利き手をやっちまった女のしあわせ
この歌、ずっと右手をケガした人の話だと思ってるんだけど合ってますか?
『ケガで済んだわたしは左手で生活するのにも慣れたし髪も伸びたし風邪も治ったけどその事故で亡くなった恋人は帰ってこない』
的なはなしと思ってるんだけどちがう?
だとしたら悲しいね。
右手ケガしてからあたまから離れんこの歌。雪にあこがれるとこも共感するし…
まあ、そんなことはおいといて、
前回のnoteに書いたかくかくしかじかで負傷し、実家に引っ込んで3日ほどたった。
両ヒザも擦りむいてるし弁慶の泣きドコロもボッコリ青タンになってるけど、
やっぱり生活にいちばん支障をきたしているのは包帯グルグルの右手。
手のひらと小指のすり傷、手首の捻挫、ヒジの打ち身と、転倒の衝撃を右手が一手に引き受けちゃってるのだ。
この数日いろいろと挑戦してみた結果、
しゃもじはもてるけどごはんはすくえない。
(ならもつな)
髪がむすべない。
シャワーは右手をビニールに包んでなんとか可。
水仕事は全部むり。
てゆーか家事全般むり。(元々という説もある)
ウンコ拾えないからひとりで犬の散歩もムリ。
手首が痛くて車のシートベルトをつけるのも手伝ってもらってる。
トイレでパンツを上げ下げするのもけっこうつらいけどここはさすがにひとりでがんばっている。
つまり超絶役立たずになっている。
不便だし、痛いし、もうしわけないし、つらい。
でも…わたしのバカヤロウ!
じつは、健常時にやってたらオカシイくらいのめんどうを見てもらうことになんか幸せを感じてしまっているのだ。
夫に髪を結んでもらいながら、ニマニマしてしまっているのだ。
片手で食べれるようにって夫と母が力を合わせてムーピン(タイ風豚串)をつくってくれるのを至福の気持ちで見てしまうのだ。
この感情、あぶない。
ミュンヒハウゼン症候群ってこういう感覚からくるのかなあ。
しかしさっき食事中の雑談で、父が今までふつうじゃないくらいの回数事故って負傷していることが判明した。(木から落ちたりバイクでこけたり高いところから飛び降りたり箸が舌に刺さったりetc… )
また、その話をする母の表情で、あんまり自らの過失で負傷を繰り返すともうさほど同情を得られないということも判明した。
…わたし、より早い回復につとめようとおもいます!
よろしくお願いします!
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