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魔術

タクヤは週刊誌に追われていた。人気俳優の私生活を彼らが勝手にストーキングすることは、有名税と称して黙認されている。

犯罪を犯罪として裁けない世の中は狂っている、とタクヤは思う。

「それでもう週刊誌に撮られたくないということですね」

マネージャーの紹介で知り合った男は魔黒と名乗った。現代に生きる魔術使いで、依頼者の願いを叶える男だという。

「もうカメラに撮られたくないんです。そんな願いも叶えられますか」

すがるように魔黒を見つめた。喫茶店のテーブルを挟んで魔黒は頷いた。

「300万円になります」

もう週刊誌に撮られずに済むと思えば安いものだ。マネージャーに言われて用意していた札束を魔黒に渡した。

「それでは、これからあなたは週刊誌のカメラに撮られることはなくなります」

魔黒は目をつぶり、低い声で何か呪文のようなものを唱えた。滑舌の悪い人間の懸命な早口言葉に聞こえた。呪文を唱え終わると、魔黒は口の両端をぎりりと上げた。

「これであなたは自由です」

札束をカバンに入れ、魔黒は席を立った。周囲のテーブルに目をやったが、誰も呪文を唱えた魔黒のことなど気にしていないように見えた。

・・・

翌朝、タクヤは変装して街へ出たが、車に潜んでいた週刊誌の記者はめざとくこちらにレンズを向けた。

舌打ちしつつ帽子を目深にかぶり、その場をやり過ごす。車とすれ違う瞬間に、レンズを覗きながら首を捻っているのが見えた。

その車のウインドウが開く。
「すみません、AB通信の記者です。タクヤさんですよね?カメラに映らないのですが、どうしてですか?」
不思議そうに質問をした記者をタクヤは無視して通り過ぎた。間抜けな質問に答える筋合いなどないからだ。

魔黒は本物だった。
タクヤは気がついたら笑っていた。足取りは軽くなり、帽子を脱いでサングラスを外した。俺は自由を手に入れたのだ。頭上から垂直に差す太陽が眩しかった。
これでもう週刊誌に追われて悩むことはない。そう思うとやけに街が賑やかに見えた。

・・・

マネージャーに連絡し、緊急で魔黒を呼び出したのはその二日後のことだった。魔黒は大きな間違いを犯していた。

初めて魔黒と会った喫茶店で待ち合わせた。すり足のような動きでぬらぬらとやってきた魔黒に悪びれる素振りはなかった。
タクヤは目の前に座った魔黒を静かに怒鳴った。

「俺は週刊誌のカメラにだけ映らないようにしてくれと言ったんだ」

主演を務める連続ドラマの現場で大恥をかいた。現場で俺だけがカメラに映らなくなっていたのだ。皆が首を傾げ、カメラマンがカメラのトラブルだと申し訳なさそうに頭を下げた。

カメラマンのせいではないと言えなかった。魔黒の力は他人へ口外厳禁なのだ。

「今すぐ週刊誌のカメラ以外には映るように変更してくれ。これじゃ仕事ができない」

魔黒にそう畳みかけると、魔黒はまた口の両端をぎりりと上げた。耳に残るジメジメとした声がその口から出てくる。

「私の魔術ではカメラが週刊誌のものか、そうでないのか、判断ができません。元に戻すか、このままカメラに映らない人生か、どちらかをお選びください」

タクヤは頭を抱えた。プライベートを守るか、仕事を取るか。究極の二択だった。

「決まったら電話を」

それだけ言い残して魔黒は消えた。

・・・

一年後、タクヤは主演を務めた映画の完成パーティーに参加していた。
都内高級ホテルの最上階を貸し切ったパーティーで、関係者のみが集められたクローズドなイベントだった。

タクヤはあちこちで演技について褒められ、お酒も相まって良い気分だった。窓際のスツールに腰掛け、眼下に広がる街並みを眺める。

映画の端役で出た女たちがタクヤに声をかけた。
「お疲れ様です。一緒に写真撮りましょうよ、インスタに載せたいんです」
中でも際どい衣装に身を包んだ女が嬌声を上げた。良いな、私も、と女の声がいくつか重なる。
「撮るな」
タクヤは瞬時にその場を離れ、女たちを押しのけて別の部屋へ逃げた。

女たちは互いに目配せをした。
「ほら、タクヤさん、カメラ嫌いで有名だから」
女の一人が声量を落とす。写真を断られて傷ついたプライドを取り戻すために卑しく笑った。「写真に命が取られるとでも思ってるのかしら」女たちは皮肉るように、昭和の人じゃないんだから、と笑い合った。

ひとしきり笑ったあとで、派手な装いの女がつぶやいた。「でも、あんなに人気俳優だったのに、どうして突然声優しかやらなくなったんだろうね」

「ね。あんなに格好良いんだから、俳優としてもっと活躍できたはずなのに」

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