「小確幸」心に浮かんできた言葉(005)
おはようございます。「てると大吉」です。
今年は開花が遅いといわれた桜も満開です。大吉を膝にベランダでひなたぼっこをしていると、なんとも穏やかな心持ちになって「小確幸(しょうかっこう)」という言葉が浮かんできました。
村上春樹のエッセイで目にした言葉という記憶はあるのだが、「さてさてなんだっけ」と書架の前に立ってしばらく探してみました。
何冊かめくってみてありました。著者 村上春樹(1996.5.24)『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた』株式会社新潮社 のなかに「小確幸」の記述をみつけました。僕なりには、「暮らしの中の小さな幸せ、そして確かにその幸せを実感できること」と理解しています。
探し物をしたおかげで村上春樹初期のエッセイを久しぶりにめくることができた。これも「小確幸」だろう。
さて本題に戻って、「小確幸」は肩の力を抜いて、日々の暮らしを楽しもうとするとき、自然と感じることのできるのではと思う。また、大切な人のことを想うとき、いろいろな出会いに感謝するときにも感じる。
それは日々の仕事に追われ、忙しく過ごしている時はつい見過ごすものなのかもしれない。
拙歌にすると、
そして、目の前の晩ご飯に「小確幸」を感じて感謝するとき、
というような気持ちにもなる。
しかし、現実はそうはいかない。紛争地では今日も尊い命が・・・。
このことは誰もが分かっていながら、どうすることもできないものなのだろうか。
小確幸を見つけることは、自分の身近なことだけを大切して、ささやかな幸せを感じればいいということではないと思う。
むしろ現実をしっかりと見つめ、同時代に起こっているさまざまな出来事に想いをはせることも必要なのではないだろうか。
大吉を膝に乗せて、僕が今、ここで感じている小確幸は、今、この時代の大きな風の流れの中にあることを想う。
私たちはそれぞれの場所で、それぞれの風に吹かれて生きている。
比喩的に言うと、紛争地・被災地に吹く風は、今、ベランダに吹いているこの風とつながっている。
僕はこの現実を忘れないでいようと思う。
紛争の終結や被災地の復興を祈りながら。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
あなたの心に穏やかな、寛容にあふれた風が吹きますように。
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