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哀しい、辛い、嬉しい、幸せ、それが生きているということ

ツツジが咲くと、思い出す。

「あなたが産まれた時、病院の周りにツツジが
たくさん咲いていたのよ」

と、親によく言われたことを。


たぶん、最初は愛されていたんだと思う。
産まれてすぐは、赤ちゃんは何もできないけど、
存在しているだけで周りの人を癒し、赤ちゃんを見ているだけで、心が幸せで満たされる。


だけど、物心ついた頃には、親から尊重されない、自分の思いは否定される、私の劣っている所や失敗をあげつらう、親の思い通りにコントロールされていた 過去があった。


そんなふうに扱われると、"自分"が育たない。
自己否定の塊のようになる。
よく言う、自己肯定感が低い、まさにこれだった。
なぜ自分はみんなみたいに楽しく生きれていないのか、その時は理由なんて分かるわけもなく…
こんなふうに生きるしかないんだ と諦めていた。


常に人(親も含めて)のことを優先に考えるから、
自分の気持ちを大切にしない。
いや、できなくなってしまった と言ったほうが正しいのかも。
自分の希望なんて、ほとんど叶うことはなかった。全て親に否定されるのだから。
自分の気持ちを持つことを諦めざるを得なかった。
だから、自分よりも他人に気を遣う考え方になってしまった。


高校の時、進路を決める時、その考え方が反映された。
親が栄養士だったこと、その影響で私自身、料理が好きだったことから、栄養系の大学に行けば親が安心するだろうと。
そして、就職先を決める時、親が受けなさい(私の娘はあの病院に勤めているのよと、見栄を張りたいため)と言うから、本当は自分に合ってないとわかっていたのに、その地域で一番大きな病院に就職試験を受けてしまったこと。


その病院に入れたものの、自分というものがないから、仕事が自分事として考えられず、周りと比較して自分がどんどん惨めになってしまっていた。


命を扱う現場。カルテで患者情報を見て、血液検査データをチェックして、バイタルも確認する。その情報に基づいて栄養の面からアプローチするのだけれど、私には荷が重すぎて、プレッシャーもかかって、それまでのいろいろな我慢が限界に達し、仕事から車で帰る途中、白いセンターラインを超えたら楽になれるのかなと、一瞬そんなことが頭をよぎった。
でも、私にはそんな勇気すらなかった。
死んでしまったら親に申し訳ないとも思った。 


そして、次の日、とうとう朝起き上がれなくなってしまった。起き上がろうとしても、身体が言うことをきかない、動かない。



1ヶ月休職した。
理解ある上司や先輩に恵まれ、短時間から職場復帰できた。今思えば、両親より職場の上司や先輩の方が私の話を聞いて理解してくれ、気持ちを受けとめてくれ、私の気持ちに寄り添った言葉をかけてもらい、私の心は救われた。


友達も、多い方ではないけれど、仕事が休みの日にたまに会って、いろんな話(仕事や恋)をして、
共感し合える友人がいたことは、心の癒し、安心に繋がっていた。

また、友達が私のことを「さなー ♡」と言って抱きしめてくれたり(もちろん女友達)、私のことを包み込んでくれて、友達からも愛をもらったと思う。



社会人になり、仕事から家に帰ると、鳥籠に入っているみたいに窮屈だった。大人になっても、子どもの頃と同じように否定され、尊重されないのは続いていたから。

一人暮らししようと何度も試みたけど、しようとすると体調が悪くなったり、見えない何かに引き戻され、結婚するまで実家暮らしだった。


母親から私達子どもに対する母性は感じられなかった。
息子が産まれて帰省した際、息子に笑顔で話しかけていると、母親が「私はそんなふうな気持ちになったことがなかった」と言った。
驚いた。
母親にとって息子って、まるで小さな恋人みたいに可愛くて、愛おしいと思うのに。
そして、なんとその後に「(弟のことを)可愛いと思ったことがない」とはっきりと言い切った。
この人は本当に親なんだろうかと、びっくりを通り越して怖かった。


ただ、大人になるにつれ、親の言動に違和感を感じるようになった。
親が私に、自分の自慢話をしてくる。
まるで、子どもがお母さんに「ねぇ、聞いて!私こんなことができたんだよ!すごいでしょ!」と言っているみたいに。
聞いてあげる私。逆転した関係。
親が子どもに見えた。



親も、自分の親に愛されず、認めてもらえなかった。
親は、大人になったけれど、心は子どものままだったのだ。


親はそんな生きづらさから目を逸らすために、私を尊重することなく自分の所有物とみなし、
過干渉という形で、解消するしかなかった。


それがわかって、自分の幼少期から今までの体験が、腑に落ちた。
親を許したわけではないけど、もう怒りはない。



そんなふうに、幼少期から最近まで、生きづらさを抱えていたけれど、
去年カウンセリングに出会い、辛い過去に向き合い、幼い頃から大人になるまでの傷ついた私を癒してあげたら、その生きづらさを克服することができた。


生きづらさから解放されたことで、
自分にも少し自信が持てるようになってきたのだが、次のステップとして一番心配していたのが、人間関係と仕事選びだった。


本当に自分がやりたいことは何なのか。
生きづらさから解放された私は、
それを、しっかり考えることができるようになっていた。


持っている資格には縛られたくないと思った。
よく考えたら、やりたい仕事ではなかった。


とにかく私が好きなこと、もの、空間、雰囲気
その意識で、物事を見るようにした。


すると、目にとまった。
直感で、好きだとわかった。


それが、今働いている職場。
イタリアンレストラン。
クラシカルでお洒落な雰囲気。
私の大好きなお料理も目に入る。
お客様との会話も好き。


まだパートという働き方ではあるけれど、
自分に合った職場を見つけることができ、
楽しく仕事ができている。
仕事が楽しいと思えるなんて、今までなかったから本当に嬉しい。


空間がお洒落で好きだから、働きながらも
テンションが上がっている自分がいる。
天職なのかもしれない。


職場以外での人間関係もうまく築けるようになってきている。


こんなふうに、楽しく生きられるようになって、本当に良かった。


これからも、また困難なこと、辛いこと、悲しいことは起きるだろう。でも、人生ってそういうもの。また乗り越えていけばいい。


たくさん辛いこと、悲しいことを経験したけれど、それが私を成長させるものだったんだなと、今やっと思えるようになった。


生きづらさを手放せた、今が一番幸せだと感じている。


生まれてきて良かった。


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