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「初期」人類のゆりかご


 ケープタウンでレンタカーを返却して飛行機でヨハネスブルグに戻り、学生時代の友人で南アフリカ共和国大使館に勤務していた野田さんの家に泊めてもらった。次の日、高達さんの車で、津山直子さんご一家と、ユネスコ世界遺産「人類のゆりかご」のクロームドライ洞窟と、スタークフォンテン洞窟、それに隣接して建てられた展示館を見学した。

「人類のゆりかご」は、はじめスタークフォンテン、スワークランズ、クロームドライと周辺の人類化石遺跡として世界遺産に認定された。これらの洞窟は、ヨハネスブルグから車で一時間ほどのところにあり、50年以上前から600体以上の人類化石の発掘作業が行われている。のちに人類のゆりかごはタウングチャイルドが発掘されたタウングと、マカパン渓谷も含めることになる。

南アフリカの石器時代の人類遺跡
(黄色は初期人類、青は中期旧石器時代。マカパン渓谷は描かれてない?)

 スタークフォンテン洞窟は、英国人古生物学者のロバート・ブルーム博士が、300万年前の人類化石を発掘した場所として知られる。1924年にレイモンド・ダートが「タウングチャイルド」と呼ばれるアウストラロピテクスの化石を発見したことを世界に伝えたにもかかわらず、世界はそれを評価しなかった。そこでブルームは、1948年に自ら初期人類化石を発掘して、世界に示したのだった。

 

地下深くまで階段を降りていく

 

 スタークフォンテン洞窟は、雨水がドロマイト石灰岩層を溶かして生まれた。見学コースは、人類学的というよりも、鍾乳洞の見学だった。広い洞窟は見ごたえは確かにあったが、ここはヒトが居住してハダカになった場所ではなかった。洞窟を出たところに、初期人類化石を抱きしめたロバート・ブルーム博士の胸像があった。


ロバート・ブルーム博士の胸像


人類のゆりかごの展示

 人類のゆりかごに隣接した展示館が、さまざまな初期人類の化石を展示していた。たっぷりと見学したあと、津山さんや高達さんとお茶を飲んだ。そしてこの洞窟にはヒトが住んでいなかったことと、化石も初期人類のものであることを確認した。

 高達さんが、ヨハネスブルグ市内にあるウィッツウォーターズランド大学にある「オリジンセンター」の展示は見ごたえがあると推薦してくれた。帰国までにあと一日あったので、一人でオリジンセンターを訪ねた。

 あまり知られていないが、ウィッツ大学のオリジンセンターは、元は国家機関であった考古学調査所である。1920年代の南アフリカでは、アウストラロピテクスなど初期人類の化石が出土しただけでなく、脳が我々現代人と同じだけ大きくなって、オトガイ(頤)の発達した現生人類化石の両方が出土した。オトガイとは、骨が厚くなって先端が尖って突き出した下あごのことである。
 南アフリカで考古学熱が高まったこと、南ア連邦の首相をつとめたヤン・スマッツは科学に理解があったことなどから、政府は1930年代に南アフリカ考古学調査所を設置したのだった。国家機関として考古学調査所を設けた国は、南アフリカのほかに聞かない。ところが、この考古学調査所は1962年になんの説明もなく閉鎖されてしまった。そして調査所がもっていた化石資料はウィッツ大学に寄贈されたのだった。

 オリジンセンターでは、化石のレプリカに触ってもよい。訪問者は、角度や口の開き具合を変えて、好きなようにレプリカを見ることができる。歯列は平坦か、突き出した牙があるか、眉稜があるか、脳の容量はどうかといったことを、自分で観察できる。これはすばらしいことだ。

レプリカに触ってよい
初期人類化石で、牙はないが、頤は発達していない


右のスティルベイ文化は7万2000年前、中のホイスンズプールト文化は6万6000年前に始まった

 道具の展示コーナーに、石器が時系列的に展示されていた。この中期旧石器時代には、7万2000年前に始まったスティルベイ期と、6万6000年前に始まったホイスンズプールト期がある。化石の形状がどう違うか。時代が下るにつれて細密化している様子がわかる。この2時期は何に対応しているのだろう。南アフリカの驚くほど多種で多用な人類化石と様々な石器は、我々に考えることを求める。

 オリジンセンターを見学すると、南アフリカでは、今から300万年前の初期人類アウストラロピテクスの化石もたくさん出土したが、今から7万年前の中期旧石器時代に突如花開いた2時期の新石器文化から、細石器も多数出土したことがよくわかる。だからなおさらのこと、スタークフォンテン洞窟などの遺跡は「初期人類のゆりかご」と改称すべきだと思う。


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