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母と娘の大腸がん在宅日記 まとめ

これまで在宅日記の①②を投稿しましたが、8割がたまとまたったので、全文を一度投稿してみます。投稿するとそれが刺激になって自分の中で何かが変わるようで、読まれる読まれないに関わらず新たな発見や気づきなどが「ふっ」と出てくるんですよね。不思議と。これは「分かる~!」とか「あるある」ではないでしょうか。


この投稿を、前回紹介した「シンプリストやまださんの『ペーパーバックは事前準備が9割』」を参考にしながら、校正と修正をしていって、kindle出版しようと考えています。出版したらこの記事は削除か有料化する予定です(^^♪(ブログなどで同じ内容があると出版できないそうで、削除か有料化が必要らしいのです)

長~いので(約43,000文字)、目次を作成しました。すでに投稿した①②の部分も含まれます。(出来上がりではないので数字表記の統一や太字の場所などはまだいたらない状態ですがご了承くださいませ(^_^;)


はじめに


この本に出てくる話は実話です。約4年前、母は大腸がんで亡くなりました。在宅療養を選択し、自宅で私の目の前で最期を迎えました。兄、私、妹の3人兄妹が心を一つにして母の看護、介護にあたった話を時系列に1冊の本にまとめました。在宅医療の話や薬の話がどなたかの役に立つかもしれません。一人一人がんの進行は違うと思いますが、一つの実例として知っておくことで後々参考になる場面があるかもしれません。誰かのお役に立てれば嬉しいです。

また、以前介護の仕事をしていた時にお年寄りの身の上話を聞いていて
「人生ってドラマよりドラマティック」
と思う機会が何度もありました。今回の話も世界にたった一つの物語です。家族になったつもりで読んでいただければと思います。どうぞ最後までお付き合いください。

元々は兄妹間のLINEのやり取りが手元に残っていたことから出版を考えました。そのやり取りがベースになっているために時系列で話しは進みます。ですが、母の症状はいったりきたりで反応がないくらいぐったりした翌日に調子が良くてご飯を食べるなど変化が大きかったので、全体的には徐々に悪化しているのですが、個別で見ると「具合が悪い」場面と「元気な」場面がランダムで分かりにくく感じる場面も出てきます。そんなことも、生きている以上自然なことだと受け止めていただけたらと思います。


登場人物(仮名使用)
母  (手術時81歳。在宅療養時82歳。大腸がん)
よしこ  (著者)
圭一   (兄:東京在住)
かなこ  (妹:となり町在住) 
父    3年前に他界

補足:この話の時系列は以下のようになっています。
第1章 8/7以前
第2章 8/7~8/31
第3章 9/1~9/15
第4章 9/16~9/30
第5章 10/1~10/15
第6章 10/16~10/28

プロローグ

今日は大腸がん摘出手術後の月に1度の定期健診日でした。
「お帰り。どうだった?」
「……。よしこ、明日一緒に病院に行ってくれない?再発したんだって。家族と一緒に明日もう一度来てくださいって言われたの」
この時のシーンは覚えているのですが、どんな心理状態だったのか記憶があいまいです。「まさか」という気持ちと冷静な気持ち。その時母は81歳。「年なんだから再発したってゆっくり進むレベルだろう。何年も元気な叔母もいるし」と思っていたのです。

結果から言うと、再発から10ヶ月で母は亡くなりました。高齢者とは思えないくらいの早さではないかと感じながらの毎日でした。私たち3人兄妹もその早さに付いていくのに必死でしたが、後から思うと母本人が一番そう感じていたでしょうし、大きな山ともいえる人生最後の難関だったろうな、と感じます。

でも何事もコインの裏表です。大変だった分、母は同じ大きさの素敵な置き土産をくれました。それは兄妹の絆でした。何十年も生きていれば意見の食い違いなど色々あるものです。でも母の命の前にはそれ以上に大切な物はなく、すべてがリセットされて昔以上の新たな関係が生まれました。命を前にしたことで本当に大切なものに気づけた、そんな感覚でいます。


第1章 在宅医療を選択するまで

さかのぼること前年の6月。
お腹の調子が悪く、それがしばらく続いていたために近所のかかりつけ医院を受診。
「総合病院に行ってください。紹介状を書くからどこの病院が良いですか?」
早急に受診するように言われたようです。

一番近い総合病院を紹介してもらい、電話で予約をして病院に向かいました。
そこで言われたのは、大腸がんという診断でした。

母と私は近藤誠医師の著書「患者よ、がんと闘うな」や「医者に殺されない47の心得」などを読んでいたので、この時点では手術はしない方向で考えていたのです。家に戻って近藤医師のホームページを調べ、セカンドオピニオン外来の予約をしようとやり取りをしている途中でやって来た2度目の診察日。

主治医に
「検査の結果、腫瘍が大きく大腸を圧迫しています。今まで食事して排泄できていたのが不思議なくらいです。普通ならもう食べられませんよ」
「このまま帰すわけにはいきません。腫瘍で大腸がふさがっている状態なので手術を決めてくれないと帰すことは出来ません」
と繰り返し言われ、患部画像も見せられて、さすがの腫瘍の大きさに母も私も手術を断ることは出来ませんでした。記憶がおぼろげですが、診察後、腫瘍の位置が悪く一旦あるべきところに収める必要があるとのことで母はベッドに横にさせられて、腸の辺りをギュギュウ、グイグイ手で強く押されていました。それはもう痛くて苦しくて、耐えに耐えていた様子が忍びなかったのを思い出します。

