本の帯を書きました

社会構成主義(関係から考えるものの見方)についてつふやいていたら出版社の目にとまり、社会構成主義の権威、ケネス・ガーゲンの翻訳書の帯を書かせて頂くことになりました!つぶやきがそのまま本の帯に!
https://www.nakanishiya.co.jp/book/b10033859.html

私たちは「存在」を把握することはできず、「関係」だけを把握しているだけなのではないか、と思う。例えば鉄を考えてみよう。鉄とは何か、と考えた時、真夏の日差しを浴びると火傷しそうなほど熱くなるとか、冬だと凍てつくほど冷たくなるとか、磁石にくっつくとか、電気を通すとか。

あるいは銀色に光るとか、さびやすいとか、包丁や金づちなどの道具に加工されるとか、1500℃の温度で溶けるとか。鉄について語るとき、必ず鉄以外のものとの「関係」を列挙するしかない。鉄そのものを語ろうとすると、それはできず、鉄と何かの関係を語るしかない。

そう、私たちは、鉄という存在そのものを把握することはできない。鉄と別のものとの関係性しか、私たちは把握できない。こうして、鉄と別のものとの関係性を列挙することで浮かび上がる鉄のイメージを「概念」というけれど、概念って、なかなか言い得て妙。「おおむねのイメージ」ってことだから。

そう、私たちは鉄を把握するとき、鉄の周囲のものとの関係性を把握することで、鉄というものの輪郭を浮かび上がらせて、鉄を理解した気になっている。しかしそれで把握した鉄の概念はやはり「おおむねのイメージ」でしかなく、鉄という存在をくっきりと把握することはできない。

人間は「存在」という言葉を生み出したばっかりに、存在そのものをくっきりと把握できる気になってしまっている。しかし実際には、私たちは存在そのものを把握することはできず、他のものとの関係性で外堀をうめていくうちに、なんとなく輪郭が見えてくる、そういうおぼろげな把握しかできない。

そして、「関係性」が変わると、鉄のような物質さえ様子を大きく変える。私たちにとって鉄がさびやすいというのは常識だが、超高純度の鉄になると、さびないという。実は、鉄がさびやすくなるのは、不純物がある程度混ざっているという「関係性」のあるときに起きる現象だったということ。

「あいつは指示待ち人間、自分で考える能力がない」と部下のことを決めつけていても、「関係性」を変えると、部下の行動がガラッと変わることがある。あれこれ口やかましく注意したり指示したりするのをやめ、話をよく聞き、アイディアを採用するようにしたら、自分で考えだしたりする。

部下が指示待ち人間になってしまうのは、自分の頭で考えて行動したことが、上司の気に入らない結果となって叱られることが相次ぐので、考えるのをやめてしまったから、ということが多い。実は上司が部下に対して示した「関係性」に原因があることが多い。

しかし私たちは、関係性のデザインに問題があると考えず、相手の存在に問題があると考えたがる。あいつは怠け者で考えがいつも足りなくて自主性がないのだ、と相手の「存在」を定義し、問題視する。でも関係性を変えてみると、人間性がガラリと変わったように見えることが多い。

存在を見つめていたら、「あいつはダメな奴だ」と吐き捨てたくなる。けれど関係性に視点を変え、これをデザインし直すと、「あれ?意外な一面が?」に変容することが多い。相手の存在を変えようとするより、関係性をデザインしたほうがよい。

人間というのは、もしかしたら、関係性という名の器の形に、丸くも四角くもなる水のようなものなのかもしれない。水にそもそも形がないように、人間も思っているよりは形の定まっていない生き物なのかもしれない。関係性次第で見せる顔が変わってしまう。それが人間なのかも。

ならば、変に「存在」を見つめるのではなく、「関係性」に視点を変え、これをデザインしたほうがよいのかもしれない。ケネス・ガーゲン氏の本は、その意味で最適だと思う。

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