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日記 優しいのがスキ


私は自分が疲れてる時、面倒くさい時、うなだれてる時、やさぐれてる時、優しく寄り添ってくれる歌が好きだし、そういう人が基本的に好きだ。


仮に今、いじめやパワハラを受けてる人がいたとして逃げ出したい気持ちになったら、

富士山噴火しねーかな、
人類滅亡しねーかな、
明日学校行きたくねーな、
会社行きたくないな、
なんか起こんねーかな、

と、この世の終わりを願ってみたり、

ふとどきな妄想して周りを困らせてみたり、
でも誰しもマジなお願い事したりするだろう。

それが悪いことだとは思えないのだ。

行き場のない気持ちをどこかにぶつけたくなってちゃぶ台ひっくり返したくなったり、ぶん投げたくなる気持ちだって当然だ。

※私の場合何もなくても時々壮大に不謹慎なろくでもないこと考えてるけども。
私のストレス解消法。

確かに時と場合によっては良くないこともあるかもしれない。可哀想なことだし、思いやりもないし、不謹慎だし、良ろしくない破壊衝動と受け止められるだろう。不健全もごもっともかもしれない。

でもそれを、みんながみんなではないのだが、

どこからともなく幽霊のように現れて、言霊のチカラが〜とか、何がしかのレッテル貼ったりしてくる人たち。ネガティヴだとか上から諭してギャースカギャースカ嗜めてくる人たち。言葉通りに受け止めてしまってめくじら立ててくる人。頼んでもいないのに遠まわしに説教したり指南したりする人たち。

勿論、みんながみんなではない。
優しく良い事言う人もいるのだが。
申し訳ないが一部の堅苦しくて胡散臭い人はほんと大嫌いだ。

その人たちは自分たちのことを愛に溢れて優しいとか良いことをしたと錯覚してることにさらに腹が立つ。また悪意ではなく善意からだったりするからこそ余計に面倒だったりする。

言われた方だってわからないはずがない。
誰だって望んでそんなこと思うわけではないこと、人によっては当然、自責の念だってあるだろう。それを何よりもわかってあげなきゃダメだと思うのだが。

そこをすっ飛ばして宥めたり説教したり、怒り出す人たちって、わかってないなあと思う。

私はくるりやサカナクションの曲が好きなのだが、曲もいいけど歌詞も良い。泣いたり怒ったり一緒にしてくれるような、疲れてささくれだったハートを否定せずに付き合ってくれる懐の歌詞が多いからだ。

歌なのに黙って一緒にいてくれる感じと言えばいいのか。底に共に止まってくれる旋律や優しいエネルギーが好きだ。

人の心の捌け口として出口を求めて彷徨う大切なエネルギーの一部を我慢させてばかりが正しい選択ばかりだとは思わない。

コントロールすることは大切だけど、はけ口が暴走しないように色んなことを妄想して妄想のうちにとどめて立ち止まってくる。そういう当事者の優しさや我慢比べだってわかってあげなきゃいけない。

がんじがらめではなくて、
もう少し息抜き出来るような、
何も出来ないけど、できることは少ないけど、風通しが良い雰囲気づくりができるといいな、
気軽になんでも言えるようなゆとりが持てたらいいね、という話。

だから極端に不謹慎なことを言って風穴開けて笑わせてくれるようなタイプの人は好きだ。
それもさりげない優しさ。大人だと思う。
大人の目配り。
アーティストなのに凄い。
お笑いも同じ要素あると思う。
だから何もしてないけどカッコいい。
多分、素で、深い考えはなく感覚でやってるんだろうけど、でも凄い。

そして何よりその方がちゃんとハートに届きやすいと思うから、だから頭もいいなぁと思うし、そうやって俯瞰して考えるとビックリする。

ここでいっても仕方がないけど、前から思っていて今日もなんとなく思ったから書いてみた。

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