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エッセー集『同じ月を見あげて ハーモニーで出会った人たち』が出ます 2

 初めてのエッセー集「同じ月を見あげて ハーモニーで出会った人たち」(道和書院)が、4月26日に発売になります。
 私の勤務先であるハーモニーは、統合失調症を始めとする心のトラブルを抱えた人たちが通所する場所。そのハーモニーで30年近い年月の中で出会った人たちと私のストーリーを綴ってみました。

 仕事が終わり、作業所のシャッターを閉めながら、空を見上げると月が見えます。帰ってくる家がないまま長く入院している人、自宅から出られなくなってメールだけでつながっている人、劣悪な職場で働き続けている人。連絡の途絶えた人。気になる人の顔が次々に浮かんできて「あの人もこの月を見ているかな」と思い、連絡を取り合いました。タイトルになった「同じ月を見あげて」はそんな自分とハーモニーの人たちとの日々を表した言葉です。
 そんな話が15章分、詰まった本です。

*本の中に入れることのできなかった文章も多くて、泣く泣くカットしてもらった章の一部を紹介しようと思います。


同じ月を見あげて
ハーモニーで出会った人たち

<予約はこちらから>
出版社サイト  Amazon

新澤克憲(著)
発行:道和書院
初版発行: 2024年4月26日
体裁・総頁: 四六判並製・272頁
ISBN: 978-4-8105-8105-3063-4 C3047
装画: ウルシマトモコ
装幀: 高木達樹
定価 2,000円+税
発売予定日: 2024年4月26日   


りゅういちさんが萩本欽一に会った話

 昼食が終わった頃、りゅういちさんがやってくる。丸い体を揺すりながら、階段を上がってくるチェックのシャツ姿のりゅういちさんがガラス窓越しに見える。喘息が酷くなり、少し歩くと息が上がってしまうので、ここ数年はクリニックに通院するついでの時か、特別に用事がある時しか現れない。ソファーに座って一息つく。やはり今日も駅前にあるクリニックの帰りで、途中、蕎麦屋によってカツ丼を食べてきたという。

 りゅういちさんは73歳。もうすぐ90歳になる老ドクターに50年近く診てもらっている。総合病院の精神科に入院した時の主治医だった人だ。時々、薬の処方量を間違えたりするが、それ以外は、だいたい、信頼できるそうだ。それに処方箋が間違っていても薬局が気がついてくれるんですよとりゅういちさんは言う。
 いつものように、お気に入りのCDをポーチから取りだし、誰かがコンポに入れたままだったクラシックを取り出し、かわりにポール・マッカートニーのアルバムをセットした。りゅういちさんは、来日公演に出かけたほどのファンなのだ。
 りゅういちさんはアコースティックギターが得意だ。以前は、ハーモニー主催のコンサートに登場しては、ビートルズナンバーを披露してくれたものだった。

 他に誰もいなかったので、オーディオコンポの横のソファーに座って、コーヒーを飲みながら話すことにした。ポール・マッカートニーのアルバムは「Ram」だった。りゅういちさんは「これが聞きたかった」と言って、曲をスキップしてボーナストラックの「Another Day」を流してくれた。そして、私たちはサビになるとチュチュチュチュと曲に合わせて口ずさんで、顔を見合わせて笑った。今日は若い頃の話をしに来たという。
 りゅういちさんは最近、メールで「白い人」の話をしたいと言ってくれた。

「70年近く前のことです。僕は横浜の鶴見区におじいさんとおばあさんとおかあさんと姉さんと住んでいました。自宅でおじいさんが末吉堂文具店という文房具屋をやっていて、それで5人で生活していたんです」
と、りゅういちさんは話し始めた。

「おお!その話は聞いたことがあります。お店は繁盛していたんですか?」

「うーん。小学校の頃には2階を増築したからお金がなかったわけでもないのでしょうが、生活は質素でした。みんなでご飯食べるのが楽しかったです。そういえば、練炭火鉢に鍋を置いてすきやきをやったなあ」

「火鉢ですき焼きができるんですね」

 私は小学校の前でよく見かける文房具屋を想像した。そんな店が自分の家だったら、どんなに楽しいことだろう。

「末吉堂文具店はいつも子どもたちで賑わっていて、ノートや鉛筆などはなくなるとお店のを貰えるので友達からうらやましがられました。文房具と一緒にプラモデルも売ってたんですよ。時々、祖父にねだってプラモデルを貰って組み立てて遊んでましたよ。楽しかったです」
 

 国会で総理大臣が所得の倍増を打ち上げ、日本は高度経済成長に向かって走り始めるには、まだ数年の月日を要したが、駅の東側の埋め立て地は工場が立ち並びはじめ、煙突からは黒い煙が吐き出されていた。りゅういちさんの住む西側は工場で働く人たちの社宅が少しずつ立ち始めた。
 家族は教育熱心だったが、本当のところを言えばりゅういちさんは勉強が好きではなかった。絵をかいたり、プラモデルを作ったり、夏祭りに出かけたり、当時の普通の男の子がするようなことが楽しかった。

「僕ね。少しおかしな子だったのかな。ほんとに小さなころの記憶なのですが。幼稚園に入る前のことです。自宅の文房具屋の釣り銭を、自分のこぶし一杯に持てるだけもって、バスに乗って駅前の本屋に行ったような気がするんです。」

