優柔不断
恋人のことが羨ましいなとずっと思っていた。彼女は自分の選択に迷いがない。
この前うどん屋でランチをした時もそうだ。初めて入るお店で、どれが人気のメニューか分からないのに、彼女はそのお店に入るなり、「酸辣湯麺を食べる」と宣言した。
私はメニューを広げて、一通りページを見てもいまいち決まらない。強いて言うならこのカツ丼とあったかいうどんのセットが、良いかもしれない。私に合わせるようにメニューを広げて眺めている彼女に声を掛ける。
「これかこれかこれがいいんだけど、あ、あとこれもいいかと思ってるんだけど、どう思う?」
ページを行ったり来たりしながら、彼女にメニューを見せる。
「食べたいの食べな」彼女は言う。
悩みに悩んで、ようやく選べたのは、様々な小鉢がついてくるレディースセットだった。自分で頼むのは恥ずかしいので彼女にお願いした。
彼女は自分の選択を変えず、酸辣湯麺の単品を注文した。潔いなと思った。いろいろついてくるレディースセットを選んだ自分とは大違いだ。
「どうして単品を選べるの?」気になって聞いてみる。単品だと、好みの味じゃなかった時のショックが大きい。様々な種類を頼めば、自分の好みの味が一つはあるんじゃないかと期待できる。初めて入るお店で、どれが美味しいか分からないし、味付けも自分好みかわからない。
「私、辛いのが食べたくって」迷いのない彼女が眩しい。
私は未練がましくメニューを眺めていた。ああ、やっぱりカツ丼が付いてくるセットが良かったかもしれない。彼女が単品でなく、セットでミニカツ丼を頼んでくれたら一口もらえたのに。
「あなたは食に無頓着なのに、どうしてそんなに悩むの?」彼女が尋ねた。
そういえば、私は食事に興味のない男だった。一人暮らしの頃は菓子パンを買い込んで朝も昼も夜もそれを食べた。惣菜よりも賞味期限がもち、食器の用意が不要で、何より甘いものが好きだったからだ。ご飯と向き合って食べることもなく、テレビを見たりパソコンをしたり本を読んだりと常に片手間で菓子パンを食べていた。
菓子パンでなくても、コーンフレークでも良かった。ただ、コーンフレークは牛乳と器とスプーンを用意するのが面倒くさい。結局はコーンフレークをぼりぼりとそのまま食べることになる。
そんな私が食事に悩むのは、確かにおかしい。
「食に興味がないからこそ、決められずに悩むんじゃないか」
一応反論してみると、彼女はケラケラと笑った。
「ただ優柔不断なだけだよ」
それから彼女は酸辣湯麺を美味しそうに食べ、私は好みの小鉢とそれほど好みでない小鉢が半々のレディースセットを食べた。
美味しかった。彼女と食べるご飯はいつだって美味しかった。その美味しさを知ったから、私はメニューに悩むのかもしれないと思った。
プロポーズの段取りを決める時も私は優柔不断だった。
彼女が好きなディズニーホテルを電話で予約した時の話だ。
「プロポーズの際には、お花ですとか、ケーキですとか、あとはキャラクターグリーティング、お写真、お食事などをサプライズでご予約をされる方が多いです」
電話口で丁寧に教えてもらった。けれど、種類が多すぎて彼女がどれを喜ぶのかいまいちわからない。
「どれが一番人気ですか?」
電話口の向こうで女性が少し黙った。
「私だったら一番お花が嬉しいです。ケーキや写真も嬉しいですね」
オススメを聞かれて「私なら」という回答をする店員さんはすごく誠実だと思う。その店員さんを信頼して色々と相談した。結局は、恋人が喜ぶものが分からなくて、注文できる全てを予約した。
当日、プロポーズはどうにか成功したが、その日はスケジュールが色々と詰まっていて大変だった。プロポーズして間も無くケーキが届き、ワインが届き、ホテル内のレストランへ行く時間になった。
「忙しくて、感動する時間もないよ」目にためた涙を拭きながら彼女が言った。
「どうにか喜んで欲しくて」
そう言い訳して部屋を見渡す。
部屋には美女と野獣に出てくる一輪の赤いバラと、ホテルオリジナルのフラワーアレンジメントと、用意してもらった花束があった。そして地球儀をモチーフにしたジュエリーケースに写真立てなど。部屋はプレゼントでいっぱいだった。まるで、小鉢がたくさん並んだレディースセットだった。
「この指輪だけで、十分嬉しいよ」
彼女が泣くのを見たのは、その日が初めてだった。
そして今、彼女が作るご飯を毎日食べて暮らしている。テーブルにはいつもお米、お味噌汁、主菜一皿、副菜三皿が所狭しと並べられている。あったかい料理、冷たい料理、味付けもそれぞれでどれも美味しい。
「毎日たくさん作るの大変じゃない?」
彼女はいつも、1.5人前から2人前ぐらいの量を作った。決して広いキッチンではないので、料理をたくさん作るのは苦労するだろう。
「こういうのが好きなんでしょ。ほら、品数が多いの」
ほろりと崩れるかぼちゃの煮物をつまんで彼女が言う。甘めの味付けは私好みだった。東北出身の彼女は塩気が強い料理を好むけれど、結婚してからは塩分が薄めの料理を作ってくれる。卵焼きも甘めだ。
「どれも美味しいから、少なくてもいいよ」
彼女が無理をしないように答えた。私が品数が多い料理を頼むのは、どれが美味しいか分からないからだ。彼女の料理がどれも美味しいことは、もう知っている。
「たくさん野菜食べて、長生きしてもらわんと困るからね」
彼女が独り言のようにつぶやく。結婚してから、長生きしてほしいと繰り返し言うようになった。彼女にも何か、心境の変化があったのだろうか。
「食後のデザートは、どっちにする?チョコミントアイスか、いちごのヨーグルト」もう少しで食べ終わりそうな彼女が首を傾げた。
「どっちも、は無理だよね?」
「うん、どっちか」
私は腕を組んで悩んだ。ヨーグルトなら紅茶が、アイスならコーヒーが合いそうだ。この二択は悩ましい。
「こんなに優柔不断なのに、なんで結婚相手はすんなりと決められたの?」
彼女にプロポーズをしたのは、交際して3年目の春だった。あれ以来、彼女が泣いているところを見ていない。
「決めるまでに3年はかかったよ」
私が冗談まじりに答えると、彼女は愉快そうに笑った。
「やっぱり優柔不断だね」
君と食べるご飯が一番美味しかったからだよ、とは照れ臭くて言えない。
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