匂う記憶

これは最近になってふと気づいたことですが、不意に、それもほんの一瞬間のうちに微かに何かの匂いを感じることが多々あります。例えば季節関係なく夏の匂いがしたり春の匂いがしたり、本などない屋外で本屋の匂いがしたりと、主に好きな香りを、関係のない所で感じます。幻覚ならぬ幻嗅とでもいうのでしょうか。微かな匂いから、その匂いにまつわるささやかな記憶が流れ始めるのです。
人は匂いを記憶しやすいのに、海馬が関係しているそうですが難しいので詳しくはわかりません。

これを書くきっかけとなったのが、先程、一瞬煙草の匂いを感じたことです。家族に喫煙者はいませんし、窓も開けておらず、タバコの煙を匂いようがないのですが、確かに感じました。

こうして私の煙草にまつわる記憶がじわじわと思い出されました。

煙草は父が吸っていたそうですが、姉が生まれる前に辞めてしまったようなので、私は父が煙草を吸っている姿を見たことはありません。
しかし副流煙はたくさん吸ってきました。私の大好きなお祭りの中で。
私の肺はとうに一欠片くらい曇ってしまったでしょう。

しかし今では、煙草の匂いとは、大切なお祭りの思い出を私に思い出させるトリガーとなっているのです。
私の地元のお祭りでは、煙草を吸ういかついおじさんや兄ちゃん、といったような人が沢山いました。(どこもそうでしょうが)小さな頃は当然煙草の煙臭さが嫌いでしたし、煙草に対するイメージが、怖い、でしかなかったので、喫煙している人の前を通るときは必ず息を止めて走りすぎていました。

成長した今は、時間が過ぎるのが早い、今この瞬間の取り返しがつかない、やることが多いなどといつもギリギリで日々を送っており、時間の不可逆性というものをひしひしと感じています。そうしたこともあり、お祭りは億劫になり行かなくなりました。なかなか匂いを感じて記憶するという機会が減りました。
そんな中で過ごしていると、「ああ昔は時間があった。私にはなんでもできた。」なんて思ってしまうことがあります。その時はその時をどう楽に幸せに生きるかに苦心しながらダラダラやっていましたので、昔に戻ろうが頑張ることはないと気づいています。

家族で行ったお祭りが懐かしいです。あのころの記憶は、匂いは、朧げのようで、鮮明のようで。
ただ、変わらない煙草の匂いは、私をあの頃のお祭りに連れ戻してくれます。

強い匂いより鮮明な、微かに香る程度の記憶が私が大切にしたいものとでも言うのです。

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