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宗谷・樺太キーワード「津軽・会津・秋田藩陣屋跡」:寒さに倒れていった東北の藩士たちを偲ぶ

育英館大学
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宗谷公園に設置されているコーヒー豆の石像についてです。(担当:小野) Music by Ikson.(育英館大学の授業で、学生が制作した音声コンテンツです。)


稚内市大字宗谷村字宗谷、宗谷丘陵フットパスコースのゴール付近、「津軽・会津・秋田藩陣屋跡」という看板が建てられています。

陣屋とは、軍隊が敵に対する攻撃、守備の態勢をとって、駐屯する所、といった意味です。
ここには、津軽・会津・秋田藩の各地の藩が駐屯し、宗谷の防衛をしていました。

19世紀初頭、ロシア兵が、樺太や北海道の漁村で略奪を行ったり番屋をおそったりという事件が頻発したため、幕府は襲撃に備えるよう、津軽・会津・秋田の各藩に命じ、宗谷に駐屯するための陣屋が建てられました。東北諸藩の藩士たちは、越冬警備を行いましたが、寒さのために病に倒れ、多くの藩士たちが命を落としています。

現在陣屋があったことを示すものは、この看板だけですが、近くの宗谷公園には、北方警備にあたり、この地でなくなった藩士たちの墓がのこされています。

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