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アメリの帽子

アメリはAmelia とよく聞き間違えられた。自分の名前の最後がLIで上がるのがフランス語っぽくて気にいっているのに、aをつけてイタリア風にされるのには、どうしても納得いかなかった。「Ameli。aがつかないAmeliと」と訂正するのだった。

同業者のサトコはいつもAmeliをAmeri と呼ぶ。RとLが区別できないのだ。そんな彼女と美術館で最後に会ったのは3年前だ。あの頃は毎週のようにお互いに観光客を引き連れて美術館の中や王宮の中ですれ違っていたのに。またねとすれ違ったまま会わなくなった各国語のガイド仲間たち。

アメリは「そのうち観光客が戻るだろう」と楽観的に過ごしていたが、半年が終わる頃には考えは変わった。

何か別の仕事はないだろうか?とLinkedInの職歴を適当に盛りながら更新する日々が始まった。適度に日焼けして、スーツを着たビジネスっぽい他人の華麗な履歴を見ながら「どこまで本当なんだろう?」とアメリは呟いた。

そういうアメリのCVも充分に盛ったものだった。中国語もスペイン語もフランス語もパーフェクトだ。実際のとこスペイン語は中学の第二外国で習ったきりだが、観光客とのやとりに困ったことはないのだからパーフェクトと言っていいだろう。

しかし、どれだけ多くの言葉が話せてもアメリに仕事のオファーはなかった。何ができるか自分でも分からなかった。

仕事はなくても家賃は払わなくてはいけない。階下に住む大家はパンデミアの始まりには観光業のアメリに同情してくれたが、半年後には同情も無くなっていた。同情は同情、家賃は家賃だ。

10年以上楽しく働いていた結果がこれなのかとオンラインで残高を見ながら悲しくなった。あと3ヶ月は何とかなる。でもその後は?

それ以上は考えない。と、何度目かの決意を固めた。

その後、中国語でオンラインツアーを始めてweiboで彼女のミームが流れるようになることはまだ知らない。

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