2023年10月25日 まだまだ日本が今よりもコロナ後遺症の頃。 (今もまだまだ後遺症はつづいているけれど) 母の入院している病院では、 面会が、土日祝以外。 お風呂の日をのぞいた平日1時から3時までの間の 一人20分まで 子どもは駄目って決まっていました。 けれど 母の誕生日を控えて 何とかお願いして 病院の庭で30分以内なら 子ども(母にとってはひ孫)と面会ができるように 配慮してくれました。 もうその日は 母も大喜びで 看護師さんたちも 大勢が部屋から出る母
母が亡くなってもう半年以上たつのに 時々思い出しては涙ぐんでいる。 亡くなった母は93歳。 私は63歳。 親がなくなって当たり前の歳でも こんなに悲しいんや。 うーん。 悲しいという言葉とは少しちがう。 恋しい。 懐かしい。 寂しい。 一言では言い表せない。 誰かと 母の思い出を話したいけれど なかなかそんな相手はいなくて。 そんな気持ちを ここに綴ってみたくなった。 今年の1月に退院した時は 時系列に あったことを書いていったけれど 今度は時系列とか そん
「うわ、たんぽぽさん素敵。」 「可愛い。」 と、渚ちゃんと、千秋ちゃん。 「え、僕のこと?」 冬真君も、見とれて、口をポカーン。 たんぽぽは、お日さまの光の中で、ふわふわの白い綿毛になっていったのです。 「なんだか体が軽い。」 ふわふわゆらゆら。空に舞い上がります。 さっきまでの雨と風で、木から解放された桜の花が、たんぽぽに手を振りながら地上に舞い降りていきます。 タンポポを見て、ピンクの頬を赤く染める桜の花もいます。 「ほら、言っただろう。君はいかしたおいらの友達
次の日も雨。雨は土をとかし、セロハンを破り、リボンもヨレヨレにし、ビーズもなにもかも真っ黒にしていきました。 悲しくて、冷たくて、寒くて、泣き出すたんぽぽ。でも、だれも気づいてくれません。 そのうちたんぽぽは、泣きつかれて寝てしまいました。 どれくらい寝たでしょう。雨がやんだようです。 声がします。子供たちです。 「見ーつけた。」 冬真君が、雨で重たくなった土を、スコップでどけてくれました。 久しぶりに、外の世界に姿をだしたたんぽぽ。 でも、たんぽぽは、花を閉じ
「じゃーんけんでほーい。」 負けたのは、冬真君。勝ったのは渚ちゃんと千秋ちゃん。 「私たちがたんぽぽさんを隠すから、冬真君は目をつぶって、百数えてね。」 「うん。」 冬真君が目を閉じると、二人は場所を探します。 「ここにしよう。」 千秋ちゃんが、土を掘っている間に、渚ちゃんは、手提げ袋から何やら取り出しました。 透明のセロハンにキャンディの包み紙。真っ白の綿。色とりどりのビーズもあります。 たんぽぽのドキドキはもうとまりません。 二人はたんぽぽに近づきました。千秋ちゃ
(昨日の続きです) さっきから、土いじりに夢中の子供たちです。 「何をしているの?」 たんぽぽは思い切って声をかけました。 「宝物を、土の中に隠すんだ。じゃんけんで負けたおにが、それをさがす遊びだよ。」 と、冬真君と千秋ちゃん。そう言って見せてくれたのは壊れたおもちゃでした。 「宝物?」 二人はそれに答えず、一心に 土いじりを続けます。 「もういいよー。」 「はーい。」 鬼の渚ちゃんが、やってきました。渚ちゃんは、土を指で優しくなぞっていきます。 「あ、ここだ。」 渚ちゃ
【去年 新見南吉さんのオマージュ作品として 書いて応募して没になった作品です。 元々の作品は新見南吉さんの「花を埋める」です。】 たんぽぽはいつも思っていました。 「桜の花はどうしてあんなに美しいのだろう。 僕なんてちっともかなわない。」 たんぽぽの前をせっせと食べ物を運ぶ蟻たちは言います。」 「君の黄色も、お日さまみたいでかっこいいじゃないか。自慢の友達だよ。」 たんぽぽは、空を見上げました。 けれど、空は桜のピンク色で覆われて、お日さまは見えません。 向こう
ずっとNOTEかけてなかったです。 その間に 母が旅だちました。 令和6年3月20日 92歳でした。 5月6日に 49日を終え やっと また書き始めようと 自分の書いたNOTEを読み返しだんですが、 泣いてしまって 今日はここまで
