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日記 強さとか弱さとか

最近、そもそもネガティヴってなんだろう、と思うようになった。

自信がある人がちょっと腐って、ろくでもないこと言ってても、例えばロッカーとか。全然ネガティヴじゃないし、嫌な印象受けないと思うんだよね。ロッカーなんか、言ってることやってることめちゃくちゃ破壊的でネガティヴなんだけど、何故かパワーに溢れてる。
あれは芸術で、芸術ってネガティヴパワーてんこ盛り。実に偉大だと思う。
発散してくる。その一方で作家などは発散もしながら深い闇を手探りで探究もしてどっぷりハマってもくる。その強さに溢れてる。闇に過剰に怯えない。ずかずか踏み込んでいく。その分影があってカッコ良い。

その発散してる状態の上部だけ切り取ってネガティヴだ、破壊的だ、良くないと捉える人とはそもそも住む世界が少し違うから、そういううがった見方に至るのだと思う。そういう意味ではうまいこと棲み分けがなされている。真面目で気弱な人から見たら、ロッカーは怖いし強いから、そもそも接点もあまりなく近づかない気もする。

芸術的な狂気の世界をどう捉えるのかにもよると思う。

芸で発散して叫んでいても、ニルヴァーナのカートみたいに心を病んで自ら命をたって絶命してしまう人もいる。思うのは、それでも彼はかっこいいという点。

作家だと自ら命をたってしまった人は、太宰治や芥川龍之介などもいる。

破滅してもカッコよくて絵になる。

一般的なネガティヴのカッコ悪いイメージなんてない。払拭してしまう伝説的なカッコ良さがある。


いわゆる安っぽいポジティブでは到底太刀打ちできない。音楽でもなんでも底抜けのエネルギーと比較すると、カッコ悪く見えてくる側面があるから不思議だ。

鬱なども私思うに、プライド高い人やカッコ良い人からしてみたら、カッコ悪く映ること見えることが我慢ならない気がする。

というか私がかっこ良い人にカッコ悪いイメージを被せることが我慢ならない。
レイプみたいだ。

人より心が弱い人のイメージを植え付けられたり、暗い人に受け止められたり、敗者のイメージなど。マイナス効果ばかりで凄く嫌だと感じる。

可哀想という同情や慰めも度が過ぎるケースなど。少なくとも私が同じ立場なら嫌だ。我慢ならない。守ってあげなきゃいけない弱々しい人でも、助言を必要とするようなアホでもないだろう。

彼らは闇や影ににどっぷりだから、共に寄り添ってくる。そこからの発信は、高みの見物とは一線を画す。そういう意味では体や心を伴っていると言える。言葉にパワーがある。

私は誰でも鬱になったりする可能性はあると思ってる。

明るくてもとても気持ちが弱くなることはあって、ポジティブな人や凄いモチベーション高くて利発で有能な人でも追い込まれてしまうことはあるんだと思う。完璧主義な人とかだ。私は一見するとそんなふうには全く見えない人でもそうなる可能性があるところがむしろ、本来のネガティヴなエネルギーの怖さだと思ってる。

ロッカーは確かに強い。でも強いだけではない、強いと同時にとても優しい。だから弱い人たちに捕まってしまうことはある。

普段からネガティヴな感じの人は確かにいる。

腫れ物に触るじゃないけど、ちょっと何か言ったらすぐ泣いたり、騒いだり、優しいことを言うと依存してきたり、あなたが言ったからこうしたのにとか、脅しとも取れる脅迫して来たり縋りついてきたり、自分は怒らせるとヤバいんだよとか、キレると怖いんだよ、と言い出したり、陰湿だったり、気分にムラがあったり、過剰に執着したり。虚弱さが強力なタイプのネガティヴマン。
ふわふわしたカルトみたいな感じ。

常時、電気がチカチカ点滅してる感じの貧弱なネガティヴさとでも言おうか。一緒にいると疲れる感じの人はいるものだ。

色々噛み合わなくなるとヤバいと少し前の日記に書いたけど悪い人間関係や悪い環境に身を長い間置いてしまうと、上手く巡らなくなったり歯車が噛み合わなくなって狂って病んでしまったり、そんな風に好循環から離れて行ってしまうことはあると思う。

参考になったら幸いです。

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