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教師には何も期待しない。だからせめて、放っておいてほしかった。

 1年以上前の2022年12月。場面緘黙症だった私にとって見過ごせないニュースがふたつあった。
 ひとつは、以前の投稿でも触れたが、静岡県裾野市の保育園で、保育士が園児を虐待した暴行容疑で逮捕されたこと。私も、約35年前に保育士から心理的虐待を受け、無理やり喋らされた経験があるので、他人事ではなかった。
 もう一つが、熊本市教育委員会が、2019年に自殺した男子中学生の小6のときの担任教師を懲戒免職にしたことだ。その教師は、複数の児童に体罰や暴言を繰り返したことが「不適切な指導」だと市教委から認定された。緘黙の児童に対しても、酷いことをした。第三者委員会の調査報告書は、ネット上でも公表されている。

(教諭は)部活動に関して自説を曲げない面があったり、授業に悪影響が出たりしていることもあった。(中略)緘黙状態の子どもに対して専門家に相談することなく発声指導を行ったり、他の児童に「声が聞きたい人」と尋ねて手を上げさせたりしていた。

調査報告書(公表版)
令和 4 年(2022 年)10 月 24 日 熊本市子どもの死亡事案に関する詳細調査委員会

 
 発声指導?
 大きなお世話だ。
 その児童が味わった悔しさや、やるせなさを想わずにはいられない。不安や恐怖も感じたかもしれない。
 無知な教師ごときに、緘黙が固定化した子どもの最も繊細で敏感なテリトリーに立ち入ってほしくない。


 私自身は、保育士からは喋るよう強要されたが、就学以降、教師からはそのような「指導」をされたことはない(代わりに、就学時の「支援」もなかったことは以前も書いた。)。
 だが、無神経・無自覚に子どもを傷つける教師、自分の間違いを認めない教師、無駄に熱い教師など、いろいろな教師がいた。私が家族以外で唯一喋っていたのが、‟先生“と呼ばれる人だったのだが、‟先生”には、期待も信用もしていなかった。今思えば、保育士からの心理的虐待で無理やり喋らされた恐怖体験が、心の奥底に巣食って警鐘を鳴らしていたのかもしれない。
 “先生”は、正しくないと。

 公立小中学校という闇鍋

 私はずっと、学区で決められた公立の小・中学校に通った。
 そこは、闇鍋だ。
 たまたま同じ年度に生まれ、たまたま同じ地域に住んでいた子どもが、義務教育の名のもと強制的に集められる。
 入学にあたり何の選抜もされないから、私のような緘黙児も、今で言う発達障害児も、金持ちの家の子も、貧乏人の子も、勉強ができる子も、できない子もいた。私が喋らないことを全く責めずに友達になってくれた子もいたし、殺したくなるくらい憎い奴もいた。いろいろなタイプの子どもが、一つの教室に押し込まれ、学年が上がるにつれて、その「個性」が顕著になっていった。
 子どもだけではない。その闇鍋には当然、教師も入る。どんな教師をつかまされるのかは、4月の始業式まで分からない。
 
 私が小5から卒業するまでの2年間は、同じ担任教師だった。年齢は、当時の親世代で30代後半くらいの女だった。場面緘黙症の私に対して、声を出させるような「指導」があったわけではないが、ヒステリックな女だった。

 例えば、その学校では毎年秋に行われる音楽会での合奏に向けて、各自がピアニカやリコーダーその他の楽器の練習を数か月かけて行うのだが、高学年にもなると、ピアノやエレクトーンを習っている児童の方が、音楽に疎かったその担任より知識も技術もあった。それなのに、偉そうに教壇で指導するものだから、習い事をしている児童から「先生、間違ってます」と指摘されると、「うるさい!」などと声を荒げていた。子どもの目から見ても、おかしな教師だった。
 いつしか、男子児童は、その女教師を陰で呼び捨てにするようになった。私も、家で親と学校の話をするとき、その女のことを呼び捨てにしていた。

 正論はいらない

 本当は、学校で友達と話をしたいのに、それができないというのは、とてもつらいことだった。学年が上がるにつれて、そのつらさは増していった。特に、「場面緘黙」という言葉もない時代には、喋れない理由が自分でも分からなかったし、説明もできなかった。ただの変な子どもだった。周りから変だと思われていると意識することもつらかった。
 小学生の子ども一人の力では、そのつらい状況を変えることができず、かといって、私は大人に助けを求めることもしなかった。
 緘黙を脱しないまま学年が上がり、小5くらいになると、頭の中ではっきりと言語化しないまでも、教師に対してはこんな気持ちになった。
 もうお前らは何もしなくていい。ほっといてくれと。
 
 喋れないことが普通とは違うことは、自分が一番よく分かっている。嫌だったのは、周囲から喋らないことを指摘されることだった。恐れたのは、大人から「喋らないと自分が困るよ」などと、偉そうに正論を吐かれることだった。
 そんな正論は、分かっている。
 分かっていたから、私は高校から緘黙を脱した。誰の力も借りずに自力で。

 はりぼての「多様性」

 時がたち、時代も変わり、いくつもの言葉が新たに生まれた。
 場面緘黙症だけではない。不登校、発達障害、それに、引きこもり。
 引きこもっている人への正論は、暴論だ。「親が死んだ後どうするんだ」などという正論は、他人に言われるまでもなく、本人が一番分かっているはずだ。分かっていても、変えられない。変えられないから苦しい。その苦しみは、関係ない他人には理解できない。そこに、分かったフリが得意な福祉ヅラをした奴がすり寄って来ると、苛立ちしか生まないだろう。
 だから、言いたい。
 ほっといてやれと。その代わり、責任は本人が自らとる。
 
 「多様性」という流行り言葉が、どれだけ無味乾燥か。ただのはりぼてでしかない。
 「人権擁護」「差別は許さない」などと声高に主張する人ほど、自分の意にそぐわない人に対して攻撃的になり、無自覚に口汚い。それによって、目に映らないマイノリティーを貶めていることに気づきもしないで。
 正論を吐く人は、自分は正しいことをしていると思っているが、それは、勘違いだ。
 言われる相手からすると、間違っている。大きなお世話でしかない。
 正論は、間違いなのだ。


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