漫画 働きマン
働きマン。
昔読んでました。
安野モヨコさん作。
で、Amazonの評価読んでて思った。
個人的には、今の時代にはそぐわないとか、男女差別だとか、いろんな意見も読んだけど、総じて評価は高くて、
私がその辺を思うに、
仕事に気持ちを込めるって事であって、
負けず嫌いとか、男以上に働くとか、みたいな根性も含めて、仕事への意欲情熱、捨て身で働く闘志も含めて、その人の生き様というか、生き甲斐だと捉えるとどうだろう。
凄く素敵なことではないのかな、と思うのだ。
要するにそれをしてるととても幸せだ、
ということだと思うのだ。
でもその幸せって簡単に言い切れない。
そこも含めての幸せなのかなって。
どういうことかというと。
嫌なことがあった?だから向いてないとか。
仕事なんてお金を稼ぐだけのツールとか?
そこに価値を置いてないからとか?
そもそもの仕事とのマッチング問題?
選んでも良いとされる時代。
なんだか、そういうことで、直ぐに結論を急いでしまうのって、勿体ないって感覚が。
だから今の人たちには通用しない、もはや、わからない感覚なのかもしれない。あ、これも差別?
仕事向いてないとか嫌なことあったとか、
価値置いてないとか、その必要ないとか、
ドライな感じも良いと思う。
だけどそれだけが全てではないというか、
それって本当に損してることなのかな?と思うことがあるのだ。
損してるってことが、本当に損なのかな?
みたいな禅問答みたいなことを言ってしまうけども、本当にそんな感じで。
年輪を踏まなければ掴めないこと、
見えてこないこともあって、
こんなことも乗り越えたからこの仕事を好きになったとか、それこそそれを根性と言ってしまえばそれまでで、でもそういう人生や仕事のあり方もありじゃないのかな、と思うのだ。
それこそそれがスキルになるのでは?
スキルやスペックって、
取ってつけた資格や飾りのようなものばかりじゃなくて、
鍛えてできた刀剣のように、
鍛え上げられて身につくことだってたくさんあると思うのだけど。
その可能性を、優しくないから実用的でないから、と守りに入ってばかりで、いとも簡単に投げ捨ててしまう可能性って、実は反対側から見ると実に怖いことだと思う私は間違ってるかな。
今は言葉の縛りがすごく強くて、
今の時代には似つかわしくないし、
間違ってるかも知れない。
もちろん美談にしてはいけないこともたくさんある。
でも人間に揉まれてストレス感じて、そこから這い上がってく達成感そのもの、幸福感そのものを否定したところで、その人の幸福全てを否定できるものではないと思うのだ。
投げ出しても良い、でも投げ出さなかった人を責めるのは違うと思う、みたいな。
頑張ることをやめたら幸福は逃げてゆく。
それも一つの可能性だ。
私はこの働きマンのアニメのエンディングに使われていたチャットモンチーのシャングリラという曲があるのだが、
その歌詞にある、
希望の光なんかなくったって良いじゃないか、
というフレーズが大好きだった。
そんなもの蹴っ飛ばして前へ進む、
まさに根性が、かっこいいなと思ったのだ。
理想を言えば光があった方がより完成されていてかっこいいのだろう、
光が見えなければキマらないし当然カッコ悪いだろう、
でもそのカッコ悪さも含めて、
前へ進んでやろうとする前向きな気持ちって、
かけがえなのないものだ。
誇りを踏み躙られたら悔しいと思う、
そういう悔しさは、
決して値踏みして得られるものではないからだ。
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