岡本悠真

イギリス滞在経験があり、英語教員の経験と極真空手二段位を有している。那須川天心選手と同…

岡本悠真

イギリス滞在経験があり、英語教員の経験と極真空手二段位を有している。那須川天心選手と同じ空手道場で指導経験があり、天心選手の先輩にあたる。 amazon kindle出版作品の英語への翻訳に邁進中である。

最近の記事

あこがれの氷柱割り演武へ

僕は親類への挨拶も済ませ、その後、勤務先にも退職の意志を伝えた。伝えるのが3月初旬でぎりぎりだったということもあり、上司の教頭から少し文句を言われた。その教頭は以前、教員の生徒人気ランキング表などを作って教員に配り、まるでどこかのブラック企業にいる営業部長のようなことをして教員から嫌われていた。そんな上司だったので、退職することで気分が清々して、文句を言われようがほとんど気にはならなかった。やめる理由は英国企業で働くという理由にした。多少、疑いの目で見ら

    • 必死の説得

        翌日の日曜日、僕はまず実家の厳格な父親に事の次第を打ち明けることを心に決め、早起きして8時半には1人で車に乗って実家に向かった。実家は住んでいたマンションから車で15分くらいの所だ。実家に到着し、玄関に上がると父親が普通に出迎えてくれた。 母親は買い物で留守にしていた。ソファに座るよう言われ、僕は腰を落ちつかせ、近況などを報告してから本題に入ることにした。 「実は今の仕事をやめようと思うんだ」と、僕は意を決し厳格な父親に言った。以

      • 「日本人空手家として英国での挑戦へ」

          僕は日本に帰国してからは、元通りの生活を送っていたが、4月になり、勤務する学校も校長が変わってから異様な締め付けが教員に対して行われるようになっていた。私立高校だったのでそういうことはよくあることだが、居心地が悪くなっていた。例えば、早朝に出勤させて理事長に朝の挨拶をさせるのが日課としてあった。また、学校説明会を毎週のように日曜日に設定し、強制的に手伝わせることもあった。最近になって、ようやくそのようなパワハラ的な職場環境に対しては世間的に問題視されるようになってきている

        • 航空機内での決斗

           帰国前日にジョージから,   「正月も一緒に過ごさないか? 年末にトミーと一緒にバーでバウンサー(用心棒)の仕事があるんだ。ナオトも一緒にやらないか?」と誘われた。「用心棒」という仕事を持ちかけられるということ自体、僕の想像の域を遥かに超えた出来事だった。僕はとても驚くと同時に、少し興味も湧き上がったが、航空チケットを一度キャンセルしていたこともあり、その話に乗る訳にはいかなかった。   いずれにしても、僕は短期間ながらも充実した日々を過ごせて、帰りの航空機内では満足

        あこがれの氷柱割り演武へ

          再び英国へ

             帰国してから数か月たち、12月後半の肌寒い季節になっていた。ある日、たまたま勤務先の学校に取引先の旅行会社の営業マンが来ていた。30代くらいのいかにもサラリーマン風の男性で、紺のスーツで白ワイシャツにワインレッドのレジメンタルネクタイを身にまとい、事務室前で事務員の対応を待っているところだった。彼はこの学校の英国研修旅行の担当者だった。僕はイギリスの話がしたくなり、僕の方から彼に話しかけた。イギリスの状況や滞在中の姉妹校の生徒の話題などで話は盛り上がった。その話の中で

          再び英国へ

          遥かなる地での挑戦記

             僕がホールのエントランスにある受付カウンターの所から中を覗いていると、指導員らしき筋肉隆々の、スキンヘッドの黒帯が僕のところにやって来た。背丈は大きくなく僕より少し低いくらいだが恰幅が良く、年齢は五十歳前後に見えた。帯を見ると金線が3本入っているのですぐに3段だとわかった。僕は当時初段であった。 「ハロー」と声を掛けられたので、 「ハロー」と僕もすぐに返答した。すると、 「ここで空手を習いたいのか?」と聞いてきたので、 「私は日本人で、すでに同じ流派の初段を持っています

          遥かなる地での挑戦記

          遥かなる地での挑戦記〜イギリスで空手家を目指した英語教師

          イギリス人の空手家との出会い    6月初旬の夏の気配を感じる時期に僕はイギリスに初めて渡った。その際、イギリスの伝統や文化の重みを非常に肌で感じた。それはイギリスに飛行機で降り立つ直前、空から見えた街並みの景色や、初めて目のあたりにしたイギリスの19世紀の雰囲気を残している街並みで感じられた。空からの景色はほとんどの家の屋根がベージュ系一色で統一され、街並みはチャールズ・ディケンズの「大いなる遺産」、や「オリバーツイスト」などに登場する光景だった。石畳が地面一面に連なって

          遥かなる地での挑戦記〜イギリスで空手家を目指した英語教師

          イギリスで英国人の黒帯と一騎打ち

          渡英することになる    僕は英語教師を辞め、イギリスで空手家として永住することを決心しました。 僕がいた高校では、英国英語研修といって、生徒を 100名ほどイギリスに引率する仕事を任されることが何度かありました。最初に引率した際に、宿泊していた寮の近所に極真空手の道場を偶然見つけて、そこで知り合った道場生の青年と仲良くなりました。彼はその後独立して道場経営者として成功を収めました。    映画やドラマでよくあるような話ですが、丘の上にグリーンの広大な芝生のある豪邸を買い、

          イギリスで英国人の黒帯と一騎打ち

          氷柱割り演武

            脛(すね)を鍛える   千葉の道場では毎年演武会が催され、氷柱割りの演武はそれまで先輩の古参指導員が任されていましたが、いよいよ私の所にお鉢が回ってきたのでした。氷柱割りは私のあこがれの演武で、極真空手でも花形と言われる演武で前からやってみたいと思っていました。   演武までは1か月を割っていましたが、英国へ発つためのいろいろな準備と並行してその準備も推し進めなくてはなりませんでした。(この時点でイギリスで空手道場を開設するために教頭に退職願いを出していました)   そ

          氷柱割り演武

          那須川天心選手がいた道場に転属

          千葉に転勤   私は埼玉の宮原道場で2年ほど所属後に、今度は千葉に転勤になりました。当時いた職場は埼玉と千葉に姉妹校があったので、教員はしばしば異動させられました。   しかし、千葉県の道場には全くコネもなかったのでどうしようかと考えあぐねていた時に、城西支部でお世話になった先輩から千葉にある道場の師範を紹介してもらい、そこへ通うようになりました。   その道場の師範は、極真空手のマニアであれば知らない人はいないと思われる指導者であった加藤重夫先生の直弟子でした。   その

          那須川天心選手がいた道場に転属

          極真空手の黒帯登録

          真相究明に向かう  昇段状と雑誌へのレポート掲載もなく、それから1年程すると、別の黒帯指導員が来ることになり、5年間くらい指導していた前任の黒帯指導員は他の道場に転属することになりました。  私は一度だけ、 「先輩、昇段状はまだ来てませんか?」と、聞いたこ  とがあり、 「もう少し時間がかかると思う」と言われました。  私はお世話になった先輩に、何度も聞けず、その 先輩とはそれから会うこともありませんでした。  それからさらに1年経ち、極真会館の会員制度というものが出来ま

          極真空手の黒帯登録

          なかなかもらえない極真の黒帯

          池袋に黒帯を注文しに行く  昇段審査会が終わると、当時私の道場指導者だったある黒帯の先輩が駆け寄ってきて、 「黒帯合格だ!」と言われ、私はホッとしました。 帰りは応援に駆けつけてくれた道場仲間と飲みに行き、そこで飲んだビールの味は格別だったのを覚えています。  しかし、それから2週間くらいしても黒帯をもらえなかったので、  「先輩、黒帯を自分で購入して締めてもいいです   か?」と聞いたところ、  「いいよ、正式な帯は時間がかかるから」と言われました。  私は念願の黒帯を

          なかなかもらえない極真の黒帯

          騙されていた極真空手の黒帯

          昇段審査会  極真空手の昇段審査会と言えば、10人組手が必須でした。一人で10人の上級者を相手に戦わなければなりません。想像以上に厳しい組手です。しかし、当時の城西支部昇段審査会では10人組手は廃止になりました。その理由は、壮年部(35歳以上)の男性道場生が、10人組手の途中で心臓発作を起こし亡くなってしまったということからでした。   それからは10人組手の代わりにより厳しいと思われるような昇段条件が出来てしまいました。 次のようなものです。 ①交流試合で準々決勝以上に

          騙されていた極真空手の黒帯

          極真の黒帯取得までの道のり

          極真空手黒帯を取得する難しさ  極真空手の黒帯を取れる確率は、昔は1000人に1人と言われていた時期もあります。現在は100人に1人と言われています。これは道場数の増加にも関係あると思いますが、昔の稽古の方が厳しかったということもあると思います。  例えば、基本稽古にしてもそれぞれ20本ずつが当たり前で、私も基本稽古だけで死にそうになった記憶があります。現在は10本ずつです。  また、組手もほぼ全力で打ち合うようなガチンコでしたが、現在は力を抜いてやるスパーリングという形に

          極真の黒帯取得までの道のり

          極真空手を始めたきっかけ

          極真空手とは  amazon kindleで「イギリスで空手家を目指した英語教師〜遥かなる地での挑戦記〜」の出版にあたって、この小説に登場する(小説では極真の名前は伏せている)直接打撃制である「極真空手」とはどのような空手流派なのか、そしてどうして私がそれを始めたのか、についてお話したいと思います。  極真空手は今さらご説明も必要ないかもしれませんが、故大山倍達先生が作り上げた空手流派であり、顔面へのパンチと金的(男性の急所)以外への突きや蹴りの攻撃は許されているスタイル

          極真空手を始めたきっかけ

          イギリスで空手家を目指した英語教師〜遥かなる地での挑戦〜

          イギリスで空手家を目指した英語教師〜遥かなる地での挑戦〜