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【短編】楽園

「極道の車が禁煙ってどういうこった?」

俺は那智勝浦の海岸でアクセルを踏みながら独り言た。
右手には夕映えが美しく映り、静かな港は赤く暮れなずんでいた。

適当に停めて車外でタバコに火をつけた。
親父が禁煙してるので急遽、組の全車両は禁煙車となった。
親の言う事は絶対の世界である。
(…俺も禁煙すっかなぁ…)

生きてる時はうるさく言われてたし…

『も〜!車の中ではやめてって言ったじゃない?服にも髪にも匂いついちゃうから〜!』なんてよく怒られたのを思い出す。

吐き出された煙は潮の匂いと混ざり霧散する。
あの時火葬場の煙突から出る煙と何も変わらない。
拡散したお前の煙とタバコが混ざってももう文句は聞こえない。
「楽園にいるんだろうな…俺のような悪党には決して行けない所に」

静かな港は波の音すら聴こえなかった。

車に戻るとガキが車内を見ていた。中高生か?それヤクザの車ですよ〜危機管理能力低すぎない?

「お嬢ちゃん、何か御用ですかね?」Theヤクザスタイルの俺に少しびっくりした様子を見せる彼女は警戒する猫に似ていた。
「あっ…あの…近くの駅まで乗せて欲しくて…」
なるほど、この辺は車の通りも少ない。
大方ドライブデートの途中に彼氏とケンカして飛び出したか降ろされたか、よくある話だ。
気の強そうな感じにも見えるし、ヤクザ丸出しの俺にも対峙できる胆力もある。

「…ジロジロ見ないで!」少し赤面した彼女は訴えた。
「ふ〜ん、新宮駅までならいいぜ、後俺への報酬だが…」ドアを開け運転席に乗り込みながら言った。
「おっぱい揉んでイイ?」
爽やかに聞いた。すると即答で
「3揉み!3揉みだけなら!」
と交渉はおっぱいの如く丸く収まった。

「何で助手席座らんの?」と俺が聞くと
「オジサン変態だから」と笑い
「…ホントは…海をみたいから」と後ろの席に座った。
何だかんだ言ってもケンカした彼氏が気になるのだろう。
しばらく無言が続く。
新宮駅は車ならすぐそこだ。
どういう訳か迷ったのか?辺りは真っ暗になってしまった。
これでは本当に少女をさらう変態ヤクザになってしまう。
対向車線にも車は現れずカーナビも反応しない。
高級車の最高グレードの最新ナビが無反応とは?

あのクソディーラー覚えとけよ!走り続ければどっかには着く。
疲れてしまったのか彼女は俯いていたが、そのうちボソボソと呟きだした。

「…この辺は昔から魚々だけが暮らしの糧だった…みんな都会に就職して戻ってこない。」
泣いてるのか?話くらい聴いてやるが迷子のヤクザの愚痴も聴いて欲しい。
「何だよ…彼氏に振られたのかよ?アンタ可愛いから大丈夫だって?」
ヤクザの慰めなど聴いていないのかかぶせ気味に彼女は呟く。

「…もっと昔は戦乱や飢饉に何度も見舞われ心の拠り所は信仰だけとなったの…」
まだ右手には暗い海が広がっていた、もうとっくに三重県に着いてもおかしくない時間走っているのに。おかしい!嫌な汗が背中を伝う。

「だけど人々は思ったの…これだけ仏に祈っても何も変わらない…何故って?」
俯きながら尚も続ける。
「想いを組んだ寺の住職は命を掛けて『業』を行うの。補陀落渡海っていうの。」彼女の顔がミラー越しに映る、空洞の眼窩。アカン、怪異だ。
「…っへ〜、アンタ詳しいね…新手の勧誘?
フダクラトカイ?何かの呪文みてぇだな?」焦っていてもそうみせないのがヤクザだ。
外を伺う、どうせブレーキも効かないんだろ!

その時右手の海にぼんやり光る何かが同じ速さで
並走しているのが見えた。船だが何かおかしい!

「補陀落渡海は捨身行、行きて帰る事は無いの…だからその船に乗ると出口を釘で塞がれる…」

そして後ろから俺の首に細い手が絡まった。
運転席ごと抱きしめる形だ。
カーナビから歌が響く、いや、御経だ。
大勢の怨嗟の声が海の底からこだまする。
『南無阿弥陀仏』
「4つの鳥居に囲まれた奇妙な船で救世の声を拾い自らを仏に変えたの!」
細く白い腕はゆっくり俺の首を締め、右手の海にはやはり、
「くっ…!なぁあれが補陀落船だよな?鳥居付いてるし飛んでるし…それで何で俺を殺そうとすんの?」

首を締める力が弱まり彼女は言った。
「…だって、貴方は死にたがってたもの。」

パァン!

対向車線のトラックがクラクションを鳴らす!
瞬間俺はブレーキを思い切り踏んだ!
カッチ…カッチ
何故かウインカーが鳴っている、どこも事故らず怪我も無い。補陀落船も消えている。
なのに彼女の声が聴こえた。

「…助手席に座らなかったのは貴方の奥さんが座ってたから…貴方は愛されてるから連れて行くのは辞める。私は誰にも愛されなかったから…」

海辺は静寂に戻った。

俺はタバコに火をつけながら、
「…傷でも付いたら頭に半殺しにされるところだったぜ。」と呟き煙を吐いた。
「幽霊のおっぱい揉んどくんだったな」と笑った。










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