心から願っていたい

「私のこと大事にしてくれないなら子どもなんて作れない」

ちょっとした言い合いになった時の、妻の一言に「ギクっ」とした。
彼女をないがしろにしていた自覚があったからだ。

事実、ADHDで20代から自分勝手で色んなことに興味を抱いて、夢を追いかけて、会社を起ち上げて好きにやってきた。
「将来のため」と言い訳をしながらも、僕は自分の事ばかり考えて、彼女のことは大事にしていた”つもり”になっていて、気が付けば35歳にもなってしまっていた。

彼女にとって僕は、好き放題、わがままに生きる子どものように見えるそうだ。
「子ども2人を私一人で面倒見る事なんてできない。」
彼女がそう言い放った言葉が、矢のようにグサリと刺さったままだ。

今日は、地元を離れ、北陸に来ている。
GWも仕事に追われていたが、ようやく一息ついて、訃報のあった父方の実家の近くから足を延ばして、久しぶりに独りの時間を過ごしている。

親戚や従兄弟に、子どもの写真を見せられたせいかもしれない。
彼女からの痛い言葉を思い出したのは。


妻を幸せに出来ずに、安心して子どもが欲しいと言えない状況にさせていることに、申し訳ない気持ちはある。
だが僕にも言い分はある。

僕は”心から願って子どもが欲しい”のだ。

「お前がいたせいで、生活が大変だ」
「お前が産まれてきたから、夢を諦めた」
そんなこと、口が裂けても言いたくないのだ。

この10年夢を追いかけてやってきた。
自分の心にも人生にも、嘘をつきたくないからやってきた。
その甲斐あって、稼げるようになったし、自由な仕事、職場、生き方を手にする事ができた。
本当に小さいけど夢を叶えられたと、僕はこの10年に誇りを持っている。

ただ「妻を大事にしてきたのか」と言われるとそうじゃない。
「私のこと大事にしてくれないなら子どもなんて作れない」
そのことを僕だって分かっているから胸が痛いんだ。

ITの仕事と、自由業を選んだのは、自分の子どもと向き合う時間が欲しかったからだった。
なのに、気が付いたら仕事ばかりしていて、自由なはずの時間が全くなくて、彼女と喧嘩することが増えた。

「こんなんじゃ子どもと向き合う時間なんて取れるはずがない…」
だから、妻の言葉にギクリとした。
素直にごめんと想う。

これからは彼女のことも大事にしていきたいと想っている。
僕が10年会社の事を想ってやってきたように。

適齢期だからとか、世間体とか、周りが望んでいるからじゃなくて、彼女が「僕との子どもが欲しい」って心から願ってくれるような人に、僕はそんな人になりたいと今は思っている。


僕は5人兄妹の家族に産まれた。
父の稼ぎは立派だったのに、僕らの家庭は貧乏だった。
冗談で父に「僕らがいなかったら父さんと母さんは億万長者だね」なんて言ったらさ、父さんなんて言ったと思う?


「父さんな、お前たちがいなかったらこんなに頑張れなかったと思う。お前たちがいたから父さん幸せなんだよ。」って言ってた。

当時はふ~んってしか思わなかったけどね、僕は大人になって、この言葉に救われたんだって分かって大人げなく涙が出た。

ただでさえ人は「何のために生まれてきたんだろう」って悩むことが往々にしてある。
けれども、たった一人でも「あなたが生まれてきてくれて良かった」って言ってくれたら、それだけで生きて行こうかなって想える。

20年、やりたいことも、生まれた意味も分からなかった僕には、たった一人しかいない父親や母親にそう言ってもらえたことに救われたのだと、今になって分かる。


「大事にされてない」
彼女にそんなことを言わせてしまったことを、今になって本当に申し訳ないと想った。今度は僕が妻を大事にする番なんだと思った。

誰かが「幸せになるのは義務なんだ」って言っていたことを思い出した。
僕が幸せじゃなかったら、家族が、友人が、出会う人が幸せじゃないからなんだって。
笑顔も、幸せも、伝染するもんなんだって。
だから幸せになることは義務なんだって。

僕もそう思う。
妻を大事にできなかったことを申し訳ないと思うけれど、僕は自分の夢を追いかけたことに後悔は一切ない。
僕が心から願って追いかけた夢だから。
自分自身の幸せにだって妥協したくなんかない。

子どもだってそうさ。
世間体や義務や、でき”ちゃった”じゃなくって、僕も妻も幸せで
「あなたに会いたい」って心から願って子どもを授かれたなら、きっと幸せだと想う。
もしも僕らの子どもでなくてもそれは変わらない。

他人だってそうだ。
せっかく出会うなら、せっかく話すなら、心から楽しんで話したいよ。
”しょうがないから”なんて、妥協して会うなんて嫌だよ。

仕事だって心から願ってやりたいんだ。
家に帰って「疲れた…」なんて家族に言いたくない。
そんな姿だけ見て、子どもに仕事って大変なんだって想ってほしくない。
「お疲れ様」って嬉しいけど、妻に気を遣わせるのだって嫌だよ。
そりゃ疲れるもんだけど、それ以上に仕事を面白おかしくやってたいの。

遊びも一人の時間も同じ。
「”こんなこと”やってる場合じゃない」なんて言ったらさ、可哀そうじゃんか。遊びたい、一人の時間になりたいって、心から願ったんだから、一生懸命遊ぼうよ。一人の時間大事にしなよって想うんだよ。


だから、いつも”心から願っていたい”。

誰かにも、妻にも、いつか出逢う子どもにも、どんな物事にも
「あなたがいてくれて良かった」って言えるように。

きっとそう言えたら、この胸の痛みも取れると思うんだ。


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