幼稚園に入る前の子どもが一人でバスに乗るなんて今では、想像できない。

「なるほど。元気な子ですね」

「一人ぼっちで行ったんです。それで本屋で本を買って持って逃げました。」

いきなりの急展開だ。

「本を買って逃げた? 盗んだわけじゃないのにどうして。」

「何か体の中を突き抜けるような興奮があったんです。おカネの勘定も出来ない幼児です。本の買い方も知りませんでした。お金が足りないのか、多いのかすらわからず、お金を置いて本を手にしたとたんに逃げました」

「そんなに欲しかった本はなんだったのでしょう」

「江戸川乱歩の何だったかな?江戸川乱歩シリーズの表紙の絵の気にいったものだったか。それとも黄金バッドだったか探偵物です。」

「ああ。ちょっと怖いやつ」

私は小学校にあった江戸川乱歩の子供向けのシリーズを思いだしたが、時期とすれば、もう少し前かもしれない。

「うーん。いつも少年探偵団のラジオを聴いていたけれど、紙芝居屋さんも黄金バッドをやっていたから、黄金バットかもしれない。」

「でも、念願の本を手に入れて、走って帰ったんですね」

「走るというより、暴れていました。駅前の通りには車が沢山いて怖かったです。車っていうものがよくわからなかったです。」

「気が動転したのですか。」

「はい。僕は本をダッコして駅前の鉄塔に登ってしまいました。」

鉄塔!これは大冒険だ。私は、すっかりりゅういちさんの話にひきこまれていた。

「そこに誰がやってきたか、わかりますか?」とりゅういちさんは、ニヤリと笑って、私に問いかけた。

私には、想像もできなかった。りゅういちさんはちょっと照れくさそうにこう言ったのだ。

「それがね。欽ちゃん。萩本欽一さんが現れたんです」

「え?」

萩本欽一というと1960年代から人気のあったコメディアンだ。坂上二郎とのコンビ、コント55号で子どもから大人まで幅広いファンがいたのだ。りゅういちさんは続けた。

「萩本欽一さんが、なぜかボールとバットを持っていて」

「ボールとバット? 欽ちゃんは何か言った?」

「坊やちゃん野球やろうよ、降りてきなよと言いました。」

「僕はあまりたくさんのことがあったので気絶してしまいました。眠りコケました。」

 なんという展開だろう。欽ちゃんは白いシャツにゴム長靴を履いていたそうだ。
 偶然、駅前に来ていた近所の吉田ラジオ店の奥さんから、りゅういちさんが末吉堂文具店の孫だと聞くとうちまでりゅういちさんをおぶって送ってくれたという。

「お金がなかったのか、バスに乗らず、おぶったまま歩いてくれたんです」

家に帰って一息ついた時には欽ちゃんの姿はなかった。

そして、買ってきた本を開いたところ、そこで見たのは知らない記号や図形ばかりだった。りゅういちさんは、まだ字が読めなかったのだ。

 ここまで、一気に話すとりゅういちさんは持ってきた栄養ドリンクの蓋を開けるとおいしそうに飲み干して、喫煙室に行ってしまった。コンポはポール・マッカートニーのアルバム「Ram」をリピート再生で流し続け、私たちは「Another Day」も何度も聞くことになった。
 扉の開け放たれた喫煙室からはりゅういちさんの吐き出す煙が立ちあがっていた。午後の光があかりとりの窓から喫煙室の中に差しこみ、煙を照らしていた。

私は、喫煙室に向かって、少し大きな声をかけた。

「それで、『白い人』とは、その時の萩本欽一さんのことなんですね」

りゅういちさんはタバコの煙の向こうから
「いえ、それはまた別の話ですよ」と答えた。

 白い人のことは、もうよくなったのか、話題はビートルズの方に移っていった。
 高校1年の夏にビートルズが来日したけれど会場には足を運ばなかったこと。秋に女子高の学園祭に行ってあたまがのぼせてしまい、それがずっと続いたこと。そして2年になって、ついに精神科に入院したことをりゅういちさんは矢継ぎ早にタバコを吸いながら、話してくれた。 
 最後に「結局ビートルズの黄金の歌声が僕の財産だったんです。公演に行けばよかったなあ」と呟きながら、喫煙室から出てきた。  

 気がつくと2時間も話してこんでいたらしい。
 結局、「白い人」のことはわからなかったが、たくさんの話が聞けたしし、今日はもうお開きにした方がいいような気もしていた。コンポからCDを取り出して、帰り支度をしているりゅういちさんに「『Another Day』とは、どういう意味なんでしょうね」と聞いてみる。

「そうですねえ。またの日ですかね。うん。『またの日を待つ』です。これです。」

りゅういちさんは、絶対の確信があるといった風にうなずいた。

『またの日を待つ』それは悪くないと私も思った。

「ビートルズの4人は今でも特別ですよ。空前絶後のビートルズ音楽治療でした」と笑った。

 白い人の話は、またの日を待つしかないようだった。

(つづく)




数か月後、ミーティングでみんなで描いたりゅういちさんと萩本欽一さん。
バットとボールを持ってボーヤちゃんと誘っているのが萩本氏。


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