「世界のデザイン」を庶民の手に取り戻す

哲学・思想を紹介する本の多くは「哲学者や思想家が何を考え、何を言ったか」を説明するものが多い。しかし彼らが世界をどう変えてしまったのか、を説明するものは少ない。せいぜい、思想界にどういう影響を与えたかを説明するくらいで、一般社会には大して影響を与えなかったかのよう。

これは、専門家あるあるかもしれない。社会にどういう影響を与えたかなんて、因果関係がはっきりしないことを書くことは専門家としてできない、ってなってしまうのかも。私も自分の専門分野では「これはわかる、それはわからない」と、専門家として責任を持てる発言を心がけている。しゃーない。

しかし、哲学や思想は、私達の思考を思いのほか縛っている。私達は、先人の切り開いた思考の枠(思枠)の中でしか思考できない。自分の思考は自由自在だ!誰にも縛られない!と思っていても、お釈迦様の手のひらの孫悟空のようなもの。手のひらの中を全世界と思わされているようなもの。

ところが哲学者や思想家は、「あれ?これ、手のひらじゃねえかい?」と、その限界に気づき、指を押し広げてもう少し手のひらを拡張しようとし、それに成功した人たち。私達は、哲学や思想が、時間をかけて拡張してきた「手のひら」の中で思考している。

哲学者や思想家が何を考え、何を言ったかを説明する本は多いが、世界にどんな影響を及ぼしたかを説明する本は少ない、と上述した。もちろんないわけではない。ソクラテスとかプラトンなど、個々の哲人を紹介する新書本なんかは、どんな影響を与えたかをきちんと説明している。ただ。

やはり専門家は、彼らが何を思い、何を言ったかを正確に伝えようとすることが中心になってしまって、俗世に生きる私達にどういう影響を与えたかは「ついで」に説明してる感がある。どうも、私達庶民にどういう影響を与えたかは、あまり熱心に説明するものが少ない感がある。

これが、哲学や思想を、庶民から遠い学問だと印象づけている一つの原因のように思う。
私は、哲学者や思想家が「何を伝えようとしたか」は、あえて脇に置き、「私達に、社会に、どんな影響を与えたのか」に焦点をあてて本を書いてみよう、と考えた。こうした本は、私のような素人の方が書きやすい。

私達の日常でも、自分の伝えたかったことと、相手に伝わった内容が全然違ったものになる、ということはよく起きる。「そんなつもりで言ったんじゃないのに」というもの。これは哲学や思想でもよく起きる。典型的なのはアダム・スミスの「見えざる手」(神の手)。

スミスはその著書「諸国民の富」で、たった一回しかその言葉を書いていない。しかしたった一言を拡張解釈し、スミスは新自由主義者だったかのように語る人が少なくない。スミスが聞いたら怒るだろう。しかしスミスの口にしたその言葉は、確かに後世の社会に甚大な影響を与えたことは間違いない。

専門家は、哲学者や思想家が受けている「誤解」を解こうと、彼らが何を言おうとしたのかを正確に説明しようとする。これはこれでとても大切なこと。アダム・スミスを新自由主義者達から奪回するには、こうした作業がとても大切。

ただ、哲学者や思想家が何を言おうとしたのかばかりにこだわると、時代の流れがつかみにくい。ソクラテスを人々がどう受けとめ、どんな影響を受けたかは、ソクラテスの発言とはズレた形で進んでいく。それもまた歴史的な事実。

私はあえて、彼らが社会に、歴史に、一般社会で生きる私達にどんな影響を与えたのかに絞って本を書いてみることにした。そうすると、ソクラテスやプラトン、アリストテレスなど、私達と縁遠いと思われていた人たちが意外に身近というか、私達自身に強い影響を及ぼしていることがわかると思ったから。

哲学や思想がこんなにも私達の日常と深く関わっており、私達の思考を縛っているのか、それに気づくと、哲学や思想をもっと身近に感じることができるように思う。そして哲学や思想という、庶民にとって一番興味が持てないとされがちな学問が、こんなにも面白いものだったとは!となるように思う。

哲学や思想が私達の「思枠」をどう縛っているかがわかると、「あれ?これ常識だと思っていたけど、拡張して構わないんじゃない?」と気づく人が増えるだろう。そうすれば、社会のバージョンアップ、アップデートはもっと容易になるだろう。

社会の支配者層だけが次の時代のデザインをすると、ろくなことがない。彼らにだけ有利なデザインになりかねないからだ。しかし身勝手なデザインは庶民を苦しめ、結果的に恨みを募らせ、支配者層に跳ね返ってくる。彼らのためにも、庶民を蚊帳の外に置いたデザインを許してはならない。

ならば私達庶民自身が、新しい時代のデザインを考える必要がある。しかしそのためには、これまでの社会がどんなふうにデザインされてきたかの設計図を頭に入れておく必要がある。しかしそれがあんまり難しいと、そこでくじけてしまう。哲学思想がやたら難しい言葉で書いてるのはそのためのワザとなのだろうか?

私は、ざっくりとその流れを示してみたいと考えた。私達の世界がどうデザインされてきたのか、そのあらすじを理解できると、そのあらすじに肉付けする形で世界史を理解することが可能になる。背骨があるからアバラ骨と肉が貼りつき、肉付けできる感じ。

世界をデザインするという、一見壮大に見えるこの行為を、私達庶民の手に戻す。それによって、よりよい社会の実現の可能性を高めたいと考えている。拙著は、次世代の若者たちに、少しでも生きやすい、楽しい社会を築いてもらうための露払いになれば、と思う。

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これからの社会を、私達庶民がデザインする。そのための方法を学ぶためにまとめた本。

「世界をアップデートする方法 哲学・思想の学び方」
https://x.gd/MWrKc

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