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あなたと長生きするために、今日も僕らは10時に眠る

健康は手に入りにくいものだ。外来で生活習慣病の患者さんと話しているとつくづく思う。バランスの良い食事、適度な運動、良質な睡眠、この三つを目指せば良いと分かっていても、実際に行うのは難しい。

健康についてこんな小話を聞いたことがある。

とある男が神様に必死で祈っている。
「神様、どうか私を健康で長生きにしてください、なんでもしますので」
すると、神様がこう返す。
「わかった。なんでもするんだな。それなら毎日腕立て伏せを100回、腹筋を100回、スクワットを100回やりなさい。そして酒を飲まず食事は摂生しなさい」
男はその言葉を聞いて嘆く。
「そんな人生、長く生きてもつまらない」

患者さんに、このまま生活を変えなければ遠くない未来に脳や心臓の病気になるリスクがありますよ、と話してみても「じゃあ今日から変えます」という患者さんはほとんどいない。

「帰りは家の一駅前で降りて歩いて変えるのはどうですか」
「コンビニでご飯を選ぶときは、塩分とカロリーを見てみてください」
「食事量を増やして、間食を減らしましょう」
「寝不足も体重増加の原因になりますよ」

様々な伝え方で生活の改善を提案してみて、どこかで「ああ、それくらいならやっても良いかもしれないですね」という落とし所をどうにか見つける。
生活習慣病の末に大病を患った人をたくさん見てきたから、患者さんのことを思えば厳しく指導したほうが良いと思うのだけど、なかなか強くは言えない。

甘いものや味の濃いものをついつい食べてしまう。運動は面倒で、テレビやネットを見てだらだら過ごしてしまう。それらは自分にも当てはまる生活習慣だったからだ。

結婚するまでの暮らしは悪かった。朝は菓子パンで昼食は職員食堂の日替わり定食。仕事の合間にお菓子の間食。夕食は外食かコンビニ飯だった。
夜は趣味に時間を費やすので、しばしば日付を超えて夜更かしをした。翌朝は眠い目をこすって出勤する。運動を好んではやらず、当たり前のように肥満体で、健康診断には要注意項目が並んだ。

いつかダイエットしないとな、とぼんやり考えるままに時間が過ぎた。生活を変えようとするのはかなりの労力がいる。ひどかった生活習慣が変わったのは、結婚がきっかけだった。

妻は痩せの大食いでご飯をもりもり食べる。食べる量が多いから、作る量も多かった。
一緒に住んでから、朝はワンプレートのご飯で始まり、昼食は二段弁当、夜は野菜と魚中心の一汁三菜という食生活に変わった。私はコンビニへ行かなくなり、菓子パンを食べることもなくなった。ご飯でお腹がいっぱいになるので間食もしない。
妻の作るご飯はどれも美味しくて、毎日の夕食が楽しみになった。

妻は早寝早起きの人でもある。夜の10時を過ぎると、眠い眠いとあくびしながら布団に潜り込む。趣味の時間を確保するために最初は抵抗していたけれど、次第に妻の寝る時間に合わせるようになった。眠りにつくまでの数十分、おしゃべりをするのが毎日の日課になっていった。

妻の趣味は散歩だった。休みの日は引きこもりたがる私を引っ張り出して、近所のパン屋や蕎麦屋を巡って歩いた。春先には桜を見に何キロも歩いた。外の空気は良いものだった。

この生活習慣の改善が良かったのだろう。私はどんどん体重が落ちて、スリムな体型になった。ウエストサイズが下がり、ズボンを全て買い変えた。そして毎年引っかかっていた健康診断の項目もすべてAに変わった。
新婚は幸せ太りになるというのが通説だが、真逆であったことを妻と笑った。「長生きしてくれないと困るからね」と言ってくれたのが嬉しかった。


手に入りにくいと思っていた健康を、妻がプレゼントしてくれた。妻と暮らすまでは、健康的な暮らしは難しいものだ、と試してみる前から諦めていた。
一人では面倒に思うことでも、二人でなら楽しめる。生活習慣の改善で大事なのは、一緒に生活を変えてくれる家族の存在かもしれないと思った。そばに生活を支えてくれる人がいるから、健康的な暮らしを続けられる。
今度外来で患者さんの家族に同席してもらうのも良いかもしれない。

まだまだ人生は長い。人生を楽しむのに必要なのは健康と生きがいだ。これからも続く日々を楽しみながら、あなたと長生きするために、今日も僕らは10時に眠る。

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