夏ってさあ


私は夏が好きです。
本当は、この一文ではすまないような感情を夏に抱えています。思案の紆余曲折を100回くらいした後に、この一文に辿り着くのですが、今はそれは構いませんし、上手く書ける気もしません。しかし、名前を夏にする程度には、私は夏のことが好きです。
ここで、私の好きな夏を共有したいと思うのです。夏が来る前に、夏の側面を少しだけ見てみませんか。

夏といえば何を思い浮かべるでしょうか。
入道雲や夏祭り、ラムネや蚊取り線香などなど、夏のモチーフはどれも素敵なものばかりですね。夏の独特のモチーフ、これも私の好きな夏の一側面です。
これらのモチーフのイメージは、爽やかであったり、懐かしさであったり、はたまた青春であったりと、どれも思い出にはふさわしいスパイスを持ち合わせたものばかりだと思います。

しかしです。私は、ただ爽やかで、儚い夏が好きなだけではないのです。

夏の爽やかさに埋もれる側面。
夏の、気持ち悪さが好きなのです。
ホラー映画のようなすっきりした気持ち悪さ(恐ろしさ)ではありません。
夏の時間の隙間には、どこかに気持ち悪さを感じさせる時間帯が、少し、またはほんの一瞬間だけ存在すると感じます。
言語化が難しいです。
夏の禍々しい感じと言いましょうか。
例えば茹だる暑さの夕方、蝉の声がどれだけ煩くても、1人になれば突然静かな世界に1人だけ閉じ込められたような気がしませんか。世界、というよりは、"此処"に閉じ込められるという方が近いかもしれません。蝉の鳴き声は耳鳴りへと変わる。閉じ込められ、窮屈な"此処"が永遠であるように感じるのです。時間は進んでいるけれど、それが意味をなさないような、そんな感覚です。
漠然とした不安、まとわりつく汗と、耳をつく自らの呼吸と、けたたましく鳴く蝉。ここには、先ほどの夏の爽やかさは微塵も影を残してはいないのです。
他にも、線香の匂いや、道路に張り付いているひしゃげた蛙の死体、夜に微かに虫の鳴く池の近くの草木のさざめきなど、不安を煽る要素は意外にもたくさんあるのです。一度、そこに目を向けてみてはいかがでしょうか。あなたの夏が深まるかもしれませんね。

本当に、夏は透明なのでしょうか。流れのない、濁った大きな水溜りのような雰囲気を誰も感じませんか。

私は毎年、夏が来ることを信じておらず、また、夏が永遠だと勘違いしてしまいます。
夏は、容赦なく私たちを置いていってしまうのです。

夏の空気を瓶に詰めても夏が過ぎれば意味がありません。
わたしも一緒に連れて行って。

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