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ふたつの『雲林院』

5月11日。
 五月晴れの中を豊田市能楽堂で、「さつき能」を観て参りました!名古屋能楽堂が改修工事のために、今年は名古屋での能の公演がなく、久しぶりの観能でした。
 能の曲名は『雲林院』。

 ワキは高安流の有松遼一氏。ご本は読ませていただいていますが、舞台を拝見するのは初めてでした。

 素晴らしい美声でびっくりしました。声質ものびのびとしていて、心地がよい。
 実は最近、謡のお稽古を始めたのですが、大きな声が全然出ないのです。とはいえ声を張り上げれば大きくなるわけではなく、ましてやそんな謡い方では5分ともちません。声の高さは場面によって様々で、低く謡えばいいわけでもない。腹の底から声を出すことで大きさも高さも節もコントロールすることができます。舞台の皆さんは軽々とやっていらっしゃるようですが、弛まぬ訓練の賜物なのだ、とわかりました。

 シテは金剛流、宇髙竜成氏。私より若い(笑)。お姉さんの宇髙麗子氏は有名な能面師さんで、最近よくインタビュー記事や講演会などでお名前を拝見します。
 後半は、中将の面をつけた業平の霊であるシテの一人舞で、これまた素晴らしい謡と、クセ、序の舞をたっぷりと魅せてくれます。業平の衣装も素敵なのですが、舞の所作が丁寧で目が離せませんでした。
 能の舞は、いろいろな基本型が組み合わさったものですが、この中にそれぞれの曲で謡われるのに合わせた動きが取り入れられます。
「狩衣の袂を冠の巾子にうち被き~」では頭の上に袂を頭上にかかげたり、「落つる涙は~」ではつと下を向いたり。そして、最後の舞は面を見せつつ、じっくりと舞台の上を回っていくのです。中将の能面がだんだんイケメンに見えてくる不思議さよ(笑)
 すばらしく優美な時間でありました。

 さて、ストーリーはどんなものか、というと。

幼いころから『伊勢物語』を愛読するオタクである芦屋の里の公光は、ある時不思議な夢を見ます。紅の袴を穿いた女性と、束帯姿の男性が伊勢物語の草紙を読みながら花の下にいるのです。この二人は、二条の后と在原業平のことに違いないと、教えてもらった雲林院(紫の雲の林)へと出かけて行きます。
 そうです。これは『伊勢物語』でも有名な第六段をもとにしたお話なのです。

 雲林院とは船岡山の東麓にあり、もとは紫野院という淳和天皇の御離宮であったそうです。869年、僧正遍昭に譲渡され「雲林院」としました。この菩提講(極楽往生のために法華経を講説する法会)は『大鏡』や『今昔物語』でも出てくるそうです。『源氏物語』の「賢木」で源氏が籠るのはここですね。籠ってもあまり役には立たなかったみたいだけど…なぜ雲林院かというと、ここに二条の后の別邸があったとも言われているからです。

雲林院についた公光は、その荒廃ぶりにちょっと呆然とします。しかし、いつまでもこうしていても仕方ないので、花でも摘んで帰ろうと花を手折ろうとします。そこへ、「誰ですか、花を折るのは」と、どこからともなく老人が現れます。

 この時の公光は、”遥かに人家を見て花あれば即ち入る”と謡いますが、これは「和漢朗詠集」に取り上げられている白楽天の詩です。『鞍馬天狗』でも、鞍馬寺の稚児たちの花見に勝手に混ざることを咎められた山伏(本当は天狗)が同じように謡います。美しい花を愛でるのにマナーは二の次ってことでしょうか。今の観光客みたいなこと言ってますね…

 花を勝手に摘むなと怒る老人に、「花を摘むのは愛するからだ」「花は口をきかないじゃないか」とかいろいろ理屈を述べてごねる公光…ついには根負けした(?)老人は「花を惜しむのも、花を手折りたいのも、いずれも花を愛惜しているからですね」と(無理やり)まとめます。

 さらに老人は、「お前は誰だ」と尋ねます。公光が、自分は『伊勢物語』が大好きで、不思議な夢を見たからやってきたのだ、と説明しますと、老人は、「ならば木陰で寝ていれば、夢を見られましょう」と言います。不思議に思った公光は「貴方は誰ですか」と尋ねます。

シテ そのさま年の古びよう 昔男など知らぬ
ワキ さては業平にてましますか
シテ いや 我が名を何と夕映えの
地謡 我が名を何と夕映えの 花をし思う心ゆえ 木隠れの月に現れぬ
   誠に昔を恋衣一枝の花の蔭に寝て 我が有様を見給はば 
   その時不審を晴らさんと 夕べの空の一霞
   思ほえずにこそなりにけれ思ほえずにこそなりにけれ

「雲林院」詞章

「あなたは業平ですか」、と尋ねる公光に、はっきりと名乗ることなく、いずれわかるであろう、と老人は姿を消します。

 ここで中入りで、この後が後段になります。
 ところでこの『雲林院』、じつは後半は、まったく異なる2バージョンがあるのです。

 古式と呼ばれるバーションは、すでに世阿弥の時代にはあったようで、世阿弥の息子、元能が「申楽談儀」に書いています。しかし、ここで注目すべきは、「基経」が出てきていることです。

金剛の「雲林院の能」(後シテは老人風の演技。掛け合いは悠々と謡うべし)で、「基経の常なき姿になりひらの」と謡い、松明を振り上げ、きっと居直ったが、興福寺南大門の雄大さに決してひけをとらない姿であった。

「現代語訳 申楽談儀」 観世元能(水野聡訳)  
檜書店

 しかし、今回のものは、基経は出てきません。このため、改変バージョンということになります。このバージョンは南北朝時代に完成したとされ、誰の手によるものかは詳しいことはわかっていません。なぜ後半を大々的に変更したのでしょうか。

 改変バージョンでは、出てくるのは業平の霊だけです。

シテ まずは弘徽殿の細殿に

地謡
人目を深く忍び 心の下簾のつれづれと人は佇めば 我も花に心を染みて
共にあくがれ立ち出ずる 如月やまだ宵なれど月は入り 我等は出ずる恋路かな 
そもそも日の本の 中に名所と言う事は 我が大内に在りかの遍昭が連ねし 
花の散り積る芥川をうち渡り 思い知らずも迷い行く 被ける衣は紅葉襲 
緋の袴踏みしだき 誘い出ずるやまめ男 紫の一本結の藤袴萎るる裾をかい取って

シテ 信濃路や

地謡
園原茂る木賊色の 狩衣の袂を冠の巾子にうち被き 忍び出ずるや如月の 
黄昏月はもはや入りて いとど朧夜に 降るは春雨か 落つるは涙かと 
袖うち払い裾を取り しおしおすごすごと辿り辿りも迷い行く

『雲林院』詞章

 とても不思議な世界です。内裏の中に日本の名所があり、芥川や信濃路を歩いた、と言います。一体、業平と二条の后との逃避行はあったのか、なかったのか…疑問は晴れることなく、業平は昔を思い出し、夜遊の舞を舞い始めます。そして朝日と共に消えていくのでした。
 ここでは二条の后を手に入れることのできなかった業平の慟哭が聞かれることはありません。
『伊勢物語』ではこの段の後、昔男は東下りをして各地を彷徨います。そのどこにいても、都の恋しい人を思い出してさめざめとなくことになります。

 もしかすると、このバージョンの業平は「花を手折る」ことはよしとせず、「花を守る」ことに徹しているのかもしれません。そうであれば、美しい花を手に入ることはできなくても、その美しさをいつまでも愛でることができるのですから。

 げに枝を惜しむは又春のため手折るは見ぬ人のため

 無理に連れ出して、もはや二度と逢えなくなってしまった恋人への愛惜を花に例えたやり取りが前半だとすると、二人の昔を思い出して、春のたびに月夜に舞う業平の霊は、哀しいながらも、美しく、そして本人は満足しているようにも思えます。

 *弘徽殿が出てきたり、朧夜が出てきたりと、『源氏物語』を意識して作られているのでは、という見方もあるようです。確かにこれも「賢木」の章のお話なので、雲林院に関係があるのかもしれないですが、あちらでは源氏は(須磨へ流されたとはいえ)恋の勝者ですよね。

もう一つの『雲林院』


 しかし、古式バージョンはこれとは全く違って途端に生々しくなり、『伊勢物語』のさまざまな要素をぶち込んできます。

 後半で最初に出てくるのは、二条の后と彼女の兄である堀川大臣、基経です。
『伊勢物語』の第六段では、昔男が女を連れ出し、芥川を越えて逃げて行きます。途中、鬼がでるところで雨が降ってきたために、あばら家に女を入れ男は戸口で守っているのですが、夜が明けてみてみれば女は消えていたのです。鬼に一口に食べられしまったのだ、と言って男は嘆きます。
 その時に読まれたのが有名な
白玉かなにぞと人の問いし時露とこたへて消えなましものを
の歌ですね。
 しかし、鬼に一口に喰われた、と思っていたのは違っていて、彼女の兄が連れ戻していたのでした。

これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるようにてゐたまへりけるが、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出でたりけるを、御兄人堀川の大臣、太郎国経の大納言、まだ下臈にて内裏へ参りたまふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめて取り返したまうてけり。それを、かく鬼とはいふなりけり。

ビギナーズ・クラッシック 日本の古典『伊勢物語』坂口由美子編
角川ソフィア文庫

 古式バージョンでは、公光が花のたもとで寝ていると、夜半に美しい女人が枕元に現れ、自分は二条の后であると名乗ります。そして『伊勢物語』を語って聞かせます。
ところが、話の後半で不穏なことを言い出します。

武蔵塚と申すは、げに春日野のうちなれや、しかれば春日野の、牡鹿の角の束の間も、隠れかねたる声立てて、一首のご詠、かくばかり
 武蔵野は、今日はな焼きそ若草の、夫と籠もれり、われも籠もれり

能を読む①『翁と観阿弥』
角川学芸出版

 これは『伊勢物語』第十二段に見える話です。

むかし、男ありけり。人の娘を盗みて、武蔵野へ率いて行くほどに、盗人なりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらに置きて、逃げにけり。道来る人、「この野は盗人あり」とて、火つけむとす。女、わびて、
 武蔵野は今日はな焼きそ若草の夫もこもれりわれもこもれり
と詠みけるを聞きて、女をばとりて、ともに率いていにけり。

ビギナーズ・クラッシック 日本の古典『伊勢物語』坂口由美子編
角川ソフィア文庫

そこに基経の霊が現れます。そして、この歌の夫とは業平、歌を歌ったのは、后であり、取り返したのは自分である、と言います。

シテ(基経)
~武蔵野は、今日はな焼きそ若草の夫とは業平ご詠は后を、取返しはわれ基経が、鬼ひと口の姿を見せんと、形は悪鬼身は基経か
 常なき姿に業平の

地謡 昔をいまになすとかや

シテ 白玉か、なにぞと問ひしにしへを、思ひ出づやの、夜半の暁

能を読む①『翁と観阿弥』
角川学芸出版

自分がその姿を悪鬼に変えて、業平の時代の「鬼一口」の物語を再現してやろう、って、怖すぎないですか…

后は自分が悪かったからもう誰も恨みませんといいっているのに、基経の霊は昔のことを再現してみせてみよ、と迫るのです。后は兄に追われて逃げた昔を思い出しつつ語ります。ついには武蔵塚に籠った業平と后の二人でしたが、追いついた基経は松明を掲げて塚の中に入り、二人を見つけ、引き摺り出します。
塚の中から出てきた業平は
 年へ経て住み来し里を出でて去なばいとど深草とやなりなむ
と歌います。
基経は、后が
 野となれば鶉となりて鳴きをらむ狩にだにやは君は来ざらむ
と返したといい、「あさましや」と馬鹿にしたようにいうのです。

これは『伊勢物語』第123段にある話ですが、二条の后の話ではありません。
深草の里に住んでいた女に飽きてしまった男が、長年行かないと荒れた野になってしまうでしょうね、という歌を送ったところ、女は野になってしまったら、鶉になって泣いているでしょう。でも、きっと来てくれると待っています、と返したので、男は去ることをやめた、という話。
 『伊勢物語』ではハッピーエンドなのに、基経はそれをぶち壊します。

そして、業平は東国に下った話をします。
 最後に基経は、后を取り戻して消えて行きます。

なんとこの古式バージョンは、二条の后と業平の恋の逃避行の話ではなく、兄が妹を追いかけて取り戻す妄執の物語なのですね。
 『伊勢物語』の恋の話だ~と楽しみにしていた公光くんは、これで納得したんでしょうか…そして、観に来ていた観客はどうだったんでしょう…?
 やがてこの曲は廃曲になりますが、昭和に復曲されました。現在は観世さんだけが古式バージョンで上演をされるようです。多分ですが、当時の人たちにはあまり人気がなかったんではないか…と推測します…

『伊勢物語』は貴族から庶民までその話を知っていたと思われる平安初期の大ベストセラー。昔男が誰かははっきり書かれていないのですが、おそらくは在原業平という恋多きイケメン男の一代記だとみなが思っていたようです。恋多き、とはいえ、二条の后にはマメに通いますし、幼馴染との井筒の恋は純情です。斎宮との危険な恋も経験しますが、そこにはそこはかなとなく老いが感じらるようになります。
 後半には「翁(老人)」と言う記述がたくさんでてきて、やがて
 つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを
といって死んでいきます。

 しかし、二条の后との恋はまだまだ業平が若い時の物語。前段で翁として現れた花守が、後段で輝くばかりの美男となって、恋の様を語り、夜の宴の舞を舞う。なんだかそちらの方が素敵だなあ、と個人的には思いました。
 もっとも、古式バージョンを観ていないのでなんとも言えません。基経の妹に対する執着は、彼を鬼にした、という解釈…それもまた魅力的ではあります。
 いつか、古式バージョンの『雲林院』を観てみたいです。

参考


 能は年配の人の趣味と思われがちですが、舞台で舞っている人はどんどん世代交代をしているので、若い人も多いです。もちろん「人間国宝」と呼ばれている人の超絶すごい舞を観るのも素敵ですが、はっきりいって初心者にはどこがすごいのかはいまいちわかりません。
 別の楽しみ方としては、比較的若い人たちが出演している地方公演で「あーあの若い子、いい動きするな」とか「この人声がいいな」とか「子役の子、かわいい…」とか、これからの若手を育てる路線で舞台を観るのも楽しいですよ!能楽師さんたちは50歳になっても、若手と言われる世界ですから死ぬまで応援できます(笑)


 また次の納涼能まで楽しみに待ちます!