セカンドオピニオンの予約を取り消しての入院、そして手術。無事に手術は終わり、きれいに取れましたよ、と腫瘍を見せられてとりあえずは一安心です。これから起こることはまだ誰にも分からない術後の母娘のひと時でした。

順調に回復して退院しました。しかしそれから約1週間後、あまりの痛みに動けなくなり、脂汗が流れる激痛が。急いで救急車を呼んで病院へ。腸の癒着でした。緊急手術をしてなんとか落ち着きましたが本当に痛そうで可哀そうでした。「手術して癒着が起きる人は一定数いるんです」と医師からは言われましたが、慰めにはなりませんでした。お母さん痛くて苦しくて辛いだろうな、と何度も思ったのでした(涙)

その後最後まで癒着が起こることはなかったのでそれだけは良かったと思っています。本当に激痛で、その様子が痛々しいから見てる方も辛いんです。
癒着は一度きりだったものの、その後も尿管結石の痛みで救急車を呼んだり、熱が下がらず救急センターに行ったりと何度か総合病院の救急センターでお世話になりました。尿管結石もなったことがある方なら分かると思いますが、石の角が尿管に当たるためにこれも脂汗ものの激痛なんですよね。
病気という病気をしたことがない母でしたが、最後のほうですべての病気がいっせいに爆発した、そんな感じでした。

救急センターは、受診した後、点滴や薬で落ち着いて帰宅の許可が出ると帰ることができます。でも、一つ問題があって、毎回毎回救急センターで決まっている検査をしてからでないと帰れないということが問題でした。
レントゲンや造影剤を使ってのCT検査を毎回やるのですがそれがとても嫌だったんです。いくら先生の見立てで「おそらくこれだろう」という診断がでても「検査すべてが【問題なし】にならないと救急センターの場合は帰せないんですよ」と言われ、仕方なく何度も造影剤を使うための承諾書を書きました。
これが後々在宅医療を選ぶ一つの要因になりました。

私たちの立場からすると、少し前にCT検査をしたばかりだから、できればその検査はしたくないのです。でも検査しない訳にはいかないし、その都度造影剤を使うのでとても抵抗がありました。
・血管から造影剤を入れるため全身に行き渡る
・副作用が気になる
・CTの放射線被爆が蓄積される
「この3つを繰り返す」を自分に置き換えたら嫌ではありませんか?それが繰り返されたことで逃れる方法は何かないかと考えるようになったのです。

私は以前ケアマネジャーをしていて、市内に在宅医療をしている往診専門のクリニックがあることを知っていました。その知識があったことから頭の中で考え始めました。在宅医療なら、痛みを我慢して救急車を呼んだり、何とか無理やり自家用車に乗り込んで救急センターにかけつける、ということを無くせる。家にいながら痛みや苦しみを取り除くことはしてもらえるし、毎回レントゲンと造影剤とCT検査のセットをやらなくて済むのでは?と思うようになりました。

痛みによる救急センター受診とはまた別に月に1回の定期受診があります。再発するまでは母が一人で行っていたのですが、再発が分かってからは私も同席していました。ここでも気持ちに引っかかるところがあったのです。

昔と違って今は本人に何でも言うんですよね。検査結果を主治医と母と私の3人で一つ一つ見ていくのですが、腫瘍マーカー(※)の数値を毎回あけすけに本人に言うのがどうしても嫌でした。良くなっていくのなら全然構いませんが、毎回悪くなっていくんです。それを主治医は平気で本人に見せます。

※ 腫瘍マーカー検査:血液採取でがん細胞の数やがん細胞が作る物質の量が分かる。がんが進むと数値が高くなる。

私は毎回どうしようか迷っていました。おそらく母は聞きたくないだろうな、と思いつつ「お母さん何も言わないからこのままでもいいのかな」と考えてみたり、どうしていいか代用案を考えられないまま何度か受診を続けていました。

いよいよ、腫瘍マーカーの数値が私としては我慢ならないくらいの数値になった時、いてもたってもいられずに在宅医療の提案を母、兄、妹にしました。全員の意見が在宅医療に一致したので総合病院の主治医に話し、紹介状を書いていただきました。

母に対する表向きの理由としては、救急センターにいくと毎回全部の検査があるからそれは嫌だし、在宅医療だと先生が来てくれるから救急車も必要ないし、ムリやり車に乗って大変な思いして病院に行く必要もない、ということです。
裏の理由としては、検査結果を母に伝えないで在宅クリニックの先生と私たち兄妹だけで共有したいということです。

82歳の母に、がんの検査結果をすべてもれなく伝える必要はないと考えました。毎回数値が上がるのを今までどんな思いで聞いていたのだろうと思うと、遅すぎた気もしたのでした。本人にもチラッと聞いたら「うん、べつに数値は聞きたくない」とのことだったのでいよいよ決定となりました。

往診専門のクリニックとの出会い

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