうして菜緒がテロの犠牲にならなければならないのか、そればかりを考えていた。
 
 夫婦仲は悪くはなかったが、不妊治療を止めてからはどこかギクシャクしていたと感じていた。陵介は何を間違えたのだろう、どんな罪をおかしたのだろうと自分をせめることでしか、菜緒の死を理解できなかった。
 
 愛情深いというわけではないが、自分は浮気もせず菜緒を愛してきたという想いはあった。ただ、菜緒がどこまで自分のことを愛してくれていたかわからない、陵介はわかりっこない菜緒の愛情を想像して気を紛らわせていた。
 遺体を最終確認するまでの間、待たされることになった。陵介はネット配信の記者会見を見た。すでに麻衣子の記者会見は始まっていた。

「麻衣子ちゃん、どんな人に誘拐されたのか覚えている?」
麻衣子はまっすぐ正面のカメラを見て答えた。
「覚えていません。顔も見ていません。どうしても言いたいんです。聞いてください。今日起きた第三総合病院の爆破事件、不破譲さんは犯人ではありません。別の人が犯人です」

 十歳の女の子の発言に各局はテレビ中継を中断した。どこもスタジオに画面を切り替えた。コメンテーターは皆苦笑いをし、自分にコメントを寄越すなというオーラ―を出して、司会者に目配せしていた。

 唯一独立系ネット放送局が、ライブ配信を行っていたので誰もがアクセスした。陵介もネット配信サイトにアクセスした。アクセスが集中しすぎてつながらない。隣にいた柏原楓の兄のスマホがネットに繋がり、陵介は食い入るように会見の続きを見た。

「麻衣子ちゃんは、爆破テロの犯人を知っているの?」
「誰かはわかりません。でも私を誘拐した犯人と同じ人です」
 会場がどよめく。
「みんな忘れないでください。また今日が戻ります。このまま覚えている人、犯人を捕まえてください」

「犯人の特徴わかりますか?」
 空気を読まないリポーターが割り込むようにして質問をした。打って変わって会場が静まり返る。誰もいないくらいに。
 記者会見の司会者が咳払いをした。中断させるためなのか、それともただの咳なのか。マイクが音を拾い、やたらと会場に響いた。

 咳払いの音が静まった次の瞬間、麻衣子が口を開いた。
「テニク…」
 静まりかえった会場で、はっきりと聞き取れた。【テニク】と配信先の柏原遥の兄のスマホからも聞こえた。

 数十秒後、ネットがつながらなくなった。
 スマホのデジタル時計が高速で動いている。時間が逆回転し始めた。腕時計が逆回りをはじめ、すべてが光に包まれた。
―覚えていなければ、このことを覚えていなければと、陵介はスマホを取り出した。
【犯人は誘拐犯と同じ・テニク】、とメールを打ち込んだ。犯人の特徴はわからずじまいだった。テニクとは何だろう、陵介は考えながら意識を失いはじめた。そして、これはきっと夢だと思うようにして、目を閉じた。夢なのに目を閉じるのはどうもおかしい、とも感じていた。

 五月七日月曜日
 コーヒーの香りで目が覚めた。

「陵ちゃん、起きてよ。フリーランスだからっていつまでも寝てていいわけじゃないんだから」
 菜緒の声が聞こえた。

 陵介は自分がベッドで寝ていることに気づいた。ベッドサイドに置いていたスマホで日付を確認した。五月七日・月曜日六時二十八分。夢だったのか、陵介はスマホのロック画面に新着メールのポップアップを確認した。

 自分が一か八かで送ったメールだった。メールの内容は【犯人は誘拐犯と同じ・テニク】とだけ書かれていた。陵介は、夢ではないとはっきりと理解した。
 未来から過去へ、メールが送られてきたということになる。そんなことできっこない、と科学者は言うかもしれないが、誰も未来から過去にメールを送って、過去側で開封したことはないのだから反論しようがないと陵介は考えた。

 陵介は仕事柄記憶はいい方だと自負している。フリーのコピーライター、言った言わないの口約束で仕事も請け負う。ギャラでもめることなど日常茶飯事だ。
 金勘定にシビアでないとフリーランスはやってられない。だからこそ、相手の言葉やしぐさ、つまり言動への反応値は高い、陵介がサラリーマン時代に培った悲しいまでの習性だった。だがその習性に、今助けられていると実感している。

 記憶は予想通り残っていた、だが陵介はさほど驚きはしなかった。夢は見ない、だから何か記憶に残っているのなら、それは現実にあった出来事だと思い光に包まれながら目を閉じたのだ。陵介はベッドから起き上がり、あの惨劇さんげきを明確に思い出していた。ニオイや音、遺族たちの悲しみの渦まで、しっかりと。

 想いにふけっていると、一気に現実に引き戻された。
―そうだ、菜緒は生きているのか?

 陵介はコーヒーの香りで誰かの気配を感じていた。
「菜緒、菜緒!」
 母とはぐれた子のように、陵介は狭いマンションの中、菜緒を捜し歩いた。廊下を抜けて、キッチンまで五秒程度。菜緒はキッチンで朝食の準備をしていた。

「あ、遅いよ。今日私病院行くんだから」
 とっさに陵介は菜緒を抱きしめ、病院に行くのを制しようとした。

「ダメだよ。今日どうしても病院行くんだから、バス乗り遅れちゃう」
「菜緒、行くな。今日はダメだ」
「どうしたの陵ちゃん、もしかして」
「菜緒、何か知ってるよな。この後起こること。知ってるよな!」

 菜緒は陵介を巻き込んでいることを後悔した。
―陵介が言うことはわかっている。おそらくすべてもう試し済みだ。それでも陵介がこのタイムリープの存在を知ったことに何とも言えない安心感を覚えていた。やっと分かち合える、菜緒はこわばりながらも顔が緩んだ。

「やっぱり、戻って来たのね」
「どういうことだ?」
「時間がないから端的に言うわね。これは爆破犯であり、奥野麻衣子ちゃんを誘拐した犯人が仕組んだ完全犯罪なの」

 菜緒は朝食を作る手を止めずに流暢りゅうちょうに話す。
―これが陵ちゃんに作ってあげられる最後の食事になるかもしれない。菜緒はここのところ毎回この朝食に覚悟を込めていた。

「爆破テロで死ぬのは、たぶん私を含めて五人。あの中に犯人はいない。それくらいはわかるもの。何度も、繰り返しているから」

 菜緒は何かから解放されたかのように、話し始めた。朝食を作る手が止まった。その手先は細かく震えていた。

「セーブデータってわかるよね。陵ちゃんゲームよくしてるから」
「あぁ、ゲームやめたところからもう一度始めるってアレだろ」
「誰かが言ってたの、いつも同じところに戻るって、あれセーブデータと同じじゃないかって」

 亡くなるはずの五人は何度もこの世界を繰り返している、陵介は菜緒からの会話で確信した。

「それなら、ループの話、言ってくれればいいのに」
 陵介は菜緒の手をとりながら言った。
「言ったよ」
「いつ?」
「二回前に」
「でどうなったの?」
「この通りだよ、何も変わらない」
菜緒は、続けた。
「おそらく、だれかが犯人のことを話すとループが始まるんじゃないかな」

「たしか、あの子が記者会見した時点でループが始まったと思う。犯人の特徴を言い始めると」
陵介はループ前の出来事を思い出しながら菜緒に話した。

「そうなんだ、麻衣子ちゃんが記者会見したんだ。あの日?すぐに?」
「そうだよ、菜緒たちが亡くなってすぐぐらいかな」
 陵介は確かな記憶をもとに、菜緒に話す。
「そうだったんだ。あの子、テロの犯人を知ってるんだ」

 陵介はこの朝の菜緒の言葉が重要なキーワードだと、気づいていた。
―――「これは爆破犯であり、奥野麻衣子ちゃんを誘拐した犯人が仕組んだ完全犯罪なの」

 どうして菜緒は【奥野麻衣子】って名前を知ってたんだ?ループしていて知ったのか?それに普通に考えたら麻衣子が記者会見話す犯人といったら、【誘拐犯】についてだ。どうして、テロの犯人を知ってるって思ったんだ。そして、会見でしか知りえない「爆破犯=誘拐犯」だとなぜ知っている?
陵介は頭の中の整理が追い付かない。

今、菜緒を問いただすのはやめた。今じゃない、聞くならもっと情報を集めてから。次の回だと、陵介は考えた。

「でも、ループの話を二回前にしてくれたなら、何か変わったんじゃないの?」
「それは…」
突然、菜緒が泣き始めた。
「それは?」
「亮ちゃんが死んじゃうんだもん。私の代わりに」

 代わりに自分が死ぬことに陵介は現実感を持てなかった。だが、起きて二十分そこらの眠いアタマでもわかる。
 どうやら、簡単に運命を変えられそうにはないようだ、陵介は覚悟を決めた。そしてこの菜緒の涙は嘘ではないと、直観で感じた。

「そう言えば、テニクってなんだ?」
陵介は、麻衣子が記者会見で最後に放った言葉が気になっていた。
「テニク?」
菜緒にもわからないようだった。そりゃそうだ、麻衣子の記者会見時には菜緒たちは死んでいるのだから。

 陵介は時系列を頭のなかで整理し始めていた。陵介はコピーライターであったが、メインはプランナーだ。広告の企画全般を考える仕事だ。クライアントの頭のなかで渋滞しているアイデアや要望をクリエイティブのレベルまでに昇華しょうかさせることを得意としていた。

 菜緒が病院へ行く時間が近づいてくる。菜緒が行かなければ、確かに菜緒は助かる。だが、ループからは逃れられないらしい。また、この朝から始まる。菜緒が実際に試している。

ただ、どうも菜緒がわざわざ死にに行く理由は他にもあるんじゃないかと。陵介は確信した、菜緒は何かを隠している。

「じゃぁ、亮ちゃん行ってくるね。それと、蜘蛛の巣なんとかしておいてね」
「こんな時に蜘蛛の巣なんて」

「じゃぁ、行ってきます」
菜緒はいつも通り、靴を履いてリュックを背負って、鍵を開けドアノブに手をかけた。陵介を見ようともしなかった。

「菜緒!」
 陵介は菜緒を力いっぱい抱きしめた。

 菜緒は陵介の首元の懐かしいにおいを感じていた。
―陵ちゃんのにおい、きらいじゃない。
菜緒は陵介の腕を振りほどいて、ドアを開けた。
「また戻ってくるかもね」

(つづく)

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