必死に目を凝らして耳を澄ましている

小学生の頃の感性を取り戻したい。
確実に今より知識などなかったのに、あれほどに豊かだった日常、想像。
小学生の頃の世界は、現実に想像が加わっていた。どれも楽しい想像だった。

感動の言語化など、中身がなければ意味がない。難しい言葉を的確に使うことは、時には必要だが、簡単な言葉だけで自分の感性を伝えられたら。
簡単な言葉こそ、言語化できない感性を伝える時に最も鮮明に伝えられるのではないだろうか。もともと感動を100%言語化しようなど、無理なことだ。自分自身にしか、感動の隅々を理解できないからだ。しかし、どうしても感動は共有したい。それを表す言葉が簡単であればあるほど、そしてそれを上手く使えれば、曇りのないものをあなたの前に堂々と、血のついたまま出せるのだ。

小学生の頃の感性を取り戻したい。
このまま鈍らせたくない。
あれほど鋭く、取りこぼさないようになんでも感じとっていた私。なんでもないことに思考を巡らせるのは今も続いていることだが、小学生の頃ほどの新鮮さや衝撃は未だ無い。

小学生の頃は、みんな詩人だったのか。

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