「届く」心に浮かんできた言葉(002)
こんにちは「てると大吉」です。なかなかnoteが始められなかった僕ですが、「えいやっ」と勇気を出して先日、初投稿をしました。
さて、noteを始められなかった理由の一つは僕がかなりの「心配性」だからなのですが、もう一つの理由があります。それは「言葉はちゃんと届くのか」という不安があるから。
長いこと人前で話をすること、問いかけることを仕事にしていた。そのなかで「どうすればこの言葉を、伝えたいことを、相手に届けることができるのだろう」といつも悩んでいた。
そして言葉の持つ刃(他者を傷つける力)も気になっていた。
仕事からもどり、夜になって「今日のあの言い方はまずかったかなぁ」と眠れなくなる経験を何度しただろう。特定複数人の前で話してしまったことはどうにもできない。もちろん後日、訂正することはできるのだが。
一対一の対面でも同様だ。仕事ではないが昨日だって配偶者に対して「しまった、言い過ぎた・・・」と。これは眠れなくなるほどではないけれど。
noteを読んでもらう人のことを僕は何も知らない。何も知らない人に何をどう伝えればいいのだ。僕の言葉が他者を傷つけることも・・・そんなことをつらつらと想い、得意の心配性をマックスに発揮して、踏み出すことを、書くことを逡巡していた。
そんな僕が今、こうして言葉を綴ることができているのはどうしてか。
それは「言葉の力」を信じようと思ったからだ。
数年前、僕はとある病を得た。その時の動揺はそれなりに激しく、「見えていた景色が一変する」ような経験をした。その時の僕を救ってくれたのは「言葉」だ。配偶者の言葉、ドクターの言葉、書籍のなかの言葉。樹木希林さんのエッセイは今でも時に読み直す。
言葉は他者を傷つけることもあるが、人を救う力もあるのだ。無意識にということは気になるが、少なくとも何かを攻撃しよう、否定しようと悪意をもって言葉を綴るのでなければだいじょうぶ。そう考えることにした。
そんなとき久しぶりに会ったある人が20数年も前に話したことを覚えていてくれて、「今もその話が大好きで、大切なことだと思っている」とまで言ってもらった。(とてもとてもうれしい。本当に。)
そう、伝わる言葉はあるのだ。自分が本当に伝えたいと思っていることは伝わるのだ。そうシンプルにそう考えることにした。相手のあることだからどう伝えても反発されることはあるのだろうが。
というわけで、言葉のプラスの力を信じて、僕はnoteを書きます。
さてさて、今日も些か抽象的に、そして肩に力が入っていますね。
おつきあいいただき。ありがとうございました。
今日がいい一日でありますように。
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