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自分にとっての正義を互いに投げつけ合っていたら、関係性が崩壊するのは当たり前の話


新里(しんざと)哲也です。
★あなたの強みの棚卸し
★自分や商品を売る為の伝え方相談のります
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才能を言語化&プロデュース
『人は必ず何かの天才として生まれる』
沖縄在住、主にプロデュース、
人材育成、講演、イベント企画、
ビジネスマッチング、オンラインサロンの
運営などの仕事をしております。

以前、微生物の専門家の方と
お話をさせてもらった時に、
こんな話をされていました。

『微生物は善玉菌、悪玉菌と
呼ばれることがありますが、
それは、主語が「人間」で
あることが前提です。
善と悪はあくまで「人間にとって」です。
そもそも、自然界に存在する
微生物に「善」も「悪」もありません。
必要だからそこに存在しているんです』

ある広告新聞のコンテストで
泣きそうな鬼の子どもの姿が
描かれたポスターが最優秀賞に
選ばれたことがありました。
そこにはこう書いてあります。

『お父さんは桃太郎
 というヤツに殺されました』


そして、こんな言葉
添えられています。

『一方的な「めでたし、めでたし」
を生まないために
広げよう、あなたがみている世界』


絵本の中の桃太郎の物語では
めでたし、めでたしで終わる。

でも、本当にそうなんでしょうか。

鬼の子どもの立場から見れば、
桃太郎のお話は悲劇です。

常にいろんな立場、
視点でモノゴトを見ることの
重要性について、
あらためて考えさせられます。

それは本当に
『めでたし、めでたし』
なんだろうか?

自分にとっての
『めでたし、めでたし』は
誰かにとっての悲劇に
なっていないだろうか?

幸せの感じ方は人それぞれです。
人によって、視点や
捉え方、感じ方はまったく違う。

自分は善玉菌で相手は悪玉菌。
常に主語は自分。

そういう思考が
世の中にある多くの問題の
源にあるような気がします。

人間関係、夫婦関係、
親子関係もみんな、
そうなんじゃないですかね?

自分にとっての正義を
相手に振りかざしてしまう。

自分にとっての正義を
互いに投げつけ合っていたら、
関係性が崩壊するのは
当たり前の話なんだと思います。


それはあくまで、
『自分にとって...』
であることを忘れずに
胸に刻みたいと思っています。


昨日、開催したライブ配信に
参加してくれた方々、
誠にありがとうございました。
『新里哲也に壊れるほど常識を覆された』
以下、アーカイブです。
ご興味のある方はこちらから
ぜひ、ご視聴ください。

これからもいろいろと企画して
いきたいと思っております。

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