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イネスのサングラス

イネスは幸せだ。特に理由は無いけど。

自分は運がよく幸せだとずっと思っていた。微笑みながら起きる赤ちゃんのように幸せだ、とよく周りに語っていた。「そりゃ大変なこともあったけど、過ぎてしまえばね。」と朗らかに。

しかし、「赤ちゃんが目覚める時の微笑みはただの筋肉反射じゃない」と、ネイリストのリンに言われたとき、何も言い返せなかった。微笑みだと思っていたものがただの反射行動。

それまで自分の幸せを疑ったことがなかったのに、その朝イネスは「自分はそんなに幸せではないのかもしれない」と考え始めた。幸せとは一体何なんだろう?自分が幸せであるという感覚が急になくなってしまったのだ。

急に水に落ちて、酸素がなくなって、息ができなくなったみたいに、当たり前にあった幸せがなくなった。息の仕方を忘れたみたいが。

そんな考えをしている間も爪の色はどんどん変わっていく。

子供はある程度大きくなって手を離れたし、夫との生活にも不満がない。給料だって働いた分だけもらえている。

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ずっと、楽しく正しく生きてきたのに。正しく?何が正しいの?自分に何かが欠けているような気がする。学校に行き、仕事をし、恋をし、結婚し、子どもを育て、子どもは独立した。全部やっているのに、何もない。空っぽだ。

見守る対象であった子どもも夫も、いつの間にか自分の世界を幸せそうに生き。いる。イネスのことを必要としている人はどこにもいない。でも、だれかに必要とされなければ幸せになれないのだろうか?

私はずっと幸せだった。そう。それは間違いない。今日の朝までは。

そこでイネスは思い当たった。ネイルが終わったら、すべての予定をキャンセルして家に帰って、入浴し、ベッドに飛び込んだ。大丈夫、寝たら元に戻る。そうイネスは自分に言い聞かせてアイマスクを付けて寝た。


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