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100億個目の荷物

ちょうどバニラアイスを食べ終えたところにチャイムが鳴った。

インターホンの画面には青い帽子の男と段ボールが見えた。おそらく注文していた韓国コスメが届いたのだ。通話ボタンを押して応答する。

「淀川急便です」

溌剌とした声を聞いて、ようやく配達員が前橋さんだと気づいた。法学部の学生だった頃の二つ上の先輩。今は役者を目指して宅急便で働いているのだ。明るくて格好いい前橋さんはゼミの人気者で、私みたいな地味な女学生は話す機会もほとんどなかった。

「はーい」

解錠ボタンを押すと、マンション一階のエントランスの自動ドアが開く。画面から左側へ前橋さんと段ボール箱が消えた。洗面台の鏡を覗き込んで髪の毛を手櫛で直す。再度チャイムが鳴り、玄関にスリッパのまま出た。

「荷物がおひとつになりますね」

私より頭二つ分大きい前橋さんからペンを受け取って、受領証にサインをする。大学卒業後、両親が熟年離婚をしたので私の名字は大学生の頃のものではない。私の顔を見ても気がついたそぶりはないから、きっと前橋さんは私のことを覚えていないのだろう。

「ありがとうございました」

一礼して踵を返す前橋さんの背中を少しだけ見送った。

前橋さんの夢は叶うだろうか。ゼミのみんなは「絶対にすごい俳優になる」「今からサインください」と口々に言っていたけど、大学を卒業してもう7年になる。前橋さんをテレビで見たことはないし、舞台で頑張っているという話も聞かない。いや、私が知らないだけかもしれないけれど。

アイスをゴミ箱に片付けた後で、段ボール箱に手をかけた。小さな異変。段ボールを留めるガムテープに白抜きの文字が書かれていた。なんだこれは?文字が潰れて見えにくくなっているところもあるが、なんとか読める。

「おめでとうございます!こちら創業以来10000000000個目の荷物になります!ささやかではございますが、記念品をお渡しできればと思います。QRコードを読み取って、簡単なアンケートにご回答をお願いいたします。」

思いもしない報せに心が弾んだ。え?え?と思わず独り言が漏れる。「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん・・・」と一つずつ桁数を数えた。どうやらこれが百億個目の荷物になるらしい。

早速QRコードを読み込むと、記念品発送用の連絡先や住所氏名の記入欄が表示された。記念品はどんなものだろうか。なんせ百億個目である。これほど思わせぶりな書き方で、期待しないわけがない。

書き終えてデータを送ると、すぐにメールが届いた。記念品の贈呈とちょっとしたインタビューを行いたいのだという。もしかすると、会社を挙げての大きな節目なのかもしれない。だとすれば余計に記念品への期待が膨らむ。

いくつかメールのやり取りをして、直近の週末に担当者と会うことになった。

浮ついた気分を抑えつつ丁寧にガムテープを剥がすと、中には購入した記憶のない美顔ローラーが入っていた。何だこれは。

これが、記念品なのだろうか。いや、そんなことは一言も書かれていない。それに記念品にしては、この美顔ローラーは数年前に流行った古いモデルで、あまり嬉しい贈り物ではない。

首をひねった後で、ピンとくるものがあった。先週見たテレビの送りつけ商法の特集を思い出したのだ。勝手に品物を送りつけ、後からその代金を請求するという詐欺だ。特集の最後に、送りつけ商法は明確な拒否ができない若い世代をターゲットにするようになったと言っていた。

送りつけ商法で送られた荷物が淀川急便の百億個目の記念すべき荷物になる、なんてあまりに縁起が悪い。悪すぎる。私は一人、頭を抱えた。


週末。記念品贈呈の担当者と待ち合わせたのは駅近くの高級ホテルだった。

ドレスアップした私に入り口の紳士なドアマンが微笑みかけた。小さな会釈を返す。ロビー階には美しいシャンデリア。受付で名前を告げると、フロントスタッフがうやうやしく頭を下げた。

「お待ちしておりました。御予約者様はご到着されていますので、後ろ側にございますエレベーターからそのまま1801号室にお進みください」

お礼を言い、指示された通りに館内を進む。

頭の中はインタビューのことでいっぱいだった。もしインタビュアーが「百億個目の荷物はどんなものだったのでしょうか」と聞いてきたら、正直に話すべきだろうか。そこが悩みどころであった。

「いや、それが実は送りつけ商法で」と言ってしまっては、この記念品すら没収となるかもしれない。なんせ自社の配達が詐欺に利用されているのだ。どう考えてみても明るい方向に転がるとは思えない。

結論の出ないまま、1801号室に着く。

いや、別に嘘をつく必要もない。それにこれが送りつけ商法と確定したわけでもない。自分では頼んだ覚えのない商品が届いたんです。誰からの贈り物かわからないんです。そういう無知な自分を演じればいい。嘘をつくよりもよっぽどいい。よし、腹は決まった。

呼び鈴を鳴らすと、室内から足音が聞こえた。かちゃり、とドアが開く。

あれ、と思った時には左腕を強引に握られていた。え?ちょっと。そのまま室内に引きずり込まれる。踏みとどまろうとするが、相手の力の方が強い。とっさのことで大声も出なかった。代わりに、なんで?という疑問符で頭の中が埋め尽くされていた。

なんで?なんで前橋さんが、全裸で腕を引っ張るの?

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