赤ちゃんを「赤ちゃん扱い」することはできない

今、「ユマニチュード入門」を読んでる最中。クロ現でジネストさんの映像を見て衝撃を受けてからユマニチュードには強い関心を持っていたのだけど、ようやく本を読み始めることに。そして「ごっつ面白い」。まだ読んでる最中だけど、書かずにいられないのでちょっと書く。

高齢者介護を考えるこの本では、「赤ちゃんと接するとき」に自然にしてしまう動作・しぐさを見習っている。これ、拙著と奇妙にも強く符号している。
拙著では、赤ちゃんへの親の接し方は理想的だと指摘し、そこから部下の育て方や子育ての方法を考えるスタイルをとっている。これが高齢者介護のこの本でも同じとは!

こう書くと、「子どもはともかく、いい大人の部下や、人生を長く生きた高齢者を赤ちゃん扱いするとは!」と誤解する人がいるかもしれない。ところが奇妙なことに、親が赤ちゃんを「赤ちゃん扱い」することはない。「赤ちゃん扱い」するのは決まって、大きな大人や子ども相手のとき。

赤ちゃんを抱いてみるとすぐにわかるのは、「意志のカタマリ」であるということ。大人が赤ちゃんを抱くと、かほどに無力な存在が、こんなにも強烈な意志を持っているとは!と痛感せざるを得ない。そして、その意志を無視できる大人はいない。
どういうことか。

赤ちゃんは、不愉快だったり不安になったりすると、すぐに泣く。大人は、赤ちゃんを抱くと、何かの拍子で泣きはしないかとドキドキせずにいられない。そして赤ちゃんは遠慮しない。不快だ、不安だと思ったらすぐに泣く。どんな大人にも容赦しない。

どんな大人に対しても意志表示を貫く。これほどに強烈な意志の持ち主を、大人はどうにも無視できない。大人は、赤ちゃんを決して「赤ちゃん扱い」できない。こちらに遠慮して意志表示をためらう大人には、しばしば小バカにし、その意志を軽視・無視し、存在そのものを「赤ちゃん扱い」するのに。

一個の巨大な意志の持ち主として、親は、大人は、赤ちゃんに対さざるを得ない。いま何を感じているのかを推測し、それに応じた対応をせずにはいられなくなる。
しかし私達はしばしば、言葉の通じるようになった子どもや、遠慮をするようになった大人を「赤ちゃん扱い」する。その意志を無視する。

ジネストさんはそのあたりは言語化していないようだが、赤ちゃんに対する「絶対に『赤ちゃん扱い』しない心構え」は、高齢者介護でも重要だと見抜いている。私は、子育てにおいても、部下育成においても、この「赤ちゃんに対する『赤ちゃん扱いしない』姿勢」が決定的に重要だと考えている。

「赤ちゃん扱い」に似たような矛盾が、「ネコ可愛がり」にも起きている。皮肉なことに、ネコをネコ可愛がりすることは困難。ネコは干渉されることが大嫌いで、放っておいてほしい生き物。自分が撫でてほしいときには撫でさせてくれるが、そのつもりがない時は逃げてしまう。抱かれたくないときもそう。

ネコと良好な関係を結ぶには、ネコが好まないタイミングで好まないことをせず、好むときに好むことをする、という、ネコの主体性を重視した接し方をする必要がある。もしネコの都合を考えずに撫でたり抱いたりしようとしたら、ネコは懐かず、可愛がることさえ許してくれなくなるだろう。

もし、多くの親が赤ちゃんに対するように、その意志の強さを思い知り、その意志が健やかな成長を促す力でもあることを痛感しながら接し方を模索する、そのあり方を他の年代にも適用したら、子育ても部下育成も高齢者介護も、かなりの部分の困難が軽減されるように思う。

多くの問題は、赤ちゃんには決して行わない「赤ちゃん扱い」を、成長した人々にしてしまうことに起因してる気がする。もし私達が赤ちゃんに対して自然に行ってしまう、「決して『赤ちゃん扱いしない』姿勢」をとれるなら、多くの問題が劇的に改善する方向になる気がする。

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