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ストレンジャーシングスが伝えたかったこと/コロナ禍のメッセージ

各所からオススメされて見始めたストレンジャーシングス。

正直、シーズン1を見始めた頃はハズレを引いてしまったかもしれないと思った。多くの映画で書き古されたような、アメリカの片田舎で繰り広げられるティーンエイジャーの薄暗い青春。そして見飽きたような少年の苦悩と青少年たちの恋模様。そこに突如現れるSF感。

少年の失踪から物語は進行し始めるが、序盤の展開はスピード感があるわけでもなく、これがSFモノなのか疑ってしまう時間もある。

次第にテンポが早くなってきて、気味が悪かったり、グロテスクだったり、やたら閃光の激しいシーンが出たり、結構癖の強い演出が出始めたあたりで、当初の嫌な予感が当たったような気がしてくる。このアングラ感が映画通と呼ばれる人種に受けてしまってヒットした作品なのでは、と考えてしまうのだ。「カメラを止めるな」がヒットしてしまった悪ノリに近いものを感じる。

シーズン1を見終わった時点では、この作品を知人に勧めるかと考えると答えは出せなかった。ドラマは確実に面白かったし、見てよかったとは思った。ただ、グロテスクな表現に慣れていない人にオススメできるかは疑問だった。そのグロテスクな表現を乗り越えてでも見る価値があるかといえば、同意は出来ないというのが自分なりの評価だった。

けれど、シーズン2、シーズン3を見終えて評価がガラリと変わった。今は多くの人にこの作品を見てほしいと強く願う。

グロテスクな表現が多いと書いたが、この物語で一番怖いところは、ネコ好きのダスティンの母親が愛猫を失った後、すぐに新しい猫を飼い始めるシーンだ。これ以上に恐ろしいシーンは出ないので安心してほしい。


ここからはタイトルにも書いた作品のメッセージについて触れる。

この物語に超能力を持つ少女は居ても、他に特別な力を持ったヒーローは存在しない。あくまでアメリカの片田舎に居た少年や青少年、大人たちが、突如訪れた巨大な敵に立ち向かう、というのがメインストーリーだ。

巨大な敵が出現し、シーズンの終盤にはいくつかのチームに分かれてそれぞれの敵と戦う。この手法が他のヒーローものと異なる点だと思う。他のヒーローものであれば、どれだけバラバラになっても、全員が一堂に会した時に初めて強敵を倒せるチャンスが巡ってくる、という筋書きになる。

ストレンジャーシングスでは、場所を離れ、お互いに連絡も取れないのに、全員がそれぞれ目の前の敵を全力で倒そうとする。なんの力もない平凡な少年たちが、邪悪な存在に向かって立ち向かう。

巨大な存在と戦う時に、「私だけが頑張ってもしょうがない」「他の人が頑張っているとは限らないし」と言い訳して逃げ出す人がこのチームに一人でもいれば、巨大な敵には勝てない。全員がお互いを信じ、自分にできることを全力で行なった結果、難敵にも勝てるという未来が訪れる。

このドラマでは、その「全員が目の前の強敵にベストを尽くす」シーンがものすごく印象的だ。自分の目には映らなくても、周りの人が懸命に強敵に立ち向かっていて、皆が勝つと信じているからこそ、無駄になるかもしれない自分の戦いにも全力で挑む。


今の時代に置き換えられる話だと思ってしまう。

新型ウイルスに世界が苦悩し、巨大な敵として多くの人を悩ませている。医療の最前線で戦う人がいれば、搬送業や小売業、インフラを整えるために懸命に働く人がいて、子育てをしながら在宅で外出を粛々と我慢する家庭がある。一人一人が自分の世界に広がる敵と粛々と戦っている、はずだ。

そこに「私だけが頑張ってもしょうがない」「他の人が頑張っているとは限らないし」と言って逃げ出す人がいたら、その結末は分からなくなる。今できることは、「全員がそれぞれの世界でベストを尽くしている」と信じて自分の世界でベストを尽くすことしかない。きっと病院では多くの医療関係者が身を粉にして働いているはずだし、運送業の兄ちゃんが眠い目をこすって流通を支えているはずだ。「自分の生活だけが苦しい」のは本当だろうか。「対策は周りがやっていないから」意味のないことだろうか。それぞれの世界でベストを尽くす人を想像すれば、きっと自分の生活でも行うべき行動がわかるはずだ。


病院から当直の帰り、近くの公園を通った際に、ピクニックシートを敷いて公園内で弁当を楽しんでいる人が大勢目に入る。すれ違う人は病院に不足するN95マスクを使用している。後ろからぶつかってくるランナーがいる。ケーキ屋の行列が目に入り、カフェで談笑する人とすれ違う。

それらを目の当たりにしても、「全員がそれぞれの生活でベストを尽くしているはず」だと私は信じたい。私たち医療関係者が「自分ばかり頑張っても仕方ない」からと折れてしまったら、悪い結末がちらついてくるからだ。

ストレンジャーシングスの登場人物たちのように、チームの皆を信じて、自分の持ち場で踏ん張りたいと願う。全員がベストを尽くした後に見える結末の方が、ずっと綺麗だと思うからだ。


SNSで「頑張れ」「ありがとう」というメッセージをもらうよりも、人のいない公園をみた時や、適切な距離を開けた通行人とすれ違う時に、自分も頑張りたいという気持ちを抱く。励まされるし、勇気になる。

もう少し。もう少しだけ、ベストを尽くしてみませんか。

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