目標はなくてもいいけど
目標って聞くと「嫌だなぁ」と思う自分がいる。
目標を持ったときにそれ以外のことが見えなくなって、達成しても新しい目標ができて息苦しくなった経験があったからだ。
ひとときは夢中だった。
この目標を達成したら目指す世界が実現できると、毎日がキラキラしていた。
でも、いざ達成したときに、自分が思っていた世界に辿りつかなかった。
むしろ「他のことを失ってしまった」「人にコントロールされていただけだった」という徒労感や燃え尽きが起きた。
そういう経験をしてから目標を持つことや、能動的に何かを追いかけることが怖くなった。
頑張ったところで何にも繋がらないし、もっと悪いことになる気がした。
そこからは「無理せず自分らしく生きれればいい」と、ここ3年間は目標を持たずに暮らしてきた。
天気が良い日は散歩して、雨の日は映画を見る。夜は奥さんと飲みに出かける。
仕事もできる範囲でこなして、自分を超えることはしなかった。
それなりに必要とされて、生活できるお金もあって穏やかな日々。
そして先月30歳になった。
ふつふつと「あれ、俺このまま生きる?」という疑念が生まれてきた。
目標もなく、このままのんびりと50年近く生きるのかと。
それはそれで辛いことなのではと思い始めた。
人生気づけば時間が経っていることなんていくらでもある。
とりあえずやっていた仕事が気づけば2年経っていたこともあった。
「あれ、ここに費やした時間なんだったんだろう?」と、これもこれで徒労感があった。
自分の母は「今の仕事が落ち着いたら、子供食堂やりたい。」と言い続けて5年経った。
自分でお金稼いで、生活を営んで生きることは大変なことだ。
でも、時間は無慈悲に過ぎていく。
日々に流されないように、どこかでイカリを下す必要があるんだ。
目標はよくできた「ツール」なのかもしれない。
目標があるとやることが明確になり、期限があるから計画的に行動する。
達成しなくても理由を考えて、次のことを決められる。
「あ、気づけば時間経っていた。今まで何してたんだろう。」という虚しさを抑制してくれるのかも。
それに「ここまでは頑張れた」という自分を励ますことにもつながる。
一方で自分へのプレッシャーもある。
やることが増えるから心身が辛くなるのも事実だ。
だからこそ、あくまで「ツール」と捉えるのが大事なんだ。
自分が使うものであって、使われるものではない。
過去の経験では目標のための「ツールとしての自分」だったから辛かったんだと思う。
自分が自分を生き切るために、目標という道具を使いこなしていく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?