「科学的証拠」考

私は水耕栽培で不可能とされていた技術(有機肥料が使える)を開発し、論文も掲載してもらったけれど、結構長いこと、不安だった。自分だけが何かの偶然でうまくいった気がしてるだけじゃないか?と。ほかの研究者や農家の方が追試して同じ結果を得たと聞いて、胸をなでおろした。

学術誌に論文を掲載してもらうには、2人以上の「査読」を受ける必要がある。その道の専門家2人が、論文を読んで実験の手続きに誤りがないか、結果に誇張がないか、解釈が過剰じゃないか、などをチェックする。しかし、査読を通ったからといって、正しさが証明されたわけでは、まだ、ない。

科学を考える場合、「群盲象をなでる」というたとえ話は非常に参考になる。
昔、目の見えない人複数がゾウを初めて触り、それぞれそれがなんだと思うか報告した。しっぽを握った人は「呼び鈴のヒモみたいだ」と言い、耳を触った人は「カーテンだ」。みんな言うことが違う。

みんな、自分の触っているものは現実あるわけだから、自信がある。「そんなはずはない!これは柱に決まっているだろう!」「いいや!これはとんがっているから武器だ!」「いやいや、これはとても長い楽器だよ。みんな何言っているの?」自分の感覚に自信があるから、否定されても主張し返す。

ところが誰かが、こんなことを言い出す。「ちょっと待って、俺たち、同じものを触っているんだよね?」それでみんなハッとする。しっぽ、足、耳、鼻、牙、背中、それぞれ触っている人間が、全部違うことを言っている。しかしどうやらみんなウソは言っていないらしい。だとしたら…巨大なもの?

もう一度、そのつもりでみんなの報告に、それぞれ耳を傾けてみる。「呼び鈴のヒモ、先に毛があって、時々動く。振っても鈴は鳴らない」「このカーテン、腰の高さまでしかない」「この柱、腰より低いところあたりで少し曲がってる」などなど。そうした報告を総合して「これ、うわさに聞くゾウ、では?」

私の論文が学術誌に載った段階は、まだ「私の触ったものは呼び鈴のヒモみたいでした!」と言っているようなもの。それをきっかけにいろんな人がいろんな実験を重ねて、検証することが大切。だから、科学的証明というのは数年かかるのが普通。

学術雑誌に掲載された論文のデータなら、すでに科学的結論は出ている、と考える人も少なくないようだが、それはまだ「私の触ったのはカーテンみたいでした!正体は知らんけど!」という段階。データはそんなに疑わなくてよいが、著者の「解釈」をまともに受け取る必要はない。

「私の触ったのはカーテンだ。カーテンである証拠としてこれだけのデータがある。だからカーテンであることになんら疑いはない!これを疑うのはアホ!はい、論破!」と考えるのは、早計。ゾウの耳を触っただけの可能性があるからだ。尻尾を握った人、鼻を握った人、牙を握った人の話も聞く必要がある。

新型ワクチンに関しては昨年、治療法や対策をできるだけ早く見つける必要があったため、論文の質のチェック(査読)をすっ飛ばして、すぐ掲載するという措置がとられた。ともかく気づきやヒントを早期に提示して、誰かが追試し、有効な方法を見つけられるようにするための、緊急措置だった。

「この薬を飲んでいた人たちが感染しなかった。もしかして?」「この予防接種をしていた人は感染者が少ない。もしや?」こうした気づきをともかくバンバン出して、他の人が検証しやすいようにした。短期間に、それなりの治療成績を上げられる薬が見つかったのは、この緊急措置の効果も大きい。

しかし他方、「ともかく気づきがあったらどんどん示して!」というものでしかないので、空振りも多い。効くかも?と思ったのは気のせいでした、というものがたくさんある。けれど私たちは、学術誌に掲載されたものは正しいと考える癖が抜けておらず、つい正しいものとみなしがち。

新型コロナが世界的に流行し始めた2020年、2021年の早期までの論文は、「とりあえず気づいたことを報告します!」も多いので、十分な検証がなされていない可能性がある、ということに注意が必要。科学的に本当の意味で評価が定まるのは、2,3年かかると思った方がよいだろう。

「こんな有名な雑誌に載っている論文なんだから、正しいに違いない」と思い込むのは、だから危険。時間をかけ、多くの人に検証してもらい、しっぽ、鼻、耳、牙、足など様々な部位からの報告をひっくるめた、包括的な理解である「ゾウ」にたどりつくことが大切。

「こっちの論文は正しくて、否定しようとしているあっちの論文は間違っている」と罵りあうのは、ゾウの尻尾を触っている人と耳を触っている人の間で、「呼び鈴のヒモに決まってるだろう!」「カーテンに決まってるだろうが!バカか!」と罵りあっているくらいの愉快な構図。

新型コロナに関しては、ぼちぼち、査読をきちんと行い、少なくとも品質において保証された論文が中心になっていった方がよい。そして、たくさんの論文を見渡して、妥当な判断をするのがよいように思う。2020年の緊急事態の時の論文はあまりあてにしない方がよいように思う。

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