農協が農業以外の事業やるのは悪いこと?

農協批判の中に、農業部門は赤字、金融の儲けで補填してる、というものがある。本業の農業部門をおろそかにして金融ばかりやってる、と。金融にかまけてないで農業部門しっかりやれ、と。
ところが私には、これのどこがいけないのかさっぱりわからない。

農業部門が赤字ということは、それだけ農家に安く資材を提供する努力をしているということ。金融の黒字で補填しているということは、金融で儲けたお金を農業部門に投入しているということ。つまり、金融機能が農業部門を支えているということになる。国から補助金来ない分、自分たちで補助金捻出。

農協の金融(JAバンク)の利用者は、正組合員の農家だけでなく、というよりむしろ非農家の方が多い(准組合員)という批判がある。農家のための組織なのになんで非農家が多いんだ、と。
しかし私はこれも見方によると思う。非農家の資金力を借りることで農業部門の赤字を補填できているのだとすれば。

農家だけの資金力ではたかがしれている。非農家の力も借りることで資金力を高め、農業部門への補填する体力を備えることができるなら、あながち悪いこととも言い切れない。

農協は農業だけでなく、ガソリンスタンドやスーパーも経営し、様々な雑貨や、健康器具まで売ってる、農業のことにもっと専念しろよ、という批判がある。
これも見方による。農協は農業以外の商品を扱うことで、「農村生態系」を形成している。

農協が人を雇用することで、農村にいていられる人口を増やしている。人口がある程度確保できれば子どもがいることで学校も生き残るし、病院も経営が成り立つし。農業以外の雇用を農協が確保することで、農村の生態系を維持できている。しかしもし農協が農機具など農業に関わる商品しか扱わなければ。

農協が抱えられる雇用はひどく小さくなる。農業部門は売上が小さいから。となると、農村で暮らしていける人口は減り、学校はなくなり、病院も経営が成り立たなくてなくなってしまう。農協が、ありとあらゆる商品を扱うことで農村に一定の人口をとどめ、農村生態系を維持するのに貢献している。

もし農協が農業部門に特化したら、雇用が減り、農村人口は激減し、学校も病院もなくなり。そんな環境では農家も跡継ぎがいなくなってしまう。「ここには学校も病院もない。これでは子育てできない」と。老人も病院がなくては不便すぎて、村を捨てるしかなくなりかねない。すると、農村に農家がいなくなってしまう。

農協が農業以外の商売をすることは、農村生態系を維持するのに重要な役割を果たしている可能性がある。
そもそも、「百姓」という言葉は農家を必ずしも意味しない、とは、網野善彦氏が指摘している。江戸時代の農村も、農業以外の生業を持つ人達が住むことで農村生態系を維持していた。

だとすると、農協が農業以外の部門を廃止し、農業部門だけに特化した組織になれば、農協職員という「百姓」がいなくなり、農村生態系を維持できなくなる恐れがある。鍬を振る腕だけ残して内蔵を取り除くようなもの。持続可能性がなくなる。

そうは言っても、農村の少子高齢化ぶりは甚だしく、農村生態系を維持することは困難にはなっている。なってはいるが、それでもかろうじて生態系を維持できていたのは、農協が「百姓」として農村に住み続け、農村生態系を維持することに貢献していたからかもしれない。

もしそうした機能が失われれば、田舎まで肥料を運ぶ運賃も高くなり、農業を営む人達の経営を圧迫するかもしれない。農業とは関係のない商材も扱うから量が確保でき、運賃も下げられるが、それがなくなれば農家の経営もきつくなるかもしれない。

農協批判の内容も、一つ一つ丁寧に見ていき、その前提を問うと「ん?ちゃんと農家のためになってるんじゃない?」という気がしてくるものも多い。農協も組織的に老朽化し、いろいろ変えなければならないことだらけなのは間違いないが、農協を農業部門に特化させた組織にするのは危険かもしれない。

農協を農業部門オンリーにしたら誰が一番喜ぶだろう?と考えると。農協が農業資材しか扱わなくなれば農村生態系が崩壊する地域が増え、農家さえ農村を放棄背ざるを得ない人が増え、食料生産力が低下し、その分、アメリカから食料の輸入を増やさねばならないかもしれない。アメリカは喜ぶかも。

今のままでは農協も存続できないのも確かだが、農協を農業部門専属にさせるのは、もしかしたら「百姓」を農村から消すことになり、かえって農業の低迷を招く恐れもある。
物事は、多面的に、様々な視座から眺めてみる必要があるように思う。

農協の中にいる人も、認識を改める必要がある。あえて郵政の例を持ち出すと、簡保などの金融商品が売れたのは、郵便配達の人達が雨の日も風の日も配達する姿を見せるから。その真面目で地道な仕事ぶりへの感謝と信頼が、郵貯や簡保などの金融商品への信頼にもなっていた。

農協では、金融部門の稼ぎが多いことで大きな顔をしているという話を聞くことがある。赤字を垂れ流し、金融部門から補填してもらってる農業部門を見下しているとも。
しかしこれは、なぜ農協の金融商品が信頼されるのか、その理由を忘れている態度。農業部門の職員がコツコツと農家のために。

努力しているその姿勢があるから、金融商品も信頼してもらえる。農協の金融部門は、農業部門の人達に感謝しなければならない。「あなた達あっての金融部門」だと。もし農業部門がなければ、農協の金融部門はさほどの成果は上げられないだろう。

また、農業部門以外の、生活用品を売ってる部門の農協職員も、農村生態系を維持する重要な役目を果たしているのだと誇りを持つべきだと思う。「なんで農協職員なのに農業と関係ないマッサージ機を売らねばならぬのか?」と疑問に思うとしたら、それはまさに、農村が必要としている機能だから。

たぶん、農協職員自体が、世間の批判を真に受けて、自分の仕事に疑問を持つ人も多いかもしれない。ならば簡単。農村生態系をさらに充実させ、ひいては農業を自分の地域で盛んにするには、どんな要素を農村に足せばよいのかを考えればよいのだと思う。それが農村にまだないなら、それは必要な仕事。

農村は農業だけやっていれば成り立つものではない。江戸時代も様々な職種を担うことで農村生態系を維持していた。農協がその機能を果たすようになっただけだといける。農業以外の商材を扱うことは、「百姓」として当然のことだと胸を張ってよいように思う。

と、いろいろ考えていくと、農協が批判されている事柄も、「それ、ホンマに悪いことなん?」という疑問符がつく。常に改善ははかる必要があるが、世間で流行している批判をあまり真に受けるのも、考えものかもしれない。

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