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エネルギーの流れをじっと観察してみた話

内側⇆自分⇆外側

目に見えないけど、エネルギーの流れというものは確実に存在するな、ということを最近よく考えている。

『運/不運』
『気が良い/悪い』
『波に乗る/飲まれる』
『飛ぶ鳥落とす勢い』
『停滞感』

人によって、いろいろな表現を使い分けると思うが、これら全てが目に見えないエネルギーの流れを表現しようとした結果、生まれた言葉や慣用表現だと思う。

そしてエネルギーの流れは、自分の内側でも渦巻いているし、自分の外側の世界全体でも地球規模、もしかすると宇宙規模でうごめいているのではないかな、と。

【自分の内側】にフォーカスすると、身体を維持するために栄養や水分をいつの間にか、血液を通じて全身を駆け巡らせている。
血液や体の水分は目に見えるが、目に見えないエネルギーの流れでも同じことが起こっていると思う。エネルギーが流れた結果、私たちにやる気を引き起こさせたり、逆に精神的にしんどいと感じさせたりしている。

【自分の外側】の世界にフォーカスしても同じ。
土や水を、風や水流なんかで地球規模で駆け巡らせている。天災が発生しやすかったり、テロや戦争の舞台になりやすい地域があるのは、もしかすると見えない大きなエネルギーの流れが何かしら作用した結果、引き起こされているのだとしたら。

そして主語を【自分】という存在に戻して考え直した時、私たちは自分の内側自分の外側で同時に且つ、不規則に発生している異なるエネルギーの流れにそれぞれ、晒され、影響されているという風に考えられる。

これら両方のエネルギーの流れにうまく対処できていると、冒頭の慣用表現の『今、波に乗っている』『運が味方してくれている』みたいな表現になってくるのかな、と思った。


実は最近、今更ながらサウナにハマり始めた。
サウナ後のいわゆる『整う』といった結果的に得られる爽やかさももちろん素敵だけども、私が特にサウナが素敵だなと思っているポイントは、自分の内側と自分の外側のエネルギーの流れを、日常の中で気軽に、そしてとても強く感じられるから。

サウナの熱い熱気 → 外側からのエネルギー
全身から吹き出す汗 → 内側からのエネルギー
サウナの中でアレコレ内省する自分 → 内外からのエネルギーを捉えている存在

ヨガとかのアーユルヴェーダの思想をちゃんと勉強したことはないけれど、きっとこういう概念を取り扱っているのかな〜って、最近少し興味が湧いてきた。


自分の在り方をエネルギーの流れで見直す

私は計画を立てたり、プロセスを意識して結果にコミットして向かっていくことに関して、学生時代〜社会人にかけて長年トレーニングしてきたこともあり、得意だと言える。そして行動計画を立て、実行し、振り返り、またアクションするというPDCAを回すメリットを十分享受して生きてきた感覚もある。

しかしながら最近気がづいたのが、この行動計画を立てる際に、アクション/Doingをベースとした行動パターンが大部分を占めてしまっており、自分の在り方/Beingみたいなものをじっくりと見据えて、俯瞰し、ケアするという意識が欠けやすいということ。

だから、本当はやりたいことなのに、気が乗らなかったり、楽しかったことがいつの間にかしんどいことに変化していても、これまでは目的意識を強く持ち、その低調な気持ちを無理やり鼓舞させ、色々な目的/目標に立ち向かってきた。
これはある意味、体育会的な根性と気合いの世界。

けれども最近、エネルギーの流れを意識し始めてから、なぜ自分自身の気持ちの浮き沈みが発生しているのかということがなんとなくわかる様になってきた。

自分がネガティブになる起点の出来事や事象はなんだったのか?
それをゆっくり見つめる時間の確保をしてみたら色々と見えてきた。

<見えてきた自分自身の特性の一例>
 ①基本スタンスが一生懸命
 ②正面から1対1で向き合いたい
 ③清潔さが大切

例えば、この三つを例にして考えてみる。

①基本スタンスが一生懸命
一生懸命に何かに打ち込み、取り組んでいる自分自身のことが好きな自分がいる。
だから体力・気力が充実するようしっかりケアし、風邪を引いたり怪我してしまわないようにしなければいけない。けれども一生懸命が過ぎると、ケアが疎かになってしまい、結果一生懸命になれない。だからセルフトリートは自分が好きな自分でいるためには必須ということが見えてきた。

②正面から1対1で向き合いたい
人混みや大人数が集まるパーティは歳をとるにつれてどんどん苦手になってきている。なんでそうなったのか?と考えた時に、今の自分は誰かと正面から1対1で対等なスタンスで向き合うことを求めていることに気がついた。だから、1対1、もしくは少数の集まりであれば居心地よくコミュニケーションができる。
相手の情報をちゃんと受け取り、咀嚼したいと思っているからこそ、自分のキャパシティを超えた不規則な大量の情報に晒されるとストレスを感じる様になったのだと気がついた。SNS、特にXを頻繁にみることはこの点で自分自身を不安定にさせることも発見した。そっとスマホからXアプリを削除し、時々PC作業をしているときにブラウザからタイムラインをチラ見する。これくらいの距離感が心地よいことに気がつけた。
あともう一つ、相手と向き合いたいという願いが強いが故に、相手が目を逸らし向き合えていない感覚を持つと、その寂しさから相手を拒絶してしまう感覚に陥っていることにも気がつけた。

③清潔さが大切
実は私、10代の頃、ドアノブや吊り革を触れないレベルの重度の潔癖症だった。
幸い、最近は潔癖症の症状は殆ど出ないが、今でもまれに【汚い】と感じる場面に遭遇する。実際にその場が汚いか否かということより、自分の主観が汚いと判断してしまう状況にいることは耐え難い苦痛を感じる。これは人間関係みたいなことにも及ぶ。多分この性質は、同じような感覚を持つ人には強く共感してもらえるでしょうが、一方で全く理解できない人がいるということも分かっている。
自分のこの特性をちゃんと認識して、自分自身の身の回りを整えたり、行動を起こす前に少し考えてみるだけで、回避できることは多いような気がする。


他にもたくさん自分の特性はあるけれども、特に上記三つの特性は、私の内側のエネルギーの流れに強く、密接に関係していることに気がつけた。

これらを自分で把握できているということは、自分自身の行動にとても大きな違いを生み出す気がする。自分の内側のエネルギーの流れを味方につけて、行動を通じて外側の世界に気持ちよく向き合っていけたらいいな。そんな風に思っている。

『何をするか?』と同じくらい大切なのが、『何をしないか/辞めるか』。元来の性質として、一生懸命になりやすいからこそ、敢えてゆっくり意識して力を抜いていく位でちょうどいい感じなのかな〜って思ったりする、今日この頃。

最後まで読んでくれてありがとう!
またね👋

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