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平安時代が始まりだった??日本の怪談

全国で梅雨明けが発表され、暑さが増してくる季節になりました。この記事では納涼の一環として、平安時代の初期に成立した御霊信仰について考察していきたいと思います。受験シーズンで多くの受験生がお世話になった天満宮もこの思想と深いかかわりがあります。平安時代は『源氏物語』など王朝女流文学のイメージで華やかな時代という印象があるかもしれませんが、実は種々の社会不安に悩まされ続けた側面もあります。保守的な貴族社会だったために革新的な政策が実行できず、過去の先例を墨守し続けたという点では停滞と衰退の時代という位置づけもできるでしょう。この連載では、いくつかの回に分けて平安時代をさまざまな角度から見渡していきたいと思います。

1,桓武天皇の即位と中国思想

別稿にて取り上げた桓武天皇の即位は天応元(781)年のことでした。この年は干支(十干と十二支)では辛酉(しんゆう)の年にあたります。また桓武天皇は即位後の延暦三(784)年に、まず平城京から長岡京に遷都を行っています。この年は干支では甲子(こうし)の年にあたります。実は桓武朝におけるこの辛酉(即位)と甲子(遷都)という二つの干支には思想史上重要な意味が込められているのです。
桓武天皇が百済王族にルーツをもつ渡来系氏族に基盤を持っていたことを思い出してください。桓武天皇個人の思想背景は母方を経由した中国文化・韓半島文化に基盤が置かれていたとみてよいでしょう。

2, 讖緯説(しんいせつ)と平安時代


中国では始皇帝の秦からの王朝交代によって漢王朝が立ち、前漢後漢の間にわずかな間だけ王莽(おうもう)の新王朝が立っていました。この期間、とくに漢代には讖緯説(しんいせつ)と呼ばれる一種の予言説が流行していました。讖緯の「讖(しん)」とは未来の吉凶禍福を占う東洋の天文学(占星術)のことです。「緯(い)」とは経緯という熟語にも含まれている字で、原義は織物でいう「よこいと」ですが、讖緯説においては経書(けいしょ:儒教の経典)に対して、それらの経書の観念的解釈に用いる緯書(いしょ)と呼ばれる文献群のことを指します。そこでは以下のような思想が語られていました。
①陰陽五行説(いんようごぎょうせつ):陰陽の相反と調和による万物の消長盛衰や、木火土金水の徳の相克関係の原理で世界を説明する思想で、歴代王朝の盛衰もそれぞれ固有の徳の相克関係で革命が起きたり禅譲が行われたりすると考えます。
②天人相関説(てんじんそうかんせつ):天と人との関係を説いて、天は人々の行いの善悪に応じて禍福を与え、天は有徳者に地上を統治させて、その統治が正しければ気候が穏やかになり、そうでなければ災害が起こるとする思想のことです。
③災異祥瑞説(さいいしょうずいせつ):災異祥瑞説は天人相関説とかかわって、洪水や日照り、日食やイナゴの蝗害、彗星の観測といった災異現象は天が統治者(天子=皇帝または天皇)へ示した警告であるとする思想(=天譴思想:てんけんしそう)のことです。
こうした中国の讖緯思想では辛酉の年には革命が起こり(辛酉革命)、甲子の年には革令が起きる(甲子革令)と考えられていました。この思想は『日本書紀』でも確認され、古くから日本でも知られていました。こうした背景のもとで桓武天皇の即位はまさに辛酉革命に相当し、長岡遷都は甲子革令に相当しています。これらの政治的な動向は讖緯思想を念頭においてなされたものであるといえます。

3,怨霊の跋扈と御霊信仰の成立


このように甲子革令をイメージして実施された桓武朝の長岡遷都でしたが、そこでは藤原種継暗殺事件(785年)が起こり、連座した桓武天皇の弟である早良親王(さわらしんのう)が皇太弟を廃されて淡路に流刑になる道中で薨去する事件が起きます。ここから親王の霊魂が怨霊=御霊と化したと考えられるようになりました。怨霊の祟りを怖れた桓武天皇は早良親王の霊魂に「崇道天皇(すどうてんのう)」の号を贈っています。このようにして祟りが長岡京で不安と憶測を呼び、改めて平安京へと遷都されたのでした。清和天皇の貞観五(863)年には神泉苑(しんせんえん)にて御霊会(ごりょうえ)が催され、早良親王をはじめとする非業の死を遂げた御霊を「金光明経」や「般若心経」の読経で慰撫した例が『日本三代実録』に見えています。

4,タタリの思想


ここで「祟り」という思想について考えてみたいと思います。「タタリ(祟り)」とは奈良時代の上代語では「カミがなんらかの要求をかなえさせるために人前に示現すること」を指していたと用例から考えられています。たしかに記・紀における崇神朝のオホモノヌシ神の祟りは疫病というかたちで天皇に示されてオホモノヌシ祭祀によって解決されています。
ところが平安時代に入ると従来のタタリの思想に「死去した個人の怨恨」が怨霊と化す怨霊の思想が加わって変容を遂げます。怨恨が怨霊と化す霊魂観は一説には桓武天皇の母系の半島由来の渡来系の思想であると説明されています。
有名な御霊としては菅原道真の天神信仰があります。学問の神として知られる天満宮ですが、大宰権帥として不遇のうちに死去した学者政治家の道真の霊威がその信仰の核に存在しています。

【参考文献】
・佐藤弘夫編『概説日本思想史』ミネルヴァ書房、2005年4月30日
・石毛忠、今泉淑夫、笠井昌昭、原島正、三橋健『日本思想史辞典』山川出版社、2009年4月22日
・湯浅邦弘編著『中国思想基本用語集』ミネルヴァ書房、2020年3月1日
・黒板勝美、國史大系編修會『日本三代実録』吉川弘文館、昭和三十六年七月十五日

執筆者プロフィール:筆名は枯野屋(からのや)。某大学大学院文学研究科博士課程後期に在籍中。日本思想史を専攻。noteにてオンライン読書会の国文・日本思想史系研究会「枯野屋塾」を主催しています。( https://note.com/philology_japan )。

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