人々を感奮させるリーダー

阪神大震災の時、ボランティアの活躍を見て、ご高齢の方たちが「こんなことしかできないから」といいつつ、ほうきで毎日掃除してくれるおじいさん、いつでも湯茶を飲めるよう、火の番をして湯を沸かし続けてくれるおばあさんがいた。ボランティアみんなで「こういう年の取り方したい」と言っていた。

大仏造営では、行基という僧侶が大活躍した。以前から民衆のために井戸を掘ったり川の流れを付け替えたりなどして慕われていた行基が、大仏造営に携わるとなると、「自分にはこのくらいしかできないから」と言って土を運んだり、みなができる範囲のことをやろうとして、非常にはかどったという。

兵法家の呉起は将軍だったにもかかわらず、兵士と同じ場所で寝起きし、兵士たちと同じものを食べ、兵士の傷が膿むと、自ら口で吸いだしてやるという風だった。このため、兵士たちは「将軍のためなら」と命がけで戦い、戦えば必ず勝つという強さだった。

豫譲は主君の仇討ちのため、顔をただれさせ、のどを潰すという変装までして仇に近づいたものの、捕まってしまった。仇とされた男は豫譲に問うた。「お前は3人の主君に仕え、先の2人にはたいして尽くさなかったのに、どうして3人目の主君のためにそこまで尽くそうとするのか?」

豫譲は次のように答えた。「先の二人の主君は私を軽く扱った。だからその程度の仕え方をしたまで。しかし3人目の主君は私を国士として扱ってくれた。だからそれに報いるまでだ」。3人目の主君は、豫譲を人として接することで、奮い立たせたのだろう。

劉邦は天下統一後、最も功績のある人間を表彰するのに、後方で物資担当をしていた蕭何を勲功第一として表彰した。戦場で劉邦の命を助けた武将が何人もいたのに、一度も命を懸けて戦ったことがなく、安全な後方で仕事をしただけの蕭何がなぜ?という疑問が当然湧いた。その時の劉邦の答えは。

「俺たちのメシは誰が送ってくれた?」
劉邦は、自分の軍がなぜ負けても負けても復活できるのか、その理由をちゃんとわかっていた。蕭何がどこからともなく食料をかき集め、兵士たちを飢えさせなかったから、「劉邦軍にいればメシが食える」状態を維持できた。それが劉邦軍の強さだった。

勇猛さを誇る将軍だと、軍に食料を送る役目は、戦場で命がけで戦うことと比べてバカにしがち。軽視しがち。食料をきちんと送るのは当たり前の仕事で、それができなければ怒るばかり。叱られるばかりでほめられることがない、というのが後方支援の仕事ではありがち。

しかしおそらく劉邦は、こうした後方の、目立たない仕事をしている人にも「ありがとう」を伝え、その苦労をねぎらい、「お前たちのおかげで俺たちは戦える」と常に感謝を述べていたのだろう。だから蕭何は必死に物資をかき集め、劉邦軍の強さを維持することができたのだろう。

優れたリーダーは、集団に所属するメンバーを「感奮」させる能力を持つ。この人のためなら、と燃え上がり、それぞれのメンバーが持てる力をフルに発揮しようとする。そしてそれがうれしくて仕方ない。そんな状態に集団を持っていけるリーダーは、どうやっているのだろう?

それは、たとえどんなささやかな貢献であっても、みんなのために少しでも力になれるなら、という気持ちから発している行為なら、それに「ありがとう」と言い、感謝の言葉を伝えることを、リーダーがやっているときではないか、と思う。

そんなリーダーの許では、「そんなささやかな貢献にも感謝するなら、きっと私のこの努力もリーダーは感謝してくれるに違いない」と思い、もっと役立とう、もっと貢献しよう、という気持ちを奮い立たせるもののように思う。そうした集団は、所属していて楽しいし、もっと貢献したくなる。

しかし、大きな貢献だけを評価し、小さな貢献には目もくれず、むしろ「もっとやれ」という集団では、多くの人が辟易する。頑張ることがバカバカしくなる。大きな貢献をしたと評価されたごく一部の人間だけが天狗になり、多くの人がふてくされる。集団としてのパワーが著しく落ちる。

「貢献しようという気持ちを持ってくれていることがありがたい」というリーダーの許では、集団の構成員一人一人の能力を引き出すだけでなく、能力はますます高まる。成果主義とは全然違うのに、成果もどんどん出るようになる。みなが集団のために鍛えるから。

こうした組織は、歴史上に多数事例がある。集団に貢献しようという気持ちさえあるなら、たとえその貢献が小さいものであってもありがたがり、感謝する、というリーダーは、集団的ダイナミズムを生み出すことができるらしい。こうしたダイナミズムは、戦後昭和にもたくさん事例があるように思う。

ここ20年ほど、日本は成果主義に汚染され、成果の大小を比較し、小さな貢献は評価するどころか貶めるようなシステムが機能してきた。これが日本の力を大きくそいできたように感じる。人間はどうやら、罰則主義や成果主義では、心が動くのはごく一部の人間であるらしい。

「こんなことしかできませんが」というささやかな貢献に「何を言うか、その気持ちが何よりもありがたい」と言って感謝するリーダーが、集団の成員一人ひとりを感奮させ、集団を躍動させる力になることを、日本人は忘れていないだろうか。いや、皆どこかで、覚えているはずだ。

こうしたリーダーが増えたら仕事は楽しくなるに違いない、と思う。不思議なもので、そうしたリーダーの許では、たとえ自分が直接言葉をかけられたわけでなくても、「ああ、ここで働いていてよかった」と思えるもの。貢献しようという気持ちにきちんと応えてくれるリーダーは、集団を元気にする。

こうした人間心理をわきまえたリーダーが、今後、日本にもっと増えてほしい。同じ働くのでも、楽しく嬉しく働くのでは、働き甲斐が全然違う。そうして、日本を元気にしてほしい。

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