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【アーカイブ】私的201&124論

(『car MAGAZINE』2020年10月号より転載、加筆・修正あり)

 かれこれ10年以上も前のことだけれど、1990年式の190E 2.6(W201)を3年ほど所有していた。いまは1992年式の300CE-24(C124)に乗っている。いずれも「どうしてもそれが欲しかった」わけではなく、その時の自分のライフスタイルに合ったクルマを探していたら、たまたまこの2台と巡り会ったというだけのことだった。個人的に3BOX(=セダンかクーペ)が好きで、都内在住なので全幅はなるべく小さく、仕事で長距離移動が多いからロングドライブでも疲れない、そして手頃な価格のクルマ、となるとメルセデス・ベンツのW201と124シリーズが結局いつも最後に残った。300CE-24もいわゆる“一点買い”ではなく、むしろ“衝動買い”だった。知り合いの中古車ショップから「程度のいい190Eが入りましたよ」と連絡を受け、試乗に行ったらガレージの隅にポツンと置かれていたのがそのクルマだった。190Eの状態はすこぶるよかったので一瞬迷ったものの、24バルブの6気筒エンジン+5速ATは当時から好みだったのでその場で即決した。

 201と124は共に(ほぼ)同じ時代を生きたので“同類”として括られがちだけれど、123シリーズの後継車としてメルセデスの中核を担う「失敗は絶対に許されないモデル」と、アメリカ市場を睨んだ「これまで作ったことがないまったく新しいモデル」というように、両車の出生の背景はかくも大きく異なっている。セダンのW124の本国発表は1984年11月、201は1982年11月なので、小さい201のほうが大きい124より2歳も年上のお兄さんである。ただこれを日本導入時期で見ると201は1985年、124は1986年なので、日本人にとってはなおさらほとんど同年代のクルマだと認識されている。

 アメリカといえばサイズの大きなクルマが蔓延る国なのに、どうしてコンパクトな201がアメリカ市場を意識したモデルなのか。その開発は1970年代初頭にはスタートしていたとされている。ジミー・カーター大統領の下で導入された“クリーンエア法”が、アメリカ国内で販売しているすべてのメーカーに適用されることが決まったからだ。201が登場するまでのメルセデスは、アメリカで高級車セグメントでしか販売を展開しておらず、燃料消費量が規定値を超える恐れがあり、コンパクトで燃費のいいモデルの導入が不可欠だったのである。

 しかし、開発責任者のハンス・シュレンベルクは単なる省燃費で小さいクルマを作るつもりはハナからなかった。1974年2月に彼が署名した201の最初の仕様書には「このクルマは典型的なメルセデスでなくてはならず、すべてにおいて妥協は許されない。このクルマの目的は、オペルやフォードなどが占めてきたカテゴリーへの参入ではなく、品質、安全性、洗練性の点で新機軸のモデルとなることである」と書かれていたそうだ。

 当時のSクラス(W126)などに実装されていた快適性や安全性や耐久性や信頼性を小さなボディに移植するのは、決して簡単なことではなかったのは容易に想像できるが、彼らはそれを見事にやってのけた。残るデザインは名匠ブルーノ・サッコが腕を振るい、0.33という(当時としてトップクラスの)Cd値を実現しながらも洗練されたシンプルなデザインの中に、紛れもないメルセデスのテイストを盛り込んだのである。

 201で忘れてならない技術的トピックはリヤに採用した世界初のマルチリンク式サスペンションである。コンパクトなボディはサスペンションが占めるスペースも制限されてしまう。タイヤの接地面変化を少なくして(FRなので)駆動力と接地感の両方を高い次元で成立させるべき開発されたこのサスペンションがその後、124シリーズのみならず世界中の自動車メーカーがこぞって使うようになったのはご存じの通りである。

 Sクラスよりも小さいW123シリーズは当時“コンパクト・メルセデス”と呼ばれていたが、201の登場により124シリーズは“ミッドサイズ”へと昇格した。開発思想は基本的に201と大差なく、すべての面で一切の妥協がなかった。例えば自分の300CE-24はクーペだが、セダンと比較するとホイールベースは850mmも短くなっているし、Aピラーやロッカーパネルやドアの構造が強化されている。単純に4ドアから2ドアのボディに乗せ替えただけのお手軽な作り方ではないのである。

 124は名車の呼び声高き1台として注目されがちだが、201や126を含めた当時のメルセデスはおしなべて優秀だったし、乗り味にも共通のスパイスがまぶしてあった。ゆったりとした乗り心地、安定志向で盤石な旋回姿勢の操縦性、ドライバーの体力を温存してくれる直進安定性などはどれもこれまで多く語られてきたことばかりだけれど、個人的には過剰品質がもたらす比類なき耐久性を持ったボディこそが201や124の最大の特徴だと思っている。

 201と124が共に生きた1980年代後半といえばBMWはE30の3シリーズを、アウディは80を世に送り出していた。2020年のいま、E30やアウディ80を街中で見かけることはあるだろうか。たとえあったとしても、201や124と遭遇する機会のほうがずっと多いはずである。それは何よりボディがいまでもしっかりしているからだ。

 自分の124も年に数回はどこかしらに不具合を起こして修理代がかさむ。それをもって「イチニーヨンは維持費が高い」とおっしゃる方もいる。その通りである。その通りだけど、30年以上も前に工場を出荷したクルマなのだから、それなりに部品交換も必要だろう。しかし、ひとつだけ交換不可な部品がある。ボディである。ボディさえしっかり作っておけばクルマは生き長らえることを、201と124は証明してくれているのだ。

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