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シルバーナのクッション

「ねぇ。わたし、別のところに行きたいの。思う存分自分の力を試してみたいの。」と、シルバーナは夫のロベルトに話した。

子どもが生まれてから5年経った。もちろん子どもはかわいい。

でも、「もちろん子どもはかわいい、けど」と、前置きをしないと何も話せない環境にはうんざりだった。1人で自分の実力を思い切り使いたい。子どもが生まれる前はそうだったように。

子どもが幼稚園に入る前から、シルバーナはそんな風に思い始めた。

ホルモンの関係なのか、愛が減ったからなのか分からない。ただただ一人になりたいとシルバーナは思った。研究職として、家族の世話などせずそれに没頭したい。

そして、母親である自分のそんな感情はロベルトから受け入れられるものではないこともよくわかっていた。母になった人間にはそれはわがままだといわれるのだろう。

シルバーナは以前、同僚のイネスにだけ、この思いを打ち明けていた。何も考えずにただ自分と仕事のことだけ考えたい。誰の晩御飯の心配のない生活をしたい。イネスはシルバーナの気持ちをわかってくれる唯一の相手だった。

授乳で乳が張っていた時期は2歳までに終わった。動物として自分が子どもにできることはもうない。なのに、どうしてこの生活が続くのだろう。アメリカでは乳母をつけて子育ては外注するというのに、この国では母の手料理が称賛されている。そんなのもウンザリだった。

どんなに口角をあげて、自分をダマそうとしてもシルバーナは子育てより研究が好きなことに変わりはなかった。自分の能力を生かせる場所は家ではなく大学の研究室だった。

産んだことに後悔はしていない、ただ子育てに興味がもてないのだ。ロベルトは何度もそんなシルバーナを責めた。母親失格だと。そんなことは自分が一番わかっている。

そして彼女は家を出た。そこに後悔はない。ただ、十数年後に子どもが自分の研究室に入ってくるとは思っていなかった。それはまた別の話。


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