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いま「仕事が楽しくない」と感じている人へ

仕事が楽しくない。
本当にこのままでいいのだろうか。

20代のころの私は、そんな悶々とした気持ちを抱えていました。

私は新卒で経産省に就職し、その後コンサル会社のA.T.カーニーを経て、ドリームインキュベータに入社。今は社長を務めています。

新人の頃は「仕事が楽しい」なんてまったく思っていませんでした。

就職と同時に、自由を失うような感じがしたのです。精神的にも、時間的にも、経済的にも、組織に縛られてしまう。「もうどこにもいけないんじゃないか」という気すらしました。

「これが本当に自分のやりたいことなのか?」という悩みも、ずっとありました。

しかし試行錯誤を重ねるうちに、あるときからは「仕事って楽しいな」と思えるようになりました。組織に属しながら、自分のやりたいことも実現できるようになっていきました。

そしていつしか、大きな価値を生み出せるようになっていたのです。

それは仕事への向き合い方に、決定的な変化があったからでした。

今回は、30年弱の社会人生活をふり返りながら、私なりの「仕事を楽しみながら価値を出すコツ」をお伝えできればと思います。

大学生のときに出会った「ヨットのおじさん」

仕事について初めて意識したのは、大学時代のことでした。

大学3年生ぐらいのとき、友達から「知り合いのおじちゃんがヨットを買ったから、乗せてやるよ」と言われたんです。「すごい楽しいらしいよ」と。

それで明石まで行って、真っ黒に焼けたおじちゃんにヨットに乗せてもらいました。確かにすごくよかったんです。僕は別に船好きではないですが、エンジンを止めて、風に乗ってスーッと海の上を走ったときは、なんだか感動しました。

で、そのヨットがなんと、2億円ぐらいするらしいんです。「このおじちゃん、一体何者なんだ?」と思うじゃないですか。僕は気になって「なんでヨットを買ったんですか?」とか、いろいろ聞いてみたんです。

おじちゃんは大手の通信会社に勤めていたそうでした。早期退職のパッケージがあって、お金がもらえるからって辞めて、ヨットを買ったのだそうです。アーリーリタイアして悠々自適に暮らすなんて、すごく羨ましいなあと思いました。

でも、驚いたことにおじちゃんは、それまでの30年ぐらいの会社員人生を「つまらなかった」と言い切ったんです。

「つまんねえ会社だったよ、金はくれたけど」と。

僕はそれを聞いて「怖!!」と思ったんです。いくら退職後に楽しくても、30年間つまんないのは嫌だな……と。

そのおじちゃん、きっとものすごく働いたと思うんです。会社でもそこそこのポジションまで行ったはず。そうじゃないと2億円のヨットなんて買えませんから。そう考えると、なんだか勝手にやるせなくなってしまって。

「どうせ働くなら、仕事自体が楽しいほうがいいなあ」と強く感じたんです。

悩みすぎて、手持ちの就職先がゼロに

就活は決して順調にはいきませんでした。

就職先にものすごく悩んでしまったんです。自分はどんな仕事をするべきか。当時はキャリアについて思ったことを文章で書き綴っていたのですが、それがノート2冊分にもなるほどでした。

理系だったので、周りにはメーカーの研究職になるような人が多かった。僕もメーカーからの内定はいくつかもらっていました。

でも自分の性格上、一生かけてひとつの分野を突き詰めるのは向いていないと思いました。いろんなことに興味があるし、のめり込みすぎると逆に嫌になってしまうタイプだったのです。

だから「いろんなことがやれる仕事をしたいな」と思い、コンサルと中央官庁を念頭に置いて就活をしました。でも、意中のところには落ちてしまって。かと言って他に行きたいところもなく、研究職やエンジニア職の内定はお断りして……。

そうこうしていたら、手持ちの就職先がゼロになっていました。

気づけば周りはみんな就職先が決まっています。途方に暮れた僕は、なんとか大学の研究室の教授に相談し、そのまま大学の先生になろうとしていました。

そうしたらなぜか、行きたいと思っていた経産省(当時の通産省)からとつぜん電話があって、内定をもらったのです。かなり前に事前面接を受けたので「ダメだったんだろう」と諦めていたところでした。

当時はつらかったですが、就活で死ぬほど悩んだことは、後の人生にとってとてもいい経験でした。

悩み抜いたことで、自分の「キャリアの芯」ができたからです。すると、その後の人生で予想外のことが起こった際も、その「芯」をブラッシュアップしながら対処することができました。

仕事が楽しくなかった

そんなこんなで就職することになった経産省。

しかし経産省での1年目は、仕事のスピードにもクオリティにもほとんど付いていけず、何度も「もう逃げ出そう」と思いました。

ひたすら資料をコピーして、いろんな人のところを走り回って、連絡係をしているような感覚でした。その合間に会議室をとって、昼食を用意して……。

寝る暇もないほど忙しいのに、何にも身についてる感じがしなかったのです。

当然、まったく楽しくありません。「これはまずい」と思いました。

それで2年目の初めに「2ヶ月間だけグッと息を止めて、全力で仕事だけをやってみよう」と決めました。それでもダメなら逃げよう、と。

それから2ヶ月は、土日もずっと役所に泊まり込んで仕事をしました。同じ雑用でも、関係する資料は全部読み込んで、勉強もするようにしたんです。

するとそれ以降、仕事の見え方がガラッと変わりました。

これまでわからずにやっていたことが「これは次こうなるな」と見えるようになったんです。「次こういうことが起こりそうなので、こうやっておきましょう」と、自分の意見も言えるようになりました。

仕事に追われるのではなく、きちんと回せるようになってきた。

すると、ただ仕事に拘束されているだけだった時間が「自分でコントロールできる時間」に変わりました。忙しくて止まっていた思考も、自分の元に戻ってきた感じがしました。

以前よりずっと仕事が楽しくなったのです。

苦しいことにあえて突撃すると、逆に楽しくなる

似たような経験が、その後もたくさんありました。

大きなイベントの運営で、事前にものすごく緻密にスケジュールを組んでおくと、当日が驚くほどラクになった。怖いクライアントや上司ほど、何度も会いにいって仲良くなると、仕事がものすごくやりやすくなった。

仕事をしていると、嫌なことや苦しいことはどうしてもあります。でも、苦しいことに真正面から向き合うと、逆に楽しくなってくるんです。

嫌なものや苦手なものに直面したら、逃げるのではなく逆に「前のめり」に突撃したほうがいい。最初は苦しいのですが、そこを乗り越えた先には、とてもいいことがある。経験を重ねるうちに、そう確信するようになりました。

スキーをするとき、逃げ腰だと転んでしまいます。前傾したほうが怖くないし、方向もコントロールできる。むしろ楽しくなってきますよね。

それと似た感覚が、仕事にもあるんだなと気づいたのです。

「一生ここにいるのかな」という不安

経産省での仕事は楽しくなってきていました。

ただ一方で、経産省に入る前から「3年で辞める」というのは決めていました。

もともと「いろんなことをやってみたい」と思っていたからです。3年で辞めて、どこかで別のことをやってみたい。入省前に、採用責任者にそういう話もしていました(当時としては異例のことだったのですが)。

でも忙しく働くうちに、気づけば6年が経っていた。

それでふと「下手すると、一生ここにいることになるんじゃないか?」と思ったのです。

特に経産省の5、6年目の頃は、責任ある仕事も任せていただき、いろんな方との信頼関係もできて、とても「仕事がしやすい」状態になっていました。

ある意味、居心地がよくなっていたんですね。

しかも当時は、今ほど転職があたりまえではない時代でした。同期もまだ誰も辞めていなくて、辞めることにけっこう勇気が必要だったんです。

でも「死ぬ間際に人生を振り返ったとき、どう思うだろう?」と考えたら、「このままずっと転職しなかったら、絶対に後悔するだろうな」と思いました。

僕にとって「辞めない」ことは「逃げた」ということだったからです。

「別のことをやってみたい」という気持ちはある。でも、経産省からまったく畑の違う民間企業に行って、本当に通用するのか。成功するのか。それは全くわかりません。

それで辞めなかったら「チャレンジするのが怖くて、逃げた」ということになる。「それじゃダメだな」と思って転職に踏み切りました。それでも、辞めるまで6年かかっちゃいましたけど。

なかなか認めてもらえなかった外資コンサル時代

経産省を辞めて、転職した先は「A.T.カーニー」という外資のコンサル会社でした。

ところが入って1年近くの間は、まったく認めてもらえませんでした。

コンサルティングの常識をまったく知らなかった僕は、上司から求められる資料や分析の粒度を「細かすぎる」と感じていました。「そこまでやる意味あるの?」と。

それをつい発言してしまい、上司と険悪になる始末……。

そんな状況から脱出する転機になったのは、あるレジャーランドの業務改革プロジェクトでした。

話を聞いてみると、経営側と現場側が真逆のことを言っていました。

経営者は「店員が暇そうに見える。半分にできるんじゃないか?」と言っています。一方、現場の店長は「冗談じゃない。どの店舗も死にそうなぐらい大変だ。もっと人を増やしてくれ」と主張していました。

僕は「じゃあ、各お店の時間ごとの業務量と店員の数を全部分析してみましょう。そしたらズレが見えてくるはずです」と言いました。

しかし、お客さんからは「そんなことできるわけがない」と猛反発。上司からも見放され、しまいには業務改革の担当から外されてしまったのです。

それでも僕は、自分の案を諦めきれませんでした。

担当も外されてしまったし、どうせ他にやることもない。「だったら、一人ででもやってみよう」と思ったんです。

すべての店舗の「時間ごとの業務量」と「店員の数」を調べて、エクセルで定量化。各店舗における必要な店員の数を割り出せるような仕組みをつくりました。

さらに曜日や天気、季節、イベントの構成、修学旅行生の受け入れ状況と「入場口ごと」「時間ごと」「だいたいの顧客セグメントごと」の来場者予測数を入力すれば、その日のエリアそれぞれの、時間ごとの顧客分布を予測できるようにしたのです。

そうやって、それぞれの店舗の予測業務量のデータを1年分作りました。そのデータを、いまの店員数と比べてみた。すると、より効率的な人員配置のやり方を見つけることができました。

結果的に、平日の人員はこれまでの3分の1で回せるようになりました。それぞれの店舗の忙しい時間に合わせて、エリアをまたがって店員の融通をできるようにしたからです。

そのレジャーランドでは殺人的な忙しさがほとんどなくなり、休みも計画的に取れるようになりました。人件費のコストもかなり削減することができ、お客さんにもすごく喜んでもらえたのです。

自分で自分の仕事を決める

この経験をしたとき、僕は「自分で自分の仕事を決める」ことって、とても大切なんだなと思いました。

上司やお客さんに言われたことを「言われた通り」にやっても、なかなか評価されません。人の思考を完全に再現することはできないので、結局「ちょっと違うかな……」とか思いながら、7〜8割ぐらいのものを持っていくことになります。

そうすると「全然ダメ」と言われ続けてしまう。

でも、何も言われてないものを、自分で決めてやる。その代わり、徹底的にやる。それを持っていくと「なんだこれ、すごいな!」という反応をもらえるようになったのです。

どの職種でもそうとは言えないかもしれません。でも少なくとも、言われたことをやるだけでは評価されないのなら、自分で考えたことを徹底的にやってみる。そうすると案外、認めてもらえることがあるんです。

それがわかったことは、けっこうなブレイクスルーでした。

決められたことだけじゃなくて、ついでにこんなこともやろう。このクライアントの背景だったら、こっちのやり方のほうがいいだろう。目標は「20%改善」だけど、「40%改善」するにはどうすればいいだろう。

そうやって自分で決めてやっていると、目の前の仕事が単なる「作業」ではなく「遊び」のようになっていきます。やらされながら仕事をするよりも、ずっと価値を出せるようになる。

周りからも認めてもらえて、どんどん楽しくなっていくのです。

組織にいながら、自分の「やりたいこと」をやる

僕のキャリアの中でいちばんのターニングポイントは、DIでビジネスプロデュースの原型をつくったことでした。2007~10年、30代後半にさしかかった頃のことです。

そのときに、なんだかすごく「自由」になれた感じがしたんです。

DIにはもともと「ベンチャー企業の支援」がしたくて入りました。A.T.カーニーでは大企業の案件が多かったのですが、自分としてはもっと中小規模の会社の支援に関わってみたかったのです。

ところが、ライブドア事件を機にベンチャー支援が成り立たなくなってしまい、DIはベンチャー支援事業から撤退してしまいました。

ベンチャー支援がダメになったタイミングで、もうDIを辞めようかなとも思いました。もともと入社するときには「今度は10年で辞めよう」と思っていたのです。

でも、そのときはまだ3年しか経っていなかった。せっかく入社したのに、まだ大した貢献もできていませんでした。

だから新しいことをやってみたんです。

新しくて、自分が「やりたい」と思えるようなこと。それが、大企業や官庁と連携しながら新規事業を生み出す「ビジネスプロデュース」でした。

「スマートコミュニティ」のコンセプトを日本で初めて考案したり、官民と連携して「LED照明」を日本に根付かせたり、インフラシステムの輸出の仕組みを考案して、様々な案件に展開したり……。

やりたいこと、おもしろそうなことをとにかく形にするうちに、いつしか大きな価値を提供できるようになりました。

そして気づけば、DIの主軸事業として続くことになったのです。

今年で入社から20年になります。今はもう、辞める理由はありません。社長をクビになったら、当然やめることになりますが。「やれるところまでやろう」という気持ちに変わっています。

それまでは「所属する会社を変えることで、やることを変えよう」としていました。だから転職を前提に考えていたんです。組織内で、会社から言われたことをやる……という感覚が、やっぱりまだ強かったんです。

でもDIでビジネスプロデュースを作ったときは、自分でやることを決めて、会社自体を変革することになりました自分のやりたいことができる環境を、自分でつくることができたのです。

自分で自分の仕事を決める。

そうすると、楽しいだけではなく、すごく自由になれます。

会社員でもフリーランスでも、どんな職種や業界でも、楽しく仕事ができる。その力が身につくことこそ、「究極の自由」なんじゃないかなと思うのです。

「時間」「精神」「経済」の自由を手にいれる

自由には3つの軸があると思います。

「時間の自由」「精神の自由」「経済的自由」の3つです。

この3つのどれが欠けても、仕事はどこかつらいものになるのだと思います。

仕事を回せるようになってくると、まず「時間の自由」が手に入りました。それからはずっと「精神の自由」を求めてきました。自分の仕事を自分で決める。自分のやりたいことをやる。

そうするうちに、気づいたら大きな価値を生み出せるようになって、「経済的自由」も獲得していました。

さらに言えば、この3つの自由は循環しているんです。

たとえば「ものすごく稼いでいるけど、時間がなくてお金を使う暇がない」ような人もいます。でもそういう忙しさも、経済や精神の自由があれば、あるていど調整することができます。

お金があるなら家事代行を頼むのもいいでしょう。忙しくても心からやりたい仕事に転職すれば、そんなにつらくないかもしれません。

そうするうちに余裕が出てきて、もっと大きなことや、大変だけどやってみたいことにもチャレンジできるようになる。

そうやって、3つの自由をグルグル回して、発展させていくことが大切なんです。

自由のフィールドを広げていく

この考え方は、いまのDIでの仕事にも大いに活きています。

新規事業をつくることは、関わる人たちが自由に動けるフィールドを広げることなんです。

新しい事業をつくると、これまでは行けなかった「新しい場所」に向かっていけます。そこへ向かう船にみんなで乗れる。ちゃんと売上を出せば、船に乗れる人の人数も増えていきます。

思考も行動も、既存の枠にとらわれず、会社の「外」に広がっていく。

だから新規事業をやっていると、自然と気持ちが前向きになります。

自由に動けるフィールドを大きくしていく。みんなで船に乗って、またそれぞれに魚を釣ったり、海に飛び込んで潜ったり、航路を調べたりする。そうやって価値を生み出していく。

ヨットで風に乗って、自由に海を走るあの感覚は、会社で働きながらでも味わえるのだと今は思います。

自分の仕事を自分で決める。そうすれば仕事は楽しくなる。それはフリーランスであろうが、大企業に属していようが変わりません。

自分で決めて、楽しく仕事をすると、いつしか大きな自由が手に入る。自由を追求するうちに新しいものが生まれ、大きな価値を生み出せる。

そうやって好循環をまわしながら、これからも仕事をしていきたいなと思っています。

DIの「ビジネスプロデュース」については、こちらの記事にも詳しく書いてあります。もしご興味を持っていただけたら、ぜひご覧ください!

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