お金は労働交換券

お金は「労働交換券」。お金を渡せば誰かが働いてくれる。ただ、日本の労働者の数は決まっているから、労働力の総量は増えない。だからお金を増刷し「たくさん払うぞ、さあ働け」と言っても、労働の結果生まれる製品やサービスの総量はあんまり増やせない。提供できる労働量に限りがある。

民間ばかりに任せておくと、儲けになりにくい、手間ばかりかかる仕事に手を出そうとせず、手っ取り早く儲かる仕事ばかりやろうとしてしまう。そこで政府は、税金という形でお金を集め、国民が生きていくために必要なインフラやサービスに労働者が集まるよう、「労働交換券」を配る。

年を取ると、自分のことさえなかなかできなくなる。手助けとなる労働力が必要。しかし年寄りがお金を持っているとは限らない。途中で貯蓄を使い果たしてしまうことも。そこで税金だとか保険料という形でお金を集め、介護などの分野に「労働交換券」を送り込む。それによって労働者を確保する。

どの分野に労働交換券を厚めに積んでおくかで、その分野での労働力の量が決まる。それを調整するのが政府なのだけれど、税収や保険料収入がないと、労働交換券を介護などの分野に送り込むことができなくなる。すると、介護職の人が増やせない、ということになる。

政府や日銀は「金融緩和」によって世の中に出回るお金を増やし、景気をよくしよう、ということをだいぶ長いこと続けている。しかし金融緩和の厄介なのは、金融に関わる人しかそのお金にアクセスできないこと。株だとか、投資をしている人しかアクセスできない。労働者は直接手にできない。

株に大量投資できる人はお金持ちにどうしても限られる。金融緩和すると、株券の価格が上昇し、お金をスポンジのように吸ってしまう。株を売り、現金化すればそのスポンジからお金が出てくるけれど、お金持ちはめったに売らない。打ったとしてもそのお金を別の株の購入に充ててしまう。

その結果、金融緩和で大量に発行されたお金は、株券とか債券いう金融商品のスポンジに全部吸収されてしまう。たまに投資家はリッチな体験をしたくて株を少し売り、高価なものを購入したりリッチな旅行をしたりするけれど、めったに株というスポンジからお金を出そうとしない。

その結果、金融緩和で膨れ上がったはずのお金は、株券や債券といった金融商品に、ほぼ全部スポンジのように吸われてしまう。労働者の手に入ってこない。それどころか。

株主はさらにお金を吸い取ろうと、企業にリストラを迫る。「筋肉質な経営に」とか言ったりして。要するに、正社員をクビにして派遣社員に切り替えて人件費を圧縮し、それで搾り出したお金を株主に配当として配りなさい、と要求。すると株主は手にしたお金でまた株を購入。株はお金を吸い続ける。

株主資本主義は、株主の持つ株券や債券というスポンジにお金を吸い取らせる仕組み。たまにごくごく一部を売って現金化し、それが労働者をこき使うための「労働交換券」として機能することがあるけれど、正社員をクビにして人件費を圧縮済みだから、労働者が手にできるお金はわずか。

お金持ちの愛した新自由主義は、お金持ちがお金をスポンジのように吸収してしまう仕組みを助ける学説。ケインズ学派の人が指摘しているように、アメリカの経済学研究では、お金持ちが新自由主義の研究者にばかりお金を出すもんだから、経済学の主流も新自由主義に傾いてしまった。

アメリカのお金持ちは政治家へのロビー活動も重ね、株主資本主義をますます進めるよう、政策を誘導した。「法人税を安くしないと、お金持ちは資金を海外に移しちゃうよ!するとアメリカは困るよ!それでいいの?」と脅して、法人税を引き下げさせた。その利益はもちろん、株主が吸った。

「法人税を下げなきゃお金が国外に逃げるよ!」は日本でも盛んに叫ばれ、結局法人税は引き下げられた。浮いたお金は、株主がスポンジのように吸い取ってしまう。会社は内部留保という貯金にもしたけれど、労働者には配られなかった。

結局、レーガノミクスあたりから本格化し始めた新自由主義、株主資本主義は、2000年代に入って日本でも本格的に導入されるようになり、法人税引き下げや相続税引き下げなどで浮いたはずのお金は、株券、債券、土地といった、お金持ちしか所有できない金融商品がスポンジのように吸い取った。

新自由主義は政府からの介入を嫌がる考え方でもあるので、どの分野にお金という名の労働交換券を配るか、という機能も低下する。できるだけ労働者にはお金を渡さずに働いてもらおう、そのためには国全体の賃金水準を下げてしまおう、という政策が続いてきた。デフレ政策。

菅前首相は、こうした政策の信奉者だった様子。携帯電話料金の引き下げ、医薬品の価格引き下げを断行した。消費者に安くサービスを提供できるのは、国民にとってメリットだと主張して。ところが。

世界の通信技術をリードしてきた日本の携帯電話企業は、もはや研究開発にお金と人を確保する余裕がなく、5Gとか言われている時代に、日本は完全に後れを取った。医薬品の薬価引き下げは、薄利多売のはずのジェネリック薬品でさえ「これでは儲けが出ない」と、生産中止が相次いでいる。

もちろん、儲けが出ないのだから新しい薬を開発するのに投資する体力もない。日本の医学研究は世界に冠たるものだったはずだが、お金が医薬品メーカーに行かないようにしたことで、ボロボロにしてしまった。

なぜ菅前首相はこんな政策を進めたのだろう?補助線を引いてみる。菅前首相は、竹中平蔵氏と仲が良い。竹中平蔵氏は大手派遣会社の会長。儲けが出せない携帯電話各社や医療系の企業は、正社員をどんどんクビにし、派遣社員に置き換えている。

あら?

もしかしたら、菅前首相は本気で、「国民に安いサービスや商品を提供することは、国民を幸せにすることだ」と信じていたかもしれない。しかし、サービスや商品を提供するのは労働者。それらが安く買いたたかれるということは、労働者の賃金が減るということ。その人たちの消費は当然減る。すると。

いろんな商品を買うのを手控えるようになり、それらの商品を作って売る労働者も賃金が下がり、その人たちも消費を減らして・・・というデフレスパイラルに陥る。料金引き下げという政策は、国民にお金が回らなくなる政策。貧しくする政策。そのことを菅前首相はどれだけ理解していたか。

菅前首相はたたき上げの政治家として知られるが、どうも支持基盤を見ると、「お金持ち」。投資家などのお金持ちが自分たちに都合の良い政策を実現してくれる政治家として、菅氏を応援していた気配がある。菅氏は応援してくれる見返りに、そうした政策を推し進めていた感がある。

でもいよいよ、国民もこうした構造に気づき始めている。何よりアメリカが、「このままではアメリカでも共産主義やナチズムのような勢力が生まれるかもしれない」と恐怖を抱き始めた。その結果、ステークホルダー資本主義とかSDGsとか、広く利益を分配しようという動きが盛んに。

お金をひたすら株券などの金融商品というスポンジに吸わせていた政策から、労働者に分配される仕組みに切り替えようと世界中が進み始めている。日本もその一つ。性急に進めてはひずみが出るので慎重に進める必要があるが、基本、この方向でよいように思う。

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