第2志望の大学には通ったほうがいい

どうしても入りたい大学があるから、滑り止めで合格してもそこにはいかずに浪人する!という人も少なくない。ただ私は、滑り止めの大学に通うことをお勧めする。受験し直すにしても、「いざとなればここに通えばいいや」という安心感は非常に大きく、その安心感が学力を伸ばすからだ。

私は最初の受験の時、どこにも合格せず、浪人することに。予備校に通ったのだけれど、「いま、事件や事故に巻き込まれて新聞に載ったら、『無職』ってなるんだなあ」と思ったのを覚えている。それまで、どこかに所属していたのにどこにも所属していないという不安感。これは強かった。

自分を追い込んだ方が勉強する気になっていいかも、と考える人は多いように思う。でも、追い込まれた心理というのは焦りになる。焦りは視野を狭くし、心を萎縮させ、思考を硬直化させてしまう。学習効果が下がってしまって、あまりよくない。少なくとも私自身の体験だと、そのように思う。

一浪して受験した結果、京都大学には落ち、京都工芸繊維大学に合格した。そこで受験を終えるつもりで、京都工繊に通い始めた。コンパクトでとても雰囲気のよい大学で、同級生にも恵まれた。このまま通おうと思っていたが、6月で破綻。お金がなさ過ぎて大学に通えなくなってしまった。

財布には110円。今日、60円の紙コップのコーヒーを飲んだら、翌日にはもう飲めない。友人たちは「喫茶店に行こう」と誘ってくれるのだけれど、私はとてもそんなところには行けない。我が家の家計は火の車を通り過ぎて消し炭状態で、とてもお金を出してほしいとは言えず、大学に通うのをやめた。

どうせ大学を中退せざるを得ないのなら、しっかりアルバイトして稼いで、翌年、もう一度京大を受験し直そうか、と考えを改めた。もし落ちても今の大学に通い続ければいいし、バイトでたっぷり稼いでおけば学費やお小遣いもまかなえるし、ということで、バイトに明け暮れながら、受験勉強。

大学に籍があり、いざとなれば戻ればいい、という安心感はとても大きなものがあった。バイト先でも、大学生が働いているということだからか、優しくしてもらえた。籍があるって大きいなあ、と思った。バイトでしっかり稼ぎ、中の島図書館まで自転車で通い、受験勉強を進めた。

1浪の時は予備校に通っていたけれど、その時は予備校に行かなかった。予備校時代、自分の苦手がわかっていたのに予備校の課題をこなすのに忙しく、苦手を克服する時間を確保できなかった反省があった(母が病気で倒れ、家事を担当していたので時間確保も難しかった)。予備校いかずに自主勉。

1浪時代は大学全部落ちていたから、予備校に籍を置くことで所属感をかろうじて確保していたけれど、翌年は大学生の身分があるから、所属感をしっかり持てた。だから予備校に通う必要を感じず、ひたすら苦手を克服すべく、集中して学習することができた。

で、3度目の正直でようやく京大に合格できた。これは、京都工芸繊維大学に所属したままだからできたのだと思う。安心があるから焦りがなく、焦りがないから物事を柔軟に考えることができ、大胆な戦略もとれ、楽しく取り組むことができた。心理的安全性って大切だと思う。

n=1の体験だから普遍化はできないけれど、私の体験から言うと、もし大学を2つ受けることができて、片方に合格できたなら、通ったほうがよいと思う。大学というものがそれで分かるし、受験し直すにしても籍がある、所属感が持てることの安心感は非常に大きい。学習効率にも強く影響する。

てなことを、本当なら12月くらいにつぶやくべきだったのだろうけれど、その時は思い出せなかったので今、とりあえずつぶやいておく。受験生のみなさん、あるいは親御さんに参考になれば幸い。

ちなみに、京都工芸繊維大学の居心地が良すぎて、かたや京都大学の居心地がいまひとつで、「前の大学に通い続ければよかった」と後悔し、3年ほどうつ状態になったことを申し添えておく。

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