朧月 ああ、おぼろ月ね もちろん知ってるよ。 好きだよ。 あの 菜の花畑に浮かびだす月の姿がいいよね。 で、 畑の中に月が入ったり 消えたりしてるうちに ちっちゃい月がいっぱいできて まわりの星ももっとたくさんでてきて 緑色に光りだすんでしょ。 え ちがうって そんなん知ってるよ ちょっと言ってみただけ だって お花畑みたいな 空って綺麗でしょ。
認知症の薬がなくなり、母の起きてる時間がすこーしですが増えてきました。 それと同時に 口から飲む水分量がかなり増えてきました。 これなら、もしかしたら 点滴はいらないのではないか? と、看護師さんに相談。 看護師さんから 担当医へ。 じゃーん 3月6日 点滴が外れました。 これで リハビリもしやすく 車いすに乗る練習もしやすくなります。 3月11日 早速、リハビリの先生にお願いをして、 車いすに乗せていただきました。 そのまま眠ることもできる車椅子ということ
少しサボっていましたが、母の近況報告です。 とにかくよく寝る母でした。 傾眠傾向といい、もう老衰で仕方ないとか。 でも、水分少なくて エネルギーも少ないと どうしても眠くなってしまいます。 断食をしたときがそうでした。 なので、 だいぶ口からとろみ水を飲んでもらい、 ゼリー食を食べてもらおう。 としても、 殆ど寝ているので、 食べる時間がとれない。 どうしよう。 あ、 もしかしたら。 母が飲んでいる薬は 今は 痛み止め 糖尿 そして、 認知症のメマンチン
庭と玄関に 2本の椿の木があります。 子供の頃は白い椿もあったのだけれど 部屋の建て増しで どんどん庭が狭くなっていって いつの間にか 白い椿が消えていました。 さあ、題名は変えたけど、 今回も母の退院後の近況報告です。 2月15日 朝もから 喉の調子はいいけど 寝てばかりで機嫌はよろしくない。 でも1時半に 突然目を覚まし 「お腹すいた」 おー こんなん言って起きるのは 初めて。 でも2時からは 訪問看護師さんが。 母の食事を用意してる間に 2時になってしまいまし
2月11日(日) 点滴を減らしてから、 咳や痰はましになったけど とにかくよく寝る母。 ゼリー食をたべていても 「もういい。寝る」 テレビをみていても 「もういい。寝る。」 おばあちゃん大好きな娘が、 同じような 介護食用のゼリーばかりやから 嫌になてるんちがうかな。 と心配。 彼女の提案で 少しでも母にゼリー以外のものを食べてもらおうと、 八朔を絞って それにとろみをつけて母に食べてもらうことに。 これが大失敗で 母の喉にひっかかり エンエンむせて ごほんごほ
やっと日記が追いついたので 少し落ち着いて書いていけそうです。 昨日は夜中はスヤスヤ寝ていたのだけれど、 明け方5時ころから かなり咳と痰が苦しそう。 しばらくしたら 落ちつくことも多いので、 ちょっと待って まだしんどそうなら口の中きれいにしよう。 と思っていたら 私の方が寝てしまい 気が付くと6時半。 まだ咳込みが苦しそう。 慌てて 口の中の掃除と とろみ水を飲んでもらう。 中々おさまらない。 介護ベッドの振動を止め、 酸素を外し(これでだいぶ喉がかわいてしまう
2月8日 今日は主治医の診察の日。 「元気ですか?」 「寒いですねえ」 「晴れてて暖かそうなんですけどねえ」 と、来てくださるたびに言葉が暖かくなってきて嬉しい。 母の痰と咳の体調を伝え、 血圧や脈、酸素、肺の状態等の診察を終えると、 「特別悪くなってるところはないですが、 やはりまた点滴の量が多くなっているのでしょう。 500から250に減らしましょう」 以前、点滴の量や管からの栄養が多いと、 溺れたような状態になって、 痰が増え、苦しくなると聞いて、 実際、減らし
2月4日(日) やはり母の痰がまた多くなっています。 食べたい気持ちはわるけれど、 痰が絡んであまり食べれず。 久しぶりに 看護師さんが痰吸引をしてくれたけれど、 あまりよくならず。 2月5日(月) 夜中1時くらいまでの痰のからみがしんどそうです。 依然の痰が絡むだけと違って 咳ができるのでもう少しで自力で出せそうな感じもするのですが。 今日は初リハビリ。 まずは初めてなので、 母の可動域をみてくれるそうです。 10時からなので、私の仕事とかぶり、 見学はでき