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サウイフモノニ ワタシMO ナリタイ


宮沢賢治ゆかりの地

旅していると、知らん間にいろーんな人やもののゆかりの地にたどり着くって前にも書いたけど。


あるときは気がついたら宮沢賢治ゆかりの地にいた。(岩手)
なんで気づいたかって言うと
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」て書いたTシャツがいっぱい売られていたから。

ほいで興味がでたから、Kindleでダウンロードして全部読んでみた。

このときまで、わたしはこの詩をめっちゃやる気満々な人の話かと思ってた。

けど、実際は…
なりたい自分を書き連ねるほどに
なんか奪われていく生気。
「サウイフモノニワタシハナリタイ」から漂うめっちゃimpossible感。


で調べてみるとこの詩を書いたのはやっぱり晩年。賢治さんは病弱。…やっぱり。というかんじ。
無知なわたしにもそう予想させる宮沢さんの表現力、さすがです。

このきもち、アレじゃん!

そんなかんじで旅先で宮沢賢治のすばらしい詩とその短い人生を知る事になったわけですが、この詩を読んだとき、わたしがちょくちょく白人旅行者を見てもつ気持ちとも似てる〜!と思ったので語らせていただきたい。

こんな多様性の時代に"白人"がどーのという主語の大きい話をすると気分を害される方がいないかちょっと心配ですが、わたしはやっぱりヒトの人種のちがいはイヌの犬種のちがいくらいはあると思っておりまして、そのうえでみんなちがってみんないいと思っておりますので、、そうそうそう。

でも白人白人と連呼するのってなんかどうなんだろう?と自分も思うので、タイ語で白人を表す「ファラン」でいってみます!
意味いっしょやけど。まあはじめます

雨ニモ風ニモ、デカイ荷物ニモ負ケズ

雨の中笑うファラン

車で旅をしていると、雨が降った時、
「ああ、車でよかった」と心から思う。

でもそんなときでも、窓の外に見えるファラン旅行者たちはカサもささずにデカイ荷物を背負って笑っている。
それを見て夫とふたり、
「ファラン…あいつらつえーよ。」と言う。

全天候型。彼らは多分イヌで言うと、ゴンゴン笑ってソリ引けるタイプの犬種と思う。

息をするようにイチャつき、

イチャつく人間をあらわした雑な絵


ファランたちはいつもイチャついているけど、その姿もなんか自然で爽やかである。

ライオンのカップルがサバンナでスリスリしている光景と同じくらい微笑ましく自然と調和したナショナルジオグラフィックなイチャつきかたをする。
それがヒト科ファランである。

体型年齢かんけいなく水着を着ル。

わたしは常々思っている。
水遊びはいくつになっても楽しいのに、海や川はみんなのものなのに、なぜ年齢や体型を気にして水着になるのを躊躇しないといけないのか。

それはこの島国の人がいちいち美しいとか見苦しいとかジャッジしてきそうだからじゃないですか?ヒソヒソヒソって〜こわい。
そーゆーのから自由になりたい。

ファランは解放されて見える。
自分の人生に集中していて、小さなスケールで他人をはかるという遊びには興味なさそう。

映え写真を追わず、観光に貪欲にならず、リラックスしているだけで絵ニナル。

夕日のきれいなスポットや宗教建築物とかに行くと、多くの人が写真撮影に夢中になる中、ファランがしっぽりたそがれていたりする。

彼らは30分以上ケータイも見ずにたそがれることができるのだ。
あと海外にまで来て観光に出かけず1日ホテルのプールで読書をしたりできるのだ。

わたしの夫は特にそんなチルの素質がない。ゆったりボーッとするということを4分くらいしかできない。
わたしはかなりできる。やろうと思えば多分4日くらいボーッとできる。
しかしファランとのちがいはボーッとしている姿がサマにならないことだろう。


サウイフモノニ ワタシモナリタイ。ケドマーイッカ。

とまあそんなかんじで、ふと見かけるファランのフィジカル、メンタルの強さやその佇まいにあこがれちゃってるわけだが、意識してマネしても絶対ああはなれないのであきらめている。
芝犬がゴールデンレトリバーに憧れても意味がないのと同じである。

最近は地元でもよくファランを見かけるようになった。
こんな田舎にやってくる外国人はほぼ全員お遍路さんである。

見かけるたび夫と「あいつら強いなあ」「あいつらの所作こなれてんなあ」「髪ボサボサでも妙にキマってんなあ」と賛美を送りつつ、われわれはわれわれの生態を生きる。

この世はそんなZooである。(きのう砥部zoo行った)




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