底にある景色 1

 結論を申し上げると、筆者は成人式には参加した。「行かない」という選択肢を選ぶ理由はいくらでもあった。X(旧Twitter)のタイムラインをはじめ、ネット上では成人式での出来事を取り上げて「行くのは無駄だ」と声高に主張する人物は数多く存在するし、筆者自体も成人式に参加する意義を見出せなかったのである。成人式の翌日には試験も控えている中で試験勉強を行いたかったのは偽らざる本音だ。両親をはじめとした家族に「一生に一度の機会だから行ってこい」と言われるがまま参加することになった。成人式の会場への足取りが重い最大の要因は、筆者の中学生時代はあまりいい思い出がない「黒歴史」だったからだ。
 2019年1月に成人式に参加した頃の筆者は言ってみれば前年の2018年から続く迷走状態だった。大学の成績は振るわず、2年生から3年生への進級が割と危うい状態。半年ほど前に人生で初めてできた彼女と初恋相手の女性に立て続けにフラれ、また11月に筆者にとってよき理解者だった親類が逝去したので精神的にも不安定な日々を送っていた。法事の関係で定期的に東京と故郷の北陸地方を行き来していたので、長期のアルバイトを行えない。自腹を切って入校した自動車学校にも気乗りせず通わない。何かストレスが溜まったら貯金を切り崩して旅行に行っては、欲しいものを買う。思いつく限り自堕落な日々を送っていた。
 幸いにも大学でできた友人には恵まれており、高校時代からの友人も一定数付き合いが続いていた。彼らは筆者のことを気遣って迷走する筆者に直接苦言を呈することはなかった。しかし今自分自身を振り返ってみると、転落を遂げた上での迷走の最中にいたのは事実だと思う。
 そもそも筆者は転落するほどの地位に元々いたのだろうか?成人式の会場に向かう道中で筆者はこれまでのことを思い返していた。思えば義務教育を終えて以降、同じ都内とはいえ最寄りの区とは違う学校に通っていた。中学時代までの知人との付き合いもだいぶ薄くなってしまった。正確に言えばこちらから避けていたのだけれど。
 「公立中学校は社会の縮図」という言葉があるが、かなり的確な表現だとは思う。筆者が通っていた中学校からは名門大学に進学して広告代理店に入った人間もいれば、早々に警察のお世話になってしまう人間もいた。筆者の中学時代は勉強の成績もいまひとつで、物理的な力はとにかく弱かった。所持品のカバンや筆箱を教室の窓から投げられるのは日常茶飯事だったし、プールや生け垣に突き飛ばされた光景を周りのみんなは笑って眺めていた。極めつけは第一志望の都立高校への受験に失敗したことにより、学年中で笑いものとして有名人になってしまったのだ。
 3年間を過ごした中学校の卒業式では寂しさはあった。先生方には本当に親切にしていただいたし、高校受験でもお世話になった。しかし卒業式以降、中学時代の同級生とは街中で会ったら少しお話する程度にとどめ、自分から遊びに誘う機会はなかったと記憶している。学校の地区だけではなく交友関係も変わったのである意味自然なことだったのかもしれない。最大の要因は中学までとは別人のような変化を遂げたことが挙げられるだろう